2019年8月29日木曜日

現代のポジティブな厚み

東京オペラシティは京王線の初台駅につながったホール。3階にあるアートギャラリーでは現在「ジュリアン・オピー」展を開催中です。障害者手帳を提示しますと(付き添い1名を含めて)無料でお楽しみいただけます。久しぶりに障害者手帳で遊びに行く元気がありましたから、行ってみましょう。


展覧会の写真撮影は自由でした。これはアクリルのパネルをはりあわせて出来ていました。田中の好きな、色と輪郭線がはっきりしている芸術です。ピクトグラム(絵文字)的なその抽象化はしかし、そうした記号自体と比べたとき、圧倒的に「個性」を感じさせられるものだから、ふしぎです。


モチーフは人間だけでなく、こうした風景画、また動物や高層ビルなどもありました。そして平面作品だけでなく、立体や映像を使った作品も多く展示されていました。


「解像度が粗い」という説明の仕方もできるかもしれない。「粗い」というか、ちょうどよいその「解像度」を狙って作者は作品をつくっているのだ。広告以上にポップで、ポジティブ。疲れや悩みを感じさせる像はなく、みな健康だ。見ていると元気になってくる。
従来の芸術は、その裏にあるものを、なんらかの雰囲気で示唆してくるのだが、ここにはそれがない。平板であるという意味ではない。厚みがポジティブなのだ。


「ジュリアン・オピー」展は9月23日までです。いちどご覧になりますと、気分がよろしいでしょうから、オススメいたします。

2019年8月19日月曜日

あたらしいしごと


前の仕事を辞めたのは去年の秋で、去年の今頃はというと、仕事を辞めようと決心して職場と相談をはじめたころだった。だからちょうど一年くらいかかって、ようやく次の仕事が決まったということになる。来月の頭から次の仕事に就くことになった。

決まったのは先週末だ。長い長い就職活動だった。めちゃくちゃ長いブランクを経て、というのは就職活動に苦戦したというよりは、発達障害者として障害者雇用の職を得るために必要な時間だったという感じだ。障害者手帳を取得するまでにまず時間がかかり、発達障害者の就労移行支援を受けるために東京に引っ越してきて、訓練の施設に通所して、施設を通して求人に応募、応募してからも何回も面接やら実習やらがあり、ようやくたどり着いたのである。

前にも書いたが、前職は農業であったので、業界そのものが低賃金であった。だから今度の職業は障害者雇用とはいえ、以前の給与より多くもらえる。田中は前職に就くとき、山の中に逃げ込んでセミリタイアなりよ、と思っていたので、給与の低さを気にすることがなかった。しかし、山の中なら精神的にうまくいくなんて幻想であり、また精神を壊して、そして貧乏にも耐えられなくなった。障害者雇用のメリットとしてよく語られるところだが、田中の次の職場も、よくわからない田舎のおじさんが就職できるなんて全く思いもしなかった、全国に名を轟かす大企業であり、それなりに生活も安定できるので、ほんとうによかった。

工場で働いたり、野菜を育てたり、果物をやったりしていた人が、急にトーキョーのビジネスマンとなることは、ふつうの職歴ではなかなかないことだろう。しかも田中はもうすぐ40歳なのであり、転職する期限切れのおじさんだと思っていた。しかし、障害者になります宣言をすると、こういうことができる。就労移行支援の学校は池袋だったが、あたらしい職場は京王線で新宿に出てから、地下鉄で都心に少し入ったところに行く。ほんとうに都会の都会だ。毎日スーツを着ていく。こんな生活ができるとは思ってもみなかった。夢のようだ。

この仕事で定年まで頑張りたいと思う。そのためには、毎日毎日、努力がいるし、考えることが必要なんだと思っている。考え続けることが大事だと思う。そういう感じで、このブログを続けていきたい。引き続きよろしくおねがいします。読んだら、広告をクリックしてください。田中がお金をもらえるので。もう何ヶ月も誰もクリックしていませんので、どうかおねがいいたします。

2019年8月3日土曜日

貧困と運動と精神と


お金がない。来週、ハローワークの失業認定日があり、入金は再来週だ。再来週は障害年金の支給もある。そこまでの辛抱だ。来週は障害者雇用に向けての実習を受ける。もうこの企業に雇ってもらい、お金の苦労から逃れたい。それが本音の本音である。

お金がないと、お金を使えないのだから、出かける必要もない。出かければ、お金がいる。だから出かけない。そういう貧困と精神停滞の素朴な関係は見逃せない。お金があればあったで、過激に浪費をする癖もあるから、一生お金に惑わされるのかと思うと、気が重くなるのだが、それでもお金はないよりは、あったほうがよい。

きょうも一度出かけるまでには、ずいぶん時間がかかった。図書館に行き本を読むことに、お金はかからない。しかし、それをやると、喫茶店に寄りたくなり、そもそも電車に乗る必要もあり、お金がかかる。学校に行くための定期券が切れ、新しい定期券を買うまとまったお金はない。お金がないのだから家にいるべきなのか、しかし家にいると精神が停滞してしまう。という悩み。

しかし東京都日野市に送る書類を作るためには、失業保険関係の書類をコピーして添付する必要があり、出かけることになった。必ず10円は出費の発生する外出だった。コピーを取り、図書館で本を返して、書棚のあいだを歩いていたら、ふと手に取った小説が面白くて、借りてきてしまった。とても分厚い。しかし語り口が軽妙で、読み始めたら止まらなくなった。閉館までではとても読み切れず、いま読む時間があるか、と迷いつつも、やはりこの本を読むと、どうも精神の調子が良くなるだろうと、さいきんさまざまなコストに関する判断基準を、精神、にとることがふつうになった。これも、発達障害の学校に通った大きな収穫である。

スポーツジムには行かなくなってしまい、ジムを解約すべきなのかもしれないが、お金がなくても解約をしてしまうことが精神を沈ませると思って、ムダ金を払い続けている。家を出ると精神がよくなるのには、運動する、ということもきっと関係している。夕方、日差しが弱くなってから、高幡不動→南平の一駅を歩いて帰ることを習慣にしてから、精神状態がすこぶるよい。きょうも歩いて帰ってきた。

これでは運動が足りないと思うから、またジムに行けるようにしたい。ジムに行っていたころは朝早く起きて行っていたのだが、発達障害の薬が強い時期になって、起きられなくなっていかなくなってしまった。いままた薬の影響が減っている。起きれる。しかし面倒だ。近日中に、というのは、次の仕事が始まる前、つまりはいまの学校に通っているうちに、スポーツジムの習慣を復活させたい。

2019年8月2日金曜日

この界隈の風通し


絲山秋子『絲的ココロエ』によれば、著者は双極性障害をもっている。田中は著者のデビュー当時の作品、そのような精神をモチーフにした作品が好きだったが、最近の作品はよんでいなかった。そもそも絲山がデビューしたころといまとでは、田中の読書量がぜんぜんちがうので仕方ない。双極性障害を中心とした精神に関するエッセイであるこの本を読んでみると、発達障害者の田中はまたしても運命的にこんな記述にぶつかった。
前述した通り私は、発達障害も専門としている主治医からASD(自閉症スペクトラム)の特徴を強くもっているという認識でほぼ間違いないと言われている。
発達障害を主題にした10章から引用しているが、この章に限らず読んでいてうなづくところが多い。完璧主義の話、依存の話、私も以前のんでいたリーマスという薬についても書いてあって勉強になった。発達障害、また精神病界隈でこの本の話を聞いておらず、図書館でたまたま手に取ったら、すごく良い本だったので、界隈のみなさんにぜひオススメしておきたい。
世の中をオフィスのような大きな室内空間にたとえると、私のいる場所は、過集中の灯りに照らされた対象以外は真っ暗闇の虚無である。その代わり手元の灯りはとても明るく高性能だ。物事が立体的に、細部まではっきりと見えるし、記録もできる。ADHDの人にこの話をしたところ「自分の場合はライトが眩しすぎて何もかも目に入ってくる状態」という答えだった。定型の人は全体を見渡せるが、細かいところまで見えるほど明るい照明ではないし、記憶力も劣っているのではないだろうか。
こういうたとえもなかなか鋭いと感じた。すぐ近くに書かれているように、現在、発達障害者ばかりがあつまる施設で日々を暮している田中は、ADHDの人とペアになって仕事をするときに、お互いの障害特性がタッグを組んだら、部屋全体が照らされて「これ最強やな」、と思う経験を何度もしている。

しかしまた、ASDであるらしい田中の過集中は、もっと手元の照明の性能が劣っていて、集中の焦点が役に立たない部分に集まっているような気もして、絲山の書く過集中のようなものならばまた使いようがあるのにと、うらやましく思ってしまった。まあこれがスペクトラムということなわけだが。
だが、発達障害界隈はきわめて閉鎖的な印象だ。グレーゾーンや、スペクトラムのなかで目立たない人、定型発達者にとっては、かかわりにくさが大きな壁となっているのではないだろうか。
こういう指摘もめったに聞かないからはっとしたが、そもそも発達障害者の障害特性として、それこそ「自閉」なのだから閉鎖的になるんじゃないかと思いつつ、またメディアや障害者としてほど苦しんでいない人がおもしろがっているから閉鎖的になるのだとも思いつつ、なのだが一方で、田中も発達障害界隈に息苦しさをさいきん感じることが多くなってきた。

絲山のようにコミュニケーションに長けているわけでもない田中は、自分が閉鎖的であることを承知で、しかしこの界隈は息苦しいとは表明しておきたくなった。そういう意味においても、この本は風通しの良い言葉で書かれているから、とても読みやすかった。

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