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2019年5月6日月曜日

人生最大連休遍路のまとめ


東京都日野市南平に帰ってまいりました田中はにわです。旅をしながら8回にわたってブログを更新してきましたが、そのあと最後の2日間の報告をこの記事でやります。本来の予定だと松山市内の巡礼までで10日間を使うふうに計画を立てていたもので、予定がはやく終わってしまったかたちとなりまして、急遽2日間で今治方面まで遍路を伸ばすことになりました。しかしこれを全て歩いていると今度は時間が足りませんので、5月4日は電車を使いつつ松山と今治の間の札所をまわり、5月5日は今治市内に集中している札所を歩いて回るということにしたのでした。


そのようにした結果、今回の10日間で、愛媛県の宇和島駅から今治駅までの間、札所は41番から59番まで回れたということになりました。距離は全部歩いたわけではありませんが、全部歩行の計算で200kmくらいということになりました。一日20km計算ということですからまあまあというところでありましょう。四国遍路は88箇所ですから今回の遍路でその半分を通り過ぎたということになります。愛媛県の札所の大半をクリアしていますから、次回はいよいよ最後の香川県です。田中は25歳のときにお遍路をはじめ、そのとき40歳までには一周したいなあと思っていたのですが、ぎりぎりになってきました。40歳ということはあと1年少しです。ちょっと厳しい気もしますが、次回もがんばりたいと思います。


ずっと歩いていると歩く以外のことを考えないので、食事も少なくなり運動をたくさんしていますので、10日間でだいぶんダイエットになりました。すぐに戻ってしまうでしょうが、お遍路をしていなくてもお遍路と同じように食事をするという意識をすることで、どうにか健康を保てないだろうかと、お遍路しながら食べていた携行食をアマゾンで注文して、さっき家に届きました。たとえばソイジョイ、たとえばバタピー、そうしたものをしばらく食べ続けてみようかと思っているところです。


しかし、愛媛県ではきちんとグルメも楽しむことができました。ひとつは柑橘類のおいしさ、そして宇和島鯛めしのうまさは忘れることができません。また旅の間ずっとカメラで写真を撮り続けていたら、写真がもっともっと好きになりました。望遠レンズと普通のレンズを2つかついで行ったのですが、けっきょくは普通のレンズばかり使っていました。望遠レンズはもっと遠くで近づけないものを撮るときに使うものなのだということがわかりました。当初の予定通り、望遠レンズは障害者手帳が出て動物園の入園料が無料になった時にその記念に使いたいと思います。


また写真の次に田中は、短歌をつくるのを趣味にしてみようかと、旅をしながら考えました。それは正岡子規について松山で勉強したこと、それに加えてたまたま松山のホテルでNHKの短歌の番組をちょうど見たということ、それがとてもおもしろかったので、勉強してわかるようになったら、短歌をつくってみようと考えています。旅が終わり、明日からまた学校なので、気分はおもくなりはじめていますが、なんでお遍路の間はずっと気分がよかったのか、考えながらしばらく生活できたらいいのではないか、と考えました。

2019年3月3日日曜日

横浜


田中の両親は高齢出産で田中をこしらえた。このため親戚の各家とはライフサイクルが異なり、両親の性格もあってほとんど親戚づきあいがなかった。いとこはなべて田中の15歳ほど上で、遊んだ思い出など一切ない。田中の祖父は両方とも、田中が生まれる前にはこの世を去っていた。

 父の実家は群馬県の山の中で、平家の落人を祖先とする家系図が残っているとか聞いたこともあったが、もう祖母はおろか父も死んでしまい、田中との関係は完全に消滅した。


母方の祖母が死んだのは平成元年の夏だった。田中はそのとき身近な人間の死というものにはじめて触れた。このショックはもうすぐ平成という時代が終わるというのに癒えない。31年も重いトラウマをかかえ暮らしている。

平成という時代はいうまでもなく、昭和天皇の崩御をもってはじまった。あの時代の暗さを小学2年生で真正面に受けるのはきつかった。そして祖母が死に、また美空ひばりが死んだ。時代論的にはここに手塚治虫を加えることになるのだろうが、あの死に満ちた時代を子どもとして潜り抜けた田中にはなぜか、美空ひばりが死んだことだけが深く刻まれている。
 
田中は子どもの頃、テレビばかり見ていた。美空ひばりが死んですぐ、「美空ひばり物語」というテレビドラマが放送され、エバラ焼肉のたれのおばさん(浅茅陽子)が美空ひばりをやった。


「不死鳥伝説」の美空ひばりが死ぬし、天皇陛下でさえ死を免れないのに、なぜ田中は生きなければならないのか。その疑問を誰も解いてくれないし、田中にも解くことができない。そうして精神が歪んでいった結果、いま田中は無職のおじさんとなっている。

あなたはトラウマを抱えているからまずはトラウマに降りていきましょう、と言うカウンセラーがいると、田中はこの話をとうとうと涙して語る。よくそこまで降りてくれましたね、とたいてい褒められるが、そんなことはどうでもいい。

このトラウマを解いてほしい。お前はなにもしていない。トラウマに気づかないヤツがありがたがって壺を買うのとはわけがちがう。トラウマがそんな簡単に解けるのならそれはトラウマではない。気づかないトラウマを発掘するのはさぞドラマチックなんだろうが、そんなものは大した影響はないから掘り起こさないに限る。

他人の人生で遊ぶな。

父が死んだのは平成のあいだのいつだったか、よく覚えていない。平成のごく初期の数ヶ月で田中の時計は半分とまっているから、その他の記憶は田中にはほぼない。


母の実家は「横浜」と呼ばれ、時々遊びに行くことがあった。祖母ただひとりが田中にとって親戚であった。だから田中には横浜というと祖母なのだが、しかし祖母の家は東急東横線の武蔵小杉の駅前にあった。

今もあるらしい。母の兄も死んだが、その嫁と子どもの家として、あの家はあるらしい。そこを訪ねてみたいという気分はないわけではないが、そこには少し顔を見知った他人が暮らしているのだから、出くわしたらきっと気まずいだろう。 

武蔵小杉はいま、タワーマンションとかいうのが乱立する高級住宅地となり、駅ビルのテナント情報もレジャー情報として消費の対象になっている。若い人々は「ムサコ」と省略するらしく、それに対して原住民は「コスギ」と省略するのがならわしだ。たしかに祖母も「コスギ」と言っていた。

それにも関わらず、田中の家の住民だけがあの地を「横浜」とよんでいたのだ。


武蔵小杉のあたりは、住所で言えば川崎市中原区小杉町となるはずで、横浜市ですらない。「川崎」と呼ぶならまだしもなぜ「横浜」と呼んでいたのか。

武蔵小杉に行くには、地下鉄日比谷線で中目黒まで行って東急東横線に乗るのがルートであった。東横線は「東京と横浜をつなぐ路線」という意味だと習っていたので、終点に「横浜」という駅もあるのになぜ我々は「武蔵小杉」で降りるのか、それはそれは不思議だった。そうたずねると母は必ず言った。「東京駅を通ってもいない東横線が東横線と言っているのだからそんなことは関係ない」。

このやりとりは毎度繰り返された。武蔵小杉のいま思えば駅ビルだったダイエーにはファーストフードのドムドムが入っており、そのポテトはマクドナルドより太いので好きだった。


あまりこの論争が長引いたときに「じゃあきょうは本当の横浜まで行ってみよう」という日があり、その時だけ横浜に行ったことはたしかなのだが、横浜の思い出はなにもない。何ひとつ覚えていない。

武蔵小杉と横浜の間の東横線のどこかの駅から数十分歩いたところに、祖母の墓がある霊園があるはずで、そこにも行った記憶はあるがとにかく歩いたということしか覚えておらず、もう行くことはないだろう。

父の墓でさえ行くたびに管理事務所で墓の場所を教えてもらわないとたどり着かない。墓の持ち主が田中だから田中の運転免許証を見せれば田中家の墓の場所という個人情報は出してもらえる。

よかった。



2019年1月22日火曜日

ビジネススーツと近代のエロス


発達障害者用の就労移行支援事業、その利用待ちの列に並んで1ヶ月ほどになるのでしょうか。まだ連絡はありませんが、はじまったら毎日そこに勉強に行くので、いまのように毎日遊んで暮らす日々は、そう長く続かないでしょう。新しい仕事が何になり、何処で働くのか、まだ何にも決まっていませんが、そのなかですでに決まっていることは、「事務職をする」、ということだけです。

就労移行支援を通じて、数百種類の「事務職」体験の中から、私の狂った脳のなかでも仕組みがよくできているらしい箇所をさがし、その部分のみを切り出してできる、逆に言えばそれ以外のことはなにも気にしなくてもよい、そんな仕事にたどり着く計画です。仕事に関するイメージはまだぼんやりとしかなく、こないだ体験日にやった、システムダウン緊急時の勤怠管理表データの手入力、というワークは、ただひたすらにキーを打つたのしい仕事でしたが、「事務職」にはこの他にも多種多様な「事務職」があるのだと言います。実際にこの施設に通い始めたら、午前中は自分の脳に関する研究、午後はさまざまな種類の模擬仕事をしながら、次の正式な仕事を探していくことになります。

そんな「事務職」をするようになったら、施設に通う服装はカジュアルでよく、また実際の職場にも服装自由な場所というのがある程度には存在するらしいのですが、かなりの確率で「スーツ」を毎日着るようになるのではないかと、さいきんスーツという服に興味が出てきて、紳士服のなんとかに行ったり、スーツなんとかに行ったりしてみています。また街でもスーツを着た会社員のファッションチェックを勝手におこなって、自分が着るときにたのしくなるように計画をしています。


先日、帝京大学の図書館に行って借りてきた、アン・ホランダー『性とスーツ』は、ジャケットにスラックス、ワイシャツにネクタイという服装がどういうふうにできてきたのか、という歴史の本です。それによりますれば、現代の男性ビジネススタイル、それは20世紀初頭の四半世紀のモード、すなわち「モダニズム(近代主義)」に決定されたものです。直線による身体のデザイン(縫い目の明示と実際の体型の隠蔽)、また材料の質感重視で布の色彩は排除する、というスーツスタイルのデザインは、建築の世界におけるコンクリート打ちっぱなし・むき出しの鉄筋・ガラスの強調、また写真の世界における白黒表現の流行と同調したものであります。

他分野表現との横並びでスーツという表現を見ると、以上のようになりますが、前時代の服装との比較で見ると、より端的に、スーツは「隠すことがエロい」服である、ということができます。スーツ以前の表現において、たとえばお腹のふくらみ(太っている)ことが強調されて裕福さを象徴するようなデザインがとられていたものが、スーツの時代では体型を画一化する方向に動いています。またもっともアケスケなことを言ってしまえば、スーツ以前の男性服においては、股間の「もっこり」が強調されるデザインが常にとられてきたのに対して、スーツのジャケットは股間を絶妙に隠す丈をもち、そして長く立派な性器の象徴的表現としての「ネクタイ」が誕生しているというのです(ほんまでっか?)。

先日、ツイッターでも書いたことですが、有名Youtuberの「はじめしゃちょー」がこの正月、「2019年一年間は動画内で常にスーツを着用する」という宣言をし、彼の一味である「はじめしゃちょーの畑」のメンバーにも全員、スーツ着用を強要する日々が続いています。ここまで書いてきたように、このところスーツのことを考えていたところだったので、この話題についてもずっと考えていました。

「はじめしゃちょー」は2017年、三股だか四股だかの浮気騒動というのが、テレビのワイドショーでも取り上げられるほど話題となりましたが、その際にはスーツを着て謝罪動画なるものをアップしました。今年年頭の「スーツ宣言」において、この話題は直接的ではないものの、しかし明らかに当てに行くように、本人から語られています。「youtuberがスーツを着て動画に出るのは謝罪するときだけという常識を壊したい」というふうに。

が、そんなふうに浮気をごまかすことが目的とは思えない(なにをいまさら)わけで、では彼(ら)がスーツを着ることによって、どんな効果が生まれるのだろう、ということを考えたとき、このただふざけているだけの動画も仕事です、とか、しゃちょーらしくスーツなのかな、とかいろいろ考えるなかで、おそらくはじめしゃちょーは「スーツこそエロい」という服飾史上の事実に気づいて目をつけたのではないか、と私は考えるに至りました。

私が「はじめしゃちょー」の動画をそれほど見ない理由は、彼が常に女子の視線ばかりを意識しているように見えるからで、なにかにつけて彼は女子にもてようもてようとしています。もてようというか、「はじめしゃちょー」ほど自身の裸をネタにしてきたyoutuberはいない、でしょう。「はじめしゃちょーの質問コーナー」動画の過去を振り返れば、そのたいていにおいて彼は全裸になっており、また「はじめしゃちょーの畑」の第一回も、そこに出演するメンバーが全員全裸、というコンセプトからはじまっていました。

しかし近日、多数の男性youtuberがそれぞれの動画で声をあげたように、このところyoutubeにおける「規制」が厳しさを増す一方であり、このたび男性の乳首が映った動画を放映することが禁止になったというのです。それはいったいどういうことなのか、と思わなくもないですが、ともかくそのように奥の手を禁じられたはじめしゃちょーであるからこそ、次なる視覚的エロスによる女性視聴者獲得のため、選んだ扮装が「スーツ」であったのだ、というのが私の読みであるわけです。

そのような視線で「はじめしゃちょーの畑」を観察したらなにかおもしろいことが起こるかもしれないと、あるいは服装史社会史の変革の瞬間があらわれるのではと、スーツのファッションチェックという趣味と実益をかねて、「はじめしゃちょーの畑」を近日チェックしていたのですが、彼らは上着を着ることが少なく、またワイシャツの裾をアウトしており、そのくせネクタイだけは締めて男性器を強調するという、放課後の高校生のようなスタイルで毎日生活しており、そこに萌える女子もいるのかも、と思いつつ、私にはまったく感心するところがなくて、再びチャンネル登録を終了したのでした。


発達障害という脳の異常な個性に、これまでの人生を苦しめられてきた私は、この先「スーツ」を着て「事務職」をすることで、その個性を「隠蔽」し、モダンな社会人として残りの人生をやり過ごしたいと、そう考えている、のですが、実のところ本当に私が好きな服は、子供服のような原色であったりして。きょうも八王子のドンキホーテまで行き、強力ブリーチ剤で髪を金髪にした後、すぐに銀色に染め直しをしました。Youtuberが動画でよく使う、本当に原色に染まるドンキホーテのカラー剤を用いて、中年の精神障害者の人は精神障害で髪の毛の色が落ちてしまったかのようなきれいな銀髪になり、たいへん満足をしております。

田中はにわのツイッターもよろしく