2019年5月26日日曜日

楽観主義の意志


なんだか気分が重い今週末。薬を飲み忘れていたことにようやく気付いてなんとか持ち直しています。Amazonのprimeビデオで2本のテレビドラマを見ました。

一本はいまも途中なのですが「民王」、アメリカが日本の総理大臣の脳波を操作しているのではないかという疑惑が語られはじめるところまで見ました。いちおう「スダマサキッズのおじさん」として菅田将暉ファンを名乗る田中ですが、まだまだ見ていない作品は多い。けれども、見つけてみるとどれも面白いですからさすが菅田将暉です。人間の精神が入れ替わるおなじみのコメディは、肉体という器の内面に精神があるという例の構造を出発点にしていますが、政治がからむことで社会的役割が変わった時に精神がどう変化していくのかが強調されているように感じられます。入れ替わるのが親子いうのもポイントでしょう。

もう一本は「重版出来」。全部見ました。漫画出版業界の話ですが、漫画家と編集者、また営業という複数人が一つの作業に従事するという構造のなかで、個々人の精神がどう影響しあうのかを描いています。また漫画家が自分の精神を作品にどう投影していくのか、この様子はみていて考えさせられるところがあります。そのように、自己分析を現在の課題としている田中は、なんでもかんでも自己分析に見えて仕方なく、おそらくはそれで気分が重いのです。それでも薬をのめばある程度持ち直すのですから、人間の精神はいったいどうなっているのでしょう。

鈎治雄『楽観主義は自分を変える―長所を伸ばす心理学、前回からはじまった田中の自己分析プロジェクトの2冊目の本です。うーん、読み物としてはいいんですが、じゃあどうすればいいのよ、という感じが否めません。帯買いをしましたが、重要なメッセージはこの帯に尽きているように思いました。すなわち「「悲観主義」は気分、「楽観主義」は意志」。人間はふつうにしていると、なんとなく悲観主義になるものだと。そのとき楽観主義になりましょう、という意志がなくては楽観主義になりません。そういう話です。今夜はワインを開けてたのしく過ごし、明日からまた頑張っていきましょう。

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