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2019年7月20日土曜日

私という動物たちをめぐる冒険


だいぶん時間をかけて読んできた大江健三郎『日常生活の冒険』をようやく読み終えた。物語の冒頭で結末が語られてしまい、基本的にはそこに向かっていくだけの物語だ。その構造が主人公「ぼく」の「ヒポコンデリア」(ちょっとした身体の異常を、自分で勝手に判断して気に病む精神病的症状。心気症)という作品の主題と結びつき、終始重たい話であった。
ぼくのヒポコンデリア最悪の状態になり、毎朝、向いあったベッドに目覚めておたがいを発見するたびに、ぼくの妻は、ぼくが眠りながら、鶏ほどにもけたたましく恐怖の叫び声をあげたことを話した。ぼくはいつもオーデンの《タフな心をもった男も、眠っているあいだには涙脆くなる》という詩句で対抗したものの、それはしだいに妻にもぼく自身にも感銘をあたえなくなった。妻は実家からつれてきた大きい犬を躰にひきつけてぼくの夢のなかの怪物を警戒しながら眠るようになった。そしてとうとう、ぼくが眠ったまま大声で二時間も泣きわめくという夜がきた。朝ぼくは決心した。妻もまた、彼女の憐れな夫が、このようなタイプの日常生活を送ることに心理的な犠牲を払っていることを理解していたのでとくに説明はいらなかった。
長い引用となったが物語も終盤近く、ここに至るまで何度も「日常生活」という言葉が登場してはいたのだが、この部分にある「このようなタイプの日常生活」というものこそが、通常読者が思い浮かべる「日常生活」なのであり、しかしそれはここに至っても完全に否定される。したがって『日常生活の冒険』という物語を[日常生活]の物語と思っていると読者はつまづくようにこの物語は出来ている。ホテルの朝食メニュのような食卓の描写や近所を犬を連れて散歩する、そんな[日常生活]の場面は一切出てこないのである。では、この作品における「日常生活」とはなになのか。
いま、日常生活の冒険という言葉をつかいながら、ぼくは過去と未来とを吹きぬける自分の内部の風洞に耳をおしつけて、風の近づいた夜更けぼくの生れた谷間のケヤキの梢がたてる音のように、ひとつの遠方からの声が語りかけるのを聞く思いだ。それはぼくと斉木犀吉のぼくらの生涯の三度目の出会いの夜、かれがウイスキーに酔って、ぼくに話した日常生活の冒険についてのかれの意見である。
これは作品の冒頭からの引用で、これに続く斉木犀吉の言葉も全部引きたいくらい、この言葉が作品全体を支えるコンセプトのようなものがこれを説明してみれば、「原色動物大図鑑」の話にはじまる斉木犀吉の言うには、「廿世紀人間はたれもかれも核爆弾で殺されるというその目的が異ならないので構成的相違の品種が少ない、というわけなんだよ。そこで、おれは、自分の能力をフルに発揮して、自分だけでも他のホモ・サピエンスとは構成的相違のある別品種になりたいんだよ」、ということなのである。


そのような物語の登場人物たちには、「斉木犀吉」「雉子彦」「鷹子」といったように動物の名前をもつものが多く、作品中の比喩にも動物が多く登場している。人間は動物にたとえられ、それぞれに「日常生活」を生きているのである。本記事最初の引用でも「ぼく」は「」にたとえられていた。

終盤、斉木犀吉の言うとおり、原爆の被害から白血病で死にゆく「」という人物を斉木犀吉は意外な方法で[救う]のだが、そのように政治に絡め取られる「廿世紀人間」の層の下に、犬の散歩的な[日常生活]があるとしたとき、この物語が描く「日常生活」はもう一つ下層の心理的な層だ。だから彼らが政治運動に近づけずに失敗するのは[失敗]ではないのだろう。公的な人間に対する、私の深層=真相をめぐる冒険―。


さて、この十二年間ぼくはかなり多くの小説を書いた。大学の友人の妹と結婚することもきめていた。ぼくは、自分の廿五歳の誕生日に結婚するつもりだった。結婚し、二人の子供をつくり廿冊の自分の本に背後から責めたてられ、軽いアルコール中毒になり、癌で死ぬる、さして天才のない作家の生涯のおだやかな線路に、ぼくの機関車は乗ろうとしていたのだ。あらゆる冒険的なるものをあきらめて。
あくまで斉木犀吉の友人としてはじまる物語の主人公は、物語が走り出してから突然、小説家であることが判明され、大江健三郎の事実を思わせるエピソードが混入される、この書き方がまたおもしろい。ここでも作者は[私をめぐる冒険]をやってみせている。作品の読みどころは、そうした作品の構造と、ヒポコンデリアの雰囲気とを、捉えることである、と田中は読んだ。

2019年5月29日水曜日

テープ起こし少年たなか


田中がいま学校で喜んでやっている作業というのは、いわゆるテープ起こしというやつ。いまどきテープ起こしなんか機械にやらしときゃいい、反面、ミーティングの議事録をやってくれよと、そういうことはまわってくるので勉強しているのです。

田中は入学してはじめてテープ起こしで主席を取りまして、かつてテープ起こしを仕事にしていた人より早くできるので、以前にやっていたことがあるでしょうと先生に聞かれました。それくらいうまいです。

テープ起こしなんかやったことないのに、なんでこんなにうまいんだろうと自分で考えていたら、なんのことはない、田中は小学生のころまさしくずばりテープ起こしをやっていたのでした。そんなこと記憶の底に沈んでいました。きょうはその思い出を書きたいと思います。

田中は小学生のころ、日本語のワードプロセッサーを買ってもらいました。それを使って何をやっていたのかというと、東京都の全ての博物館をまわり、博物館の展示パネルを一言一句メモしてきて、それをワープロに入力し、印刷してファイリングするのが趣味だったのです。これっていまになって考えてみれば、いかにも発達障害児的なエピソード。なんでいままでそれを医者にも先生にも語ることがなかったのか不思議です。

その延長線上に、テープ起こしがありました。もう博物館は行き尽くしてしまうと、たとえばNHKテレビジョンの『小さな旅』なんかを、ビデオテープに録画したり、またウォークマンをテレビジョンに近づけて録音したりして、その音をワープロで起こしていたのです。

そうした趣味は小学校の高学年から中学生いっぱいまで続きました。なんであんなことをしていたのか、それをきょうまでなぜ忘れていたのか。やっぱり本当に田中は発達障害なのだと、いままで半信半疑だったのが本当にそうなのだと、ようやくわかりました。

だから、鉄道好きの発達障害者が鉄道会社を目指すように、文字好きの田中も文字の会社に就職しようと、ようやく方向が見えてきた、そんな本日です。

田中はにわのツイッターもよろしく