2019年2月28日木曜日

自閉症とeyes(3)生物学的障害


前回も引用したこの図。図をクリックすれば飛ぶ場所も同じ。ドイツの精神科医ウタ・フリスのホームページだ。ジェイミー・グッド『ワインの味の科学』の中に、ウタ・フリスのこの研究の話が出てくるという話を前回したのだった。二つの三角形は二つの三角形であるはずなのに、この三角形をアニメーションで動かすと、人間は二つの三角形が「たわむれている」と図形に感情を見出すものだ。ワインの味だって味を構成する化学物質をただ化学物質として捉えるだけではありませんね、ということだ。

しかし私はこのワインの本を読みながら、ジェイミー・グッドが但し書きとして放り投げたものにこそ注目していた。いや、一見放り投げているだけだった、という話になってはいくのだが、ここではいったん放置する。それはウタ・フリスの研究にとってはやはり、主題とされていることだった。

自閉症者は、三角形が動いたところで、そこに感情を見出すことができない。

この図は『ウタ・フリスの自閉症入門 その世界を理解するために』にも登場する図だ。そこで語られているのは「自閉症者はメンタライジングに課題を有する」という話だ。メンタライジングとは、メンタリストDaiGoという人がやっているような「読心」のことである。彼は優れた観察眼以上に、その観察を言葉にし論理化してショーにすることに長けているわけだが、彼に限らず心を読むことはコミュニケーション中にしぜんに起こることであるらしい。しかし自閉症者はその能力を欠いている。だから三角形は三角形。

これは「共感の欠如」という自閉症の特徴とも関連しているだろう。かつてハンス・アスペルガーは発達障害を「男性的知性の極端なかたち」と主張した。現に発達障害者は男性に多い。女性的な「エンパサイジング」よりも男性的な「システマイジング」に長ける発達障害、という話を簡単にするのは、性の文化的側面からいくらでも批判できることを承知で、しかし性ホルモンの影響という生物学的研究が進んでいることもまた事実であるという。



そもそも発達障害は生物学的な障害だ。遺伝子からしてニューロティピカル(註 ニューロティピカルという言葉もウタ・フリスに習った言葉だ。ニューロ神経がティピカル典型、という意味のこの言葉は、日本語の「健常者」と同じ範囲を指す言葉だろうが、使いよさがジャストなのでこれから田中も使っていく)とは異なる。その遺伝情報は周囲因子の関連で発現したりしなかったりする。そうして自閉症が発現した子どもの脳サイズは大きい。頭周長でみてもニューロティピカルの児童よりも頭が大きいのだ。近年流行の「大人の発達障害」として見出された田中は、子どもの頃の記憶を欠いているが、幼稚園の帽子のサイズに合うものがなく、特注したことを突然思い出した。ともかくそのように発達障害は生物学的な脳の構造、システム、活動レベル、また神経細胞の細部構造に起因している。

一方で、三角形の話は次のようにも説明できる。「自閉症は社会的であろうとする動因を欠如している」。「空気がよめない」みたいな自閉症者の苦労は聞くし、私もその気が大いにあるのをみとめるが、それはここに関係しているだろう。ニューロティピカルは、周囲の人間との関係や、文化的背景、文脈を理解して、それに沿った考えをすることができる。大きい三角形と小さい三角形がぐるぐるしていれば、それは親子かカップルかと読んで「かわいい」と言う、それがこの社会の「空気」なのだ。

そろそろ長くなってきたので、きょうのまとめをする。
自閉症また発達障害は、きょうも見てきたようにさまざまな特徴で語られ、また個人差が大きいものともされる。そこで便利なのが「自閉症スペクトラム」というよく聞かれる考え方だ。ウタ・フリスは同じ本の別の場所では、自閉症スペクトラムの中核にあたる3要素を「自分の世界に入る」「コミュニケーションがとれない」「反復行動と興味の狭さ」とあげているが、このようにポイントが列挙されるだけだと、障害がなだらかに見えるのはよいとしても、「ではこの苦しみはなんなのか」という当事者性は、当事者の中でさえ見失われて、田中は逆に苦しいと感じはじめている。

そこにウタ・フリスはきちんと医学者として答える。「苦しみは苦しみであり、障害は障害である」と。そして脳また神経細胞の違い、という生物学的観察をしている。その流れの中にあって、「空気が読めない」という極めて文化的(つまりは非生物学的)にみえる障害が、実はやはり脳機能による生物学的な困難であるのだ、という、そこからが次の話だ。いろいろと発達障害の要素にあたるものを並べたところで、極めてシンプルに一言で、ウタ・フリスが言い切った発達障害の核心とは。次回、最終回をたのしみにお待ちください(たぶん明日です)。

2019年2月27日水曜日

インターネットのゴミ


夜、聖蹟桜ヶ丘の伯母さんからラインで呼ばれた。

聖蹟桜ヶ丘の京王アートマンで藤家具フェアをしている。座椅子がよかったので買ったから見に来なさいという。こういうラインを無視すると、後日、あきらかな復讐が仕掛けられると知っている田中は、ちょうど高幡不動のドトールで本を読んでいたこともあって、そのまま京王線に乗った。

聖蹟桜ヶ丘という場所の話はこのブログでこの前もしたけど、「せいせき」というこのひらがな表記は、夜になるといっそう不気味だった。聖蹟桜ヶ丘セイセキサクラガオカという地名は長すぎるわけで、なんらかの略称が必要だ。このとき前をとるのは自然だが一方で、「聖蹟」という意味不明の煌きは、京王百貨店と京王アートマンしかない聖蹟桜ヶ丘に似つかわしくない。だからひらがなにしたら、余計に怪しくなってしまった。

聖蹟桜ヶ丘の伯母さんを含め、地元民は平板に「セーセキ」と発音するのがふつうだ。はじめて伯母さんの家を訪ねた時、街の人間が「精液」の話ばかりしていて「エロっ」と思ったのをよく覚えている。

聖蹟桜ヶ丘の伯母さんは、レゴブロックでできたような丘の上の団地の、3階の角部屋に住んでいる。チャイムを鳴らし玄関のドアを開けると、聖蹟桜ヶ丘の伯母さんは新しく買ったらしい、大きな丸い背もたれを持つ籐座椅子を玄関に据えて、ドアを睨みつけるように田中の到着を待っていた。手にはインドネシアだかベトナムだかで生産された、安いスマホを持ち、いつでも復讐ができるように用意していた。

目が合うなり聖蹟桜ヶ丘の伯母さんは田中に言った。
「あなた、次の仕事はどうするの? どうせ毎日ぶらぶらしてるんでしょう?」
ぶらぶらしているからあんたのウチに来んのよ来れんのよ、と思ったが話がややこしくなるごとに帰る時間が遅くなるので、
「そうですね。なんでもやるつもりですよ」
と答えた。

いま無職の田中は、暇つぶしにwebライターをしている。田中としての記名記事はここにしかないが、お小遣い程度にしかならない記事にも、相応の時間をかけた調査をおこない、記事にまとめている。実際に仕事をしている時間はとても短い。だから短いなりの収入で、それをハローワークに申請すると、失業保険の減額はない。

webライターをするのだとすれば、調査内容に忠実な記事、役に立つものを生産していきたい。そうでない記事、インターネットのゴミ、を増やすことには心が痛む。心が痛みすぎてストレスになってきたので、編集部の指摘が連続する結果として、いつも記事がゴミになる編集部、との関係を昨日までに全て清算したのだった。

これでこの仕事は完全の完全に赤字事業となったがしかし、全く興味もなかった本に出会い、知識を習得すること自体が財産と考えているので、調査結果を尊重してくれる編集部とは、これからも仕事を継続する予定だ。

ところで「インターネットのゴミ」とはなにか。それはごく一時期ではあったが、ゴミ製造業として暗躍した田中がよく知っている。

テレビか雑誌かでみたようなありきたりな企画。その企画はあくまでテレビや雑誌が得意とするフォーマットなのであって、素人がそれを真似ることになんの意味もない。企画のフォーマットに沿った記事を完成させたところで、結論は編集部の意向と真逆になる。それが真実であり調査結果なのだが、結論を変更させる編集部が存在する。そうして真逆の理論を無理やり構築してやれば、論理が厳しいという。「ひとりよがりがすぎる」と言ってきた編集部にはぶちぎれてやった。はぁ? テメーが言うとおりに言いたくもねえこと言ってやってんの。バカじゃねーの?と。

「趣味と実益を兼ねた」という言葉がある。それは「仕事」のある種理想的な形だと思う。しかしそれが「実益」に傾いていくと「趣味」が毀損されることがある。そんな仕事はする意味がない。いますぐやめなさい。これがこのたびの田中の教訓となった。

インターネットの読者は、文章を読むことにストレスを感じたくないため、文章は短く「ですます調」でなくてはならない。漢字をなるべく少なくして、最後まで読ませる文章をつくる。文字が詰まった印象だと脳にストレスがかかるため、一文ごとに改行。そうしたweb文章のフォーマットがまた、情報の量と質を下げている。

このブログは脳にストレスをかけたくない人は近づかなくてよい。そもそも現代人に向けて執筆していない。数万年後にインターネットのゴミの山から、発達障害がブームのように患者数を増大させた時代の痕跡として発掘されることを目指している。

マジか?

2019年2月26日火曜日

文学のなかの数学のなかの文学の


引っ越してきた東京都日野市は大学の多い街だ。南平駅の駅前にあるスーパーマーケットは数日に一度利用するのに名前が覚えられない。しかし、その大きなスーパーの隣が大学の寮になっていることは知っている。看板が出ているからわかるのである。ただし何大学の寮だかは忘れた。どの大学も南平駅のそう近くにはない。この近辺は坂道が多く、こんな坂道ばかりのところで学生が暮らしているから、この大学は箱根駅伝に出ているんだわ、と思ったことは覚えている。


大学は頻繁に公開授業をする。授業を公開して大学はいったいなんの得になるのか知らない。しかしそれが「地域貢献」であるのならば、田中こそが地域である。授業に参加して得た知識をインターネットにばらまくのは、ごみだらけのインターネット無料域にあって、なかなか有益な仕事なのではないかと考え、無職の田中は授業に出るようにしているのだが、ノートをまんま公開したところで、学生がテストでいい点が取れるわけでもないので、どうにか役に立つ形にしたいと寝かしているうちに、発表の時期を逸する。いや、まだあたためているのだ。

放送大学多摩学習センターは、生徒募集の説明会にあわせて公開講演会を定期的に開いている。田中は仕事が苦しくて仕方なかった時期、多摩学習センター公開講演会に来て、「日本人の自尊感情」の話を聞いて、従業員の自尊心を傷つける企業に身を捧げるのは時間の無駄だわと悟り、退職を決意した。職を失った田中は放送大学の選科履修生となった。東京都日野市に引っ越してきた。再び公開講演会の時期がやってきた。この授業は田中の興味関心にかなり沿ったものであった。放送大学多摩学習センターは東京都日野市にはない。


飯高茂・学習院大学名誉教授が語る、この日のテーマは「文学の中の数学」。この登壇した数学者は東大の教授職を定年で退き、現在は放送大学多摩学習センターの生徒でもあるということだった。「数学を情感たっぷりに語ってみたい」という目標で、きょうは講義する、とはじまった。だとしたらそれって「文学の中の数学」じゃなくて「数学の中の文学」でしょ、と思った。ただ話の冒頭の「九九」の話は大変興味深かった。

「九九」で「ににんがし」「にさんがろく」「にしがはち」と来て「にご、じゅう」となる。これは不思議だ。「にろくじゅうに」はテンポ的にわかるのだが、「にご、じゅう」と1拍あきになるのが、田中は子どもの頃からずっと不満だった。とくに田中は小学校で「九九」をウタで覚えさせられたので、なんで「にこがじゅう」ではダメなのか長いこと気にしていたのだ。

「九九」が庶民にまで広まったのは江戸時代だが、もともとは遣唐使が輸入した概念のひとつであったというのだから、かなり長い歴史なんだ。そのように「九九」は舶来品なのであった。「二二得四」「二三得六」「二四得八」という中国語を日本語で読んでいるから、「九九」はあの読みなのである。それまで「ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ」と大和言葉で数えていた日本の人々は、掛け算を丸ごと覚えてしまうことで仕事効率化をはかる中国人に驚いて、数字の読み方から変えていった。だから「九九」は中国語なのである。

「二五一十」「二六十二」というのが中国語の「九九」だ。「いちじゅう」という言い方は現代日本語ではしない。「一」が落ちたかたちとして「にご、じゅう」が誕生した、と講師は言った。しかし現代でも、たとえば「一千万円」の「一」は残っている。なぜ「九九」ではそれが落ちたのかは謎だ、という話であった。

飯高茂には数学の初学者のための書籍も多い、ということだった。先生は自身の著書を会場にまわすと左右の席に配り、「ほしい人は持って帰っていいです」とテキトーなことを言うものだから、本は会場のどこかに吸い込まれて、田中のところまでは一冊もまわってこなかった。放送大学のこの公開講演会は毎回、クリアファイルとボールペンをおみやげに配っているようだが、このボールペンはとても使いやすいボールペンで、前回のオレンジとは色違いをくれたので、それはよかった。ピンクをもらった。


授業はまさしく「文学の中の数学」という話になった。沢木耕太郎『深夜特急』にマカオのカジノにいく話があり、そこでのカジノのサイコロの目の確率を計算するという、いかにも数学の話になっていった。その数式の話はここでは省略だ。数学者は言った。「カジノはカジノが儲かるようにできている。数学がわかっている人はカジノに金を賭けない。確率を計算したらわかるのである」と。

はいはいそりゃあそうでしょうよ、と田中は思った。ギャンブルは田中の得意分野だ。田中だってその程度のことはわかる。わかってるんだよ。授業は実際にカジノをやって確認だ、ということで、パソコンにサイコロを転がすプログラミングをつくってきた先生が、知り合いらしい生徒のおっさんたちを舞台にあげて模擬カジノをやっていたら、講義時間が終わってしまった。ほんとうはもっと数学の話をするつもりだったらしいが、すっかり商店街のゲーム大会のようだった。

本題に入る前の雑談的に教授が持ち出した「宝くじ」の話は、なんとも示唆的であった。知り合いの女性に宝くじのシステム、上記のような当たる確率と控除率を解説して、教授は「宝くじなんか買うのはやめなさい」と言ったという。その時女性は言った、「だって買わなきゃ当たらないじゃない!!!」。教授がそういう話し方をするからだが、このとき会場は大爆笑の渦となった。簡単に言ってしまえば、(バカだなぁオバハン)という意味の笑いなのであるが、私はオバハンがバカだとは思わなかったから、笑いもしなかった。

ギャンブルは買わなきゃ当たらない。これは真理なのである。教授だって言っている。「ギャンブルせざるを得ない場合には、一度だけするべきだ。一度やって勝ったら儲けものだと思ってやめなさい。確率論からしてやればやるほど負けがこむから」。しかし、そういうことでもないわなあ。と思いながら商店街のゲーム大会を見ていて思いついたのは、数学者が確率計算をするソレが「数学」なのだとしたら(いや完全に数学だが)、「だって買わなきゃ当たらないじゃない!!!」というのこそが、「文学」なのである、ということだった。

こうしてみると「文学」は、「数学」と対立させた時、バカで、笑われる対象で、といったふうに見えるところがある。実際、現代日本社会における「評価」と似たところを感じるのだが、それはほんとうにほんとうか。これ以上の話はまだできる頭がないのだが、田中の大きな関心はココにあり、今後もこの話は続けていく。

2019年2月20日水曜日

壊れたスマホで撮った最後の写真について

スマホを買い替えたことは、どうも最近の大きなニュースであったらしく、このブログで何回も何回も書いている。当人としては壊れたその日のうちに、壊れたスマホのメーカー直営店に出向き同じメーカーの安い型落ち品としてのグレードの低く古いスマホに乗り換えたため、壊れる前と後とでは大差がなく色がシルバーから白に変わったという程度だが、なぜだかこれにまつわる事件は多くて書くことになる。


書きたいことが多くてついつい後回しになってしまい、あの日の主たる外出の目的を報告しようと思っていたのを、すっかり忘れていた。あの日はこのブログにも書いた通り、天王洲アイルという街に出かけて、そこになにをしに行ったのかと言えば、「現代の魔法使い」こと落合陽一の写真の個展「質量への憧憬 ~前計算機自然のパースペクティブ~」を見に行ったのだった。

私は落合陽一という天才に触れてみたくて伺い、おそらく他の人もそういう風に見えた半面、立派なカメラを首からぶら下げている若い人が会場には多くて、写真が好きな人ってこんな多いんだ、と思った。なにもわからなかったらどうしよう、と思っていたのだが、写真は写真であり、たのしめた。若いカメラマンたちは会場内でばしばし写真の写真を撮影しており、私もスマホで撮影をした。


会場で販売している本には落合陽一のサインが入っており、サインを拝ませてもらったが、買いはしなかった。ミニマリズムがすっかり身についた私はいま、必死に本の冊数を減らそうとしているからだ。


なんでも言葉に引っ張られる人間なので、私がこの個展でいちばん印象に残っているのは、写真自体よりもむしろ、上記した個展のタイトルと展示室の入り口に掲げられた挨拶文だった。魔法使いはどんどん先に進んでいくばかりなのかと思っていたのだが、メディアアートは見たことないものを見たいから、そして刹那を記憶したいから、というロマンチックな動機から説明されるこの文章で彼は、写真を撮ることが好きでそこには作家性が刻まれるから、といったことを書いている。それはここまで私が勝手にイメージしていた落合陽一からすると、ものすごい懐古的に見えた。

落合陽一のTwitterを見ていると、「弊息子」こと御子息の写真がよく流れてきて、とてもかわいらしい。かわいらしいのだが、なぜ落合陽一は息子の写真を発表し続けているのかが私には疑問で、もしかしてTwitterは公的なものではないですよということなのかな、と思っていたのだが、この文章を読むと見方が変わった。息子がこの姿であるのは今だけだから彼は写真を撮る。それは世界中のどの家庭でも同じ感情のもとに行われる行為であり、そしてそれこそがメディアアーティストとしての彼の原点でもあるということだ。

そのようにこの天才をつかまえるための入り口が、この個展にはきちんとあった、ということを書いておき、この写真に撮ってきた挨拶文は、何回も読み返してもっときちんと理解したいと考えている。


会場のamana squareという場所はとてもわかりにくい場所にあった。と感じたのは、スマホの調子が悪くて、グーグルマップが使えなかったからだろうか。しかし、個展を見た帰り道、駅方面へ広い通りまで出た信号のところで、やはりカメラをさげた青年が完全に道に迷ったふうだったので、なんの気だったかいつもそんなことはしないのに「この道まっすぐですよ」と青年に話しかけてしまった。青年は「?」という風情だったが「落合陽一でしょ?」と私が言うと「ありがとうございます!」と頭を下げて速足で歩いていった。おそらくは個展をみた感動で、ハイテンションになっていたとみえる。



こうして写真を息も絶え絶えで撮った後、スマホは故障し、乗り換えられたのだった。グーグルフォトはすごい。

角上魚類、それはスーパーのような「魚屋」


近所の角上魚類に遊びにいく。角上魚類はチェーン店の魚屋だが、全国どこにでもあるわけではなく、都心にはなく田舎にもなく、ちょうど我が家のある東京都日野市のような、お手頃な郊外にだけ出店しているようだ。

引っ越してきたばかりのころ、クルマで近所を偵察していたら、見慣れない大きな「角」という看板を見て、調べたのだったが、家のすぐ近くなのになかなか出向く機会がなく、きょうがはじめてとなった。

暖かかったので、ほんの一瞬だけ自転車で行こうと思ったが、自転車で行くとなるとまたあの急坂をのぼるのかと思ったらだるくて、素直にクルマで行った。南平駅は谷の底なのだ。この地理の話は、またきちんと調べてから書く。


まず驚いたのは、だってきょうは水曜日でしょう、というくらいに駐車場が満杯であること。みなさん無職のお仲間なんですか、と言ったらきっと無職なんでしょう。無職でなかったら水曜日の昼間に魚屋でブラブラなんかしていない。

角上魚類は高齢者のたのしみとなっている、ということだ。少子高齢化が高度に進んだ21世紀の日本において、その恩恵を魚屋が受けるというのは、なるほどというべきか。店員さんがみんな親切。あなたは介護士ですかというくらいにやさしいように見えた。

が、そう言われたらこれが「魚屋」なのかもしれないぞ、とも。おじさんはおじさんなので、子供のころ魚はたいていスーパーで買っていたが、時々は団地のピロティにやってくる行商の魚屋さんを利用していた。角上魚類はそれをすっと思い出させた。

角上魚類のサービスが徹底しているのは見ていてわかった。魚をさばいてくれるサービスがある、ということ自体ではなく、魚をさばくお願いをする客とさばきのカウンターにいる店員とのやりとりが、きちんとサービスだった。



スーパーマーケットのような建物で、スーパーマーケットのような構成なのである。しかし全てが魚類だ。通常、野菜が置いてある入口の部分は、海苔やおつまみ系の加工品などがあり、肉コーナー乳製品コーナー調味料コーナー日用雑貨コーナーなどはもう全部魚、そして寿司コーナーがあり、総菜コーナーもあった。

私は総菜コーナーでカキフライを買った。総菜コーナーと言っても自分でトングでつかむのでなく(つかんでもよいようになってはいたが)、店員さんに「カキフライ5個ください」と言ったら、揚げたてのデカいやつを見繕って、袋に詰めてくれるのである。こういうやり取りを大切にしている店にみえた。

レジの人もスーパー風のレジスキャンの訓練をきちんとつんでいる一方で、袋を何枚使うか、割り箸を持っていくか、などちょこちょこ言ってくるのだ。これだけサービスがきちんとしていれば、それは人気になるはずだ。クレジットカードも使える。もう魚はここに買いに来ようということになる。週末はいつも大混雑になっているのが見えるので、こういう平日に買いに来よう。

カキフライはせっかくあげたてをもらったのだが、けっきょく明日のおかずにまわることになってしまった。お魚だお魚だいうてたくさん買い物をしてしまったからだ。


きょうの昼は10貫で900円のお寿司を食べた。全種類ちがうので、どれから食べようか。ネットでマグロのお刺身がとてつもなくうまいと書いてあったので、まずはマグロから食べたのだが、正直に書いておくとマグロはマグロだった。というのは、本マグロ大トロ中トロなどのお刺身も売っていたのだがお高いので、きょうはやめておき、このお寿司に使われているマグロはバチマグロとかいうやつだったのだ。だからケチったぶん、マグロはマグロという味がして、なんだこんなもんか、と正直思った。

しかしそれ以降がすごかった。特に甘エビの食感と甘味、またイカの歯ごたえ、アジの身のハリ。最後にネギトロの軍艦巻きを食べて、これはやはりマグロだと思って、しかしなんだこの軍艦巻きに使われている海苔の香りの高さは、とグルメマンガみたいなことを思った。

マグロはだいぶん食べており、日本国内での流通もよくできているから、おそらくマグロはよほどすごくないとマグロなのだ。そもそものマグロの食感ということもあるかもしれないし、マグロは遠い外国から船の上で冷凍にしてやってくるから、ということもあるのかもしれないと思った。が、他の魚はそれぞれに鮮度を感じて、角上魚類はほんとうにすごいと思った。


ほんとうは角上魚類でお魚の写真をとって、みんなで観察しようかと思ったのですが、店内撮影禁止となっていたので、中止になりました。お昼にお寿司を食べた時からもうたのしみでしかたなかったアジの刺身を夜食べたが、我が家の冷蔵庫でもさほど鮮度の落ちを感じず、相変わらずぷりぷりでおいしかった。

2019年2月19日火曜日

よるのはなしのつづきのはなし


夕方、南平駅の踏切が開くのを待っていた。カンカンカンカン遮断機がなり、南平には停車しない特急だか急行だか、通り過ぎる轟音を聞いていたら、記憶がフラッシュバックして、手を強く握った。そのせいで、いまも右手の平が青紫色だ。やはり利き手の方が握力が強いという話だ。

という握力の話ではない。いやな記憶ばかりを集めて、煮詰めているという話だ。そしてそれがフラッシュバックする。「フラッシュバック」についてwikipediaで調べると、待ち構えていたようにそこには、「アスペルガー症候群などの広汎性発達障害でもフラッシュバックを引き起こすことがある」との記述がある。だからwikipediaは信用ができるという話になる。

怒りという感情は、発達障害者が手を持て余してしまう大問題だ。そこには対象のなにに注目し、なにを記憶し、なにを忘却し、といったまさしく脳の問題が複雑に絡んでいるように思う。

本来フラッシュバックというのは、おさないころの記憶が不意に呼び起こされることを指す言葉なのだ。しかしそれがなぜ発達障害者にも起こるのか。発達障害者は発達に障害があるから、大人になっておらず、最近の記憶もフラッシュバックする。それは乱暴すぎる言い方だが、ある意味では正解だろう。

健常な発達とは何か知らないが、人間の成人の大多数は記憶になんらかの、おそらくは言語的な整理をつけて、脳に収納するのだ。しかし、子供は(発達障害者は)その整理ができないのである。だから整理ができていない引き出しから、なにかが取り出されようとすると、余計なものが引きずりでてくる。それをフラッシュバックというのだ。

怒りの感情をどう抑えるべきかと、これまでさまざまにやった。

ある場所では、「あなたは怒りをエネルギーにして行動する人だから、それはそれでいいんじゃないの?」と意味のないアドバイスを受けた。それで他人を傷つけるまで徹底的にやってしまうことを、私はずっと恐れてきたのに。

またちがう場所では「前世が戦国時代の足軽」と言われ、だからなんですかという話だが、成仏できていないと、小さなこけしみたいなのを買わされそうになった。

ある時は意識高い系の交流会に出かけ、流行の「アンガーマネジメント」について勉強した。すると私がアンガーマネジメントについて勉強していることをどこからか聞きつけた会社の後輩が、朝礼のスピーチの時にいかにも得意げに、なんども私の顔を見て、「アンガーマネジメントとは6秒我慢すれば怒りが収まるというもので…」と、インターネットで検索すれば一番上に書いてあるようなことを話して、

殴ってやろうかと思った。これはほんとうに殴ってやろうかと思ったのだ。しかし殴らなかった。殴らなかったからいいでしょう、思うだけならば。

この朝礼のTのスピーチを聞いているときの感情も、あああの時の、としっかり時間のタグがついたかたちで週に1度はフラッシュバックする。フラッシュバックは「いつだかわからない怒り」という形ではやってこないのだ。殴ってやりたい。また会うことがあれば会った瞬間に殴ってやりたい。

しかし無理だろう。そういう出来事があったことは記憶しているが、Tの顔はもうとっくに忘れてしまったからだ。会っても誰だかわからない。この出来事があったのは2017年くらいのこと、まだ2年経っていないが、顔は忘れてしまった。したり顔であったT、という記憶だけを残して。

必要ないことは忘れるに限る、とはよく言ったものだが、それならば全部忘れたらよいのに、脳の中が整理できていないから、いやな感情がヘンなとこにつっかかっているのだ。たとえば「怒った経験を紙に書きだす」といった療法がある。ためこんではいけないらしい。実際、私の脳には大量の怒りの感情がため込まれている。

もう十年以上前、私は交通事故でひかれた。ケガ自体はたいしたことがなかったのに、ぶつかられたショックで脳がおかしくなり、4か月入院した。毎日起きてから寝るまで病院内を全裸で歩き回り、大声で叫んで窓ガラスをたたき割り、富山県高岡市長の指令が出て私はベッドに両手足をしばられ監禁されていた。

「ふだん感情をため込んでいるとショックでそれが溢れだすんですよ」と退院時に精神科の主治医に言われたことを覚えている。私をひいたヤツの名前はやはりはっきりと記憶している。こうして怒りの経験を書き出すたびに、ぐつぐつと鍋が煮詰まっていく。

しかしいま事故自体の記憶や謝りに来た犯人の顔はさっぱりと記憶のかなたになった。そして良い記憶はすっからかんとなり、覚えていなければならないこともすぐに忘れてしまう。薬をのまなくちゃ、と薬のケースを出してきて、さて、ちょっと暖房をつけようか、とやって、もう薬のことを忘れている。

朝昼晩と薬をのまなくてはならない。しかしそのように、のまないと決めているのではなく、のみたくても忘れてしまうのだ。夜は睡眠薬をのまないと眠れないので、眠れなくなったら薬を思い出すふうにできている。朝は50パーセントぐらいの飲み率、昼は完全にのめない。

しかし最近、昼の安定剤を忘れると、しゃんしゃんするようになった。だから、しゃんしゃんしたら夕方に昼の分をのむ。魚のにおいがするDHAのつぶをのんで、血液さらさらにしている。そのうちグルコサミンとコンドロイチンをのんで、膝の痛みをとりにかかるかもしれない。あるいは小さなこけしみたいなのを薬局で、自立支援医療で買わされるかもしれない。

薬がのめないのだから、怒りを抑える技術を学んだところで習慣化できない。フラッシュバックに限らず、怒りが爆発しやすいたちだ。こないだ、発達障害者の集いに出かけたら、同じく広汎性発達障害の診断を受けた若者が登壇し、「ちょっとしたことですぐ怒るという性格は、就労移行支援を受けている間に治した」という言い方をしていた。やはり全般的な障害特有の傾向なのだ。そして順番待ちをしている就労移行支援を信じて、待っている。

昨日の夜、Twitterで書いて寝落ちした話、をここに完結させておく。

2019年2月18日月曜日

「写ルンです」で撮った小田原(競輪場)


先日、小田原(競輪場)に遊びに行った時、その写真は「写ルンです」で撮影した。というのは、わざわざ観光に出かけたというのに、その日スマホの調子が悪く、どうしても写真が撮りたくなって、「写ルンです」を買ったのだった。とすでに書いた。そうしたらその後スマホは壊れてしまって、新しいスマホを買ったのだ、という話まですでにやっている。しかし、肝心の「写ルンです」は、そのままウチに放置されていた。


「北の打ち師達」というユーチューバーは、好きなグループのひとつだ。彼らがこのスマホ時代に「ガラケー」で一週間生活する、という動画をあげていた。それのひとつのクライマックスは、スマホのマップを使わずに知らない街を歩けるのか、というチャレンジで、なるほど確かに、と思った。スマホに依存しているつもりはまったくなかったが、そう言われると初めての場所ではグーグルマップを必ず頼っている。こないだの小田原だってそうだった。


それはともかく、この動画の中でガラケーで撮った写真の画質について、「写ルンですみたい」という字幕が出てきて、ああ写ルンです、と思ったのだった。若者たちの間で写ルンですがある程度の流行をしているとは知っており、だからこそスマホの壊れた小田原で、ぱっと「写ルンです」に考えが及んで、買ったのだった。けれど、内心は「ほんとうに写ルンですなんかで写真を撮って、どこでも現像できないんじゃねーの?」と思っていたのだ。が、「北の打ち師達」が「写ルンです」という言葉を持ち出す様子があまりにも自然だったので、「これなら必ず現像できるだろう」と、きょうは写ルンですを持って出かけた。


そしてあまりにもはやく現像場所は見つかった。八王子駅に降りて、南口のビックカメラに行ったら、1階のカメラコーナーに写ルンですが大量に売られている。現像受付カウンターというのがあるので、そこの店員に「写ルンですの現像はできますか」と聞いたら「もちろん」ということで、「いま出せば3時間後の14時には仕上がります」という。やはり写ルンですは21世紀に再び降臨していたのである。


ということで、すでにじゃんじゃん写ルンですの写真を並べている。最初から「紙焼きはいらないから、紙焼きをスキャナでデータ化して捨てよう」と考えていたのだが、そんな必要すらなかった。紙焼きももちろんできるのだが、最初からデジタル化してDVDROMにしてくれる。これをパソコンに取り込むのはとても簡単で、またネットプリントの注文もすぐにできるようになっているし、「スライドショー」というボタンをクリックすると、なんか美しい音楽とともに写真が流れて、これが楽しい。


すぐ上のこれが、写ルンですで最初に撮った写真だ。写ルンですは小田原の街の写真館で買ったのだったが、その写真館を出ると空に風船が舞っており、そして着物の男女が歩いていくから、パッケージを破ってすぐに撮った写真だ。やっぱりどの写真も風合いが独特ですね。デジタルにしたらデジタルになっちゃうというわけでないところがたのしい。写ルンですの写真は、できればこれからも趣味にしたいと思った。


モチーフが競輪場ということもあるが、これはいったいいつの写真だ、という感じがまたよい。そもそも競輪場に出かけるのだって、時代を見失うためなのかもしれない。小田原競輪場はアジフライが一番おいしかった。



2019年2月14日木曜日

幻想の聖蹟桜ヶ丘


きょうは多摩モノレールが始発から全線運転中止でした。設備故障とのことでしたが、私が高幡不動駅でそれに気づいた瞬間には運転再開。それでも3時間ほどは運転していなかったことになり、通勤に使っている人は困ったことでしょう。またきょうは中央大学の入学試験があったということですから、受験生のみなさんはだいじょうぶだったかなと心配しています。連絡してください。私はただ散歩している無職のおじさんなので、喫茶店で混乱を避けてから、散歩の続きをしただけですけども。

こうして交通が混乱してみると、引っ越してきたばかりの土地の公共交通を確認してみたくなりました。私の住む東京都日野市は東西に京王線、南北に多摩モノレールが走り、その交差点であるターミナルが高幡不動駅となります。

日野市にある京王線の駅は、八王子寄りから順に、平山城址公園、南平、高幡不動、百草園の4駅。プラス高幡不動から多摩動物公園線が多摩動物公園に伸びています。

日野市内の多摩モノレールは、北側の立川寄りから、甲州街道、万願寺、高幡不動、程久保、多摩動物公園の5駅となります。

これに加えてJR中央線がかすめており、豊田駅と日野駅の2駅が、東京都日野市にあるJRの駅ということになります。



私の家は京王線の南平駅のすぐ近くで、こないだ帰りに雨が降っていて、傘を持っていなかったので走ってみたら2分で家につきました。ほんとうに近いです。京王線が走る音がいまも常にしている、安いアパートです。すぐ隣のアパートはウチがあるおかげで少し静かだそうで、家賃が倍だと不動産屋には聞いています。

中古の自転車を購入したので、JRに乗るときは日野駅ないしは豊田駅に自転車で行くこともできますし、高幡不動はもちろん、多摩モノレール沿いに多摩動物公園を過ぎて、私の近日のオアシスである帝京大学の図書館にも自転車で行ったことがありますが、なにしろこの近辺は急坂が多くて、自転車での移動は難儀します。

こないだ高幡不動で自転車を売っているところを見たらみんな電動自転車で、それを見た後すれちがう自転車がたいてい電動自転車と気づいて、自転車に乗るのが面倒になっている昨今です。最近では電動自転車のことを「eバイク」って言うらしいです。田舎に住んでいたらなにもわかりませんね。

この他にバスが走っているでしょうが、バスはまだまだよくわからず、ああバスが走っているわあ、いうてんですけども、きょうは暇だったので、通りかかったバスにひょいと乗ってみました。そのバスは「聖蹟桜ヶ丘駅行き」でした。この記事は以下、聖蹟桜ヶ丘についてのおはなしとなります。



聖蹟桜ヶ丘(せいせきさくらがおか)、この響きはなんなんでしょうか。実に怪しい地名だと思いませんか。私はもう20年はそう思い続け、そしてなぜかこのたび、聖蹟桜ヶ丘の近所の、南平というフツーの地に暮らすことになったのでした。

21世紀のはじめ、私は富山県で大学に通っていたのですが、そのころにもインターネットに、いまと同じような文章を垂れ流していました。当時はブログサービスの前夜で、「テキストサイト」なんて言葉があって、ヤフージオシティーズといういまは消えてしまったヤフーのサービスを使って、みんながホームページをせっせとつくっていた、そんな時代の話です。

時代が変わったからなのか、おじさんになったからなのか、いまの私は、東京都日野市南平に住む発達障害の無職のおじさんです、とあけすけなく文章を書き始めていますが、当時はインターネットにじぶんのリアルな実情を書くことには大きなためらいがあり、そのテキストサイトでの私は、完全に別の人格を設定して、その設定した人格で日記を書くという、ある種の実験をしていました。

この実験は非常に成功し、私の文章を好きになって、毎度読みに来てくださる方もいました。なかでもこだわっていたことは、男だか女だかわからない現代日本語の文体をつくる、ということで、ペンネームもどちらの性別ともとれるもの(「栗本薫」的な)を使っていました。

それはともかく、その日記に私は「聖蹟桜ヶ丘の叔母さん」という架空の人物を頻繁に登場させていました。聖蹟桜ヶ丘という場所がどこにあるのかもよくわからず、そんな叔母さんもいないのですが、ただ「セイセキサクラガオカ」という言葉が怪しいわあいうて、そうしていたのです。

インターネットなるものが一般庶民にも使えるようになりましたよ、という時代。うれしくてパソコンを買ったはいいものの、ホームページをつくるほどの技量はない「聖蹟桜ヶ丘の叔母さん」は、かなり頻繁に、私に対してメールを送ってくる。ただの日記のような「聖蹟桜ヶ丘の叔母さん」からのメールを、私は無断でインターネットに公開する、という設定でした。

「聖蹟桜ヶ丘の叔母さん」は子供がなく、「叔父さん」がバンコクに単身赴任をしているため一人で「聖蹟桜ヶ丘」に暮らしており、少し精神を病んでいるようでした。そんな「聖蹟桜ヶ丘の叔母さん」がメールをしてくるのです。「昨日の夜、目が冴えて、つぶつぶみかんゼリー4つも食べちゃったのよ」などと。

当時の私の頭の中には「聖蹟桜ヶ丘」がどんどん広がっていって、以来いちども聖蹟桜ヶ丘を訪ねたことはなかったので、きょうのきょうまで「聖蹟桜ヶ丘」は「聖蹟桜ヶ丘」でした。飛び乗ったバスのなかで20年前のテキストがよみがえり、しかしバスの車窓から見える風景は全く「聖蹟桜ヶ丘」ではなくて、私は驚いていました。

単純に言えばもっともっと田舎で、どちらかと言えば南平駅に近いイメージでいた聖蹟桜ヶ丘の駅は、大きな京王百貨店がA館、B館、C館と連なり、こんな京王百貨店があったならば「聖蹟桜ヶ丘の叔母さん」ももう少しちがう病み方をしていたんじゃないかな、と思う街でした。



京王百貨店の中にシェーキーズがあり、ランチタイムはピザの食べ放題をしています。1100円は安いと思って入店したらドリンクバーをつけると1300円になり、だまされたと思いました。しかし、ピザはどれもおいしく満足です。数多くの種類のピザが数切ずつ焼きあがってならびます。

どうせピザは1切れずつ食べるのに、シェーキーズ以外の店、特に宅配ピザ業界は、どうしてまんまるにこだわっているんでしょう。ということを考えました。安くてうまいピザの出し方は、他の店ももっと考えたほうがいいでしょう。

ピザを食べながら、スマホの画面で聖蹟桜ヶ丘を調べました。「聖蹟桜ヶ丘 なにが聖蹟」と検索。大正時代には「関戸駅」であったこの駅は、昭和12年に「聖蹟桜ヶ丘駅」と改称されています。やはりそういう時代かあ――「聖蹟」というのは「天皇が来たとこ」という意味だそうで、この近辺は明治天皇がウサギ狩りの遊び場にしており、昭和のはじめになってそのことを記念して記念館が建てられ、そこに桜を植えて、といった歴史。いまも残っているそうで行ってみたかったのですが、きょうは時間がなくて。まあ近所ですから、近いうちにまた――。

と思っていると、シェーキーズに似つかわしくない、老婦人がふたり。シェーキーズはランチタイムのピザ食べ放題が終わると、午後のドリンクタイムに突入するシステムと知りました。私の食べ放題の時間ももう少しと席を立って、レジに伝票を出そうとその時、私の視界の端に映ったのは、アイスティーをのむ「聖蹟桜ヶ丘の叔母さん」でした。

「聖蹟桜ヶ丘の叔母さん」は友達とシェーキーズで笑いながら多摩モノレールが止まった今朝の話をしていたのです。

2019年2月7日木曜日

自閉症とeyes(2)ポストモダンワイン、20年ぶりの「顔」

(前回はこちら)

3.2018年6月11日

山梨県で暮らしていた時、仕事上の必要があって、県特産品のワインを勉強していた。酒に弱く酒が好きでもない私はしかし、ワインの知的な佇まいには惹かれていた。中途半端に放り投げて東京都に引っ越してきたのはもったいなく、これからも勉強を続けていこうと思っている。

その知識体系の全貌が文理の境界に位置するという点を特に私は愛していたが、ただ一方であまりにモダンな知識のあり方には疑問が多かったのも事実だ。ワインが好きな人やワインの専門家には、モダニズムの信奉者があまりにも多い。

世界共通のワイン専門家の称号にMW(マスターオブワイン)という資格がある。その中でも広く知られた人物のひとりにジェイミーグッド氏がいる。日本のワインファンの間で彼は特に『新しいワインの科学』という著書で知られる。ブドウ栽培とワイン醸造の実際をサイエンスとつき合わせて理論的に語るこの本は、ワインサイエンスの基礎を全ておさえている教科書のような本だ。

しかし、そのジェイミーグッドの邦訳最新書『ワインの味の科学』の評判は、私の周りのワイン関係者の間ではあまりよくなかった。ある人いわく「ブログ書いてるみたい。ちょっと気になることを書いて、次に移るための話題をウィキペディアで探して、またちょっとウケがいい話を書いて、次の話題をネットでさがして、みたいな」。

そう言われるとそんな感じもするし、『新しいワインの科学』と比べると、ワイン以外の話が多いのは事実だろう。けれども私は、この本を読んで「救われた」という気持ちが強かった。


たとえばワインのテイスティングは、暗記科目みたいな仕事である。この赤ワインは「黒い味」がするか「赤い味」がするかには必ず正解が存在する。土のような香りがするもの、生木の感覚があるもの、などを探して、これはエイジングポテンシャルが高いです、などという。

そんななかでひとり「なんかコフキイモみたいな味がしませんか」と型にはまっていない奇妙な発言があると、みなさん心中で「はい?(笑)」と言いながら黙っている。

そしてまた「これはうーん、シュガーハニートーストですね」と、特殊ながらもまさしくビンゴなタトエがどこかから出ると、みなさん「くっそ負けたわ」と心中を煮えたぎらせて、やはり黙っている。

そんな近代という時代の遺産のようなスノッブの応酬。それがワインテイスティングなのだということがわかってから、私は果たしてこんな無駄なことをして残りの人生を生きていくのだろうか、と本気で悩んでいた。

その悩みは直後の数ヶ月で、全く別の側面からなぎ倒されるように状況が変化して、私はいま無職のおじさんになっている。その土砂崩れ自体についてはこれからなんどもなんども書いていかなくてはならないが、きょうはその話はとりあえずいいのだ。

あとですぐにつながってくるから。

ジェイミーグッド『ワインの味の科学』は、ワインを飲むときに聴く音楽ぐらいでワインの味は変わるし、従来のワインテイスティングのように個別の風味要素を取り出すことに重きを置かず、味の全体性を捉えたいと主張した。また味というものが「間主観的」に立ち上がるはずだと言い切ったことは、この本にこれ以上ない価値を与えている。

味が「間主観的」であるとはどういうことか。それは「味に答えなんてもんがあるはずがない」ということである。Aさんは「赤い果実、またコーヒー」を感じたが、Bさんは「腐葉土のような」と言い、Cさんは「こふきいも」であるとしたときに、どれが正解でどれが不正解ということはなく、みんなでそうやって意見を出し合って飲んだこの一本はおいしいね、とそこが大切でしょうよと。

ようやくワインの世界にもこういうことを言う人が出てきたのだなと、私はほっとした気分だったのだ。

いま私の手元にはこの本はなくなってしまった。同じ職場で同じ業務を担当していた新卒のたくまくんと山梨県甲府市のワインバーで仕事終わりに2人で飲んでいたとき、ワインの世界にやはり同じような息苦しさを感じているのがわかったので、そのとき読み終えたばかりでカバンに入っていた本を、そのままあげてしまった。この記事を書こうと思って近所の図書館など検索をかけたがどこも所蔵していなかった。

だから以下は(というか以上も)完全に記憶を頼りに当てずっぽうで書いているのだが、この『ワインの味の科学』という本のなかに、どういう文脈かわすれてしまったのだが、
「画像認知」の話が出てくるのだった。

たとえば「不気味の谷」の話。かわいらしい絵(アニメ)をどんどんリアリズム化していくと、ホンモノの写真(ビデオ)の直前に、「不気味の谷」といわれるココロの空洞が強調された人形のような図像があらわれるという話。

そして前回の記事で、思わず20年以上も前の自分で書いたブログ記事を、インターネットの粗大ゴミ置き場のような場所に行って拾ってきた、そこに書いてあった「人間は逆三角形にならんだ3つの点を見ると、それを顔と認識する」という話。

こんなおもしろいはなしもあったなあと拾ってみて、あれ?この話ジェイミーグッドにも出てきてたよな、と思い出したのだったんである。

より記憶に正確に書くならば、本のその部分ではウタフリスという心理学者が登場していた。彼は自閉症を専門にする心理学者で、そのウタフリスによれば、自閉症の患者は3つの点を顔に感じることができない、また三角形がぐるぐる回転しているアニメに健常者は
「ダンスをしている」といった認識をもつが、自閉症の患者は三角形がまわっているだけという認識しかできない、といった話が書かれていたでしょう?


画像をクリックすれば、ウタフリス先生のホームページにとぶ。『ワインの味の科学』を読んでいた2018年の時点で、ウタフリスのホームページにはこの静止画だけが残っていて、この三角形が動くアニメーションはそれがあった場所の痕跡だけが残り、いまでは動いている様子をみることはできない。(ということを読書の当時にも私は確認している)。

『ワインの味の科学』という本で、こうした話題がどう扱われていたのかを、私はほんとうに忘れてしまった。だから私が思うようにここに書いておくならば、ワインの味に「正解」がないように、人間の感じ方にも「正解」はないのではないか。

まわる三角形のペアを、親子があるいはカップルがダンスしていると捉える人がいれば、ちっちゃい三角形がなんかくるくるしとるわえと言う人もいる。クルマのヘッドライトとナンバープレートを動物の顔と見る人がいれば、クルマはクルマですよねという人もいる。ちょーリアルな人間の絵をみて、リアルだなあという人がいれば、なんか不気味だがねという人もいますと。

それのどちらかが健常で、どちらかが病気というのはどうなのか。なんで「赤い味」が正解で「黒い味」は不正解なのかと、そういう話なのではないかなあと、そういうことでありましょう。

といったことを記事にしようと思って書いていたら、ウタフリスの読みやすそうな本を近所の図書館で見つけて読み始めたので、次はその話を書こうと思っているところで。とりあえずおしまいです。

天王洲アイルは何色ですか


天王洲アイルという場所に行ったと前報しました。ここに行った理由の本題を書くのはもう一つ先にしますが、しかし天王洲アイルという場所は特有のセンスを持つ街でした。トーキョーベイの海風を感じる倉庫街を基調としているのですが、不思議と大型トラックがびゅんびゅんしている感じがなく、素敵なカフェやらなんやらがあってという。「アイル」は英語で「島(アイランド)」だそうである。


まだ黙っている本題のイベントの帰り、というか行きがけから気になっていたのが、このショップ「PIGMENT」でした。こんなところでこんな店があるのかというおどろきと、外からの見た目の美しさと。なかなかこういうハイセンスなところに入ってみようという気分になる人じゃないのですが、これはぜったい見ておくべきだわというものを感じて、そろそろとおじゃまいたしました。

日本画材のお店のようでした。店の外から私がまず気になったのは、この筆の配置でした。民俗学の学術的な展示の雰囲気すらある。美しくて、見入ってしまいました。

インターネット調査によりますれば、たてものは隅研吾のデザインとのことです。モダンな感じと竹が象徴する日本の伝統感がきちんとマッチしています。


そしてやはり目をひかれるのは顔料の、それぞれの色の美しさ。これはもう写真にとらないともったいないと思って、ふだんはそんなことしないのに、思わず店員さんに声をかけて、この店の中を写真に撮ってよいか聞きましたら、撮影は自由だしハッシュタグをつけてじゃんじゃんネットにあげてくださいとおっしゃっておられまして(笑)、このようにまとめさせていただきました。






さすがに顔料を少しおみやげにといった感じにはなりませんでしたが、とにかく見ていて飽きないです。画材屋でありながら自らも美術館的役割を自覚してらして、時おり展示の解説めいた説明板などもあり。天王洲アイルに行く機会がありましたら必ず立ち寄ってごらんになることをオススメいたします。

ウズベキスタンの商人

きょうは一日、新しいことが何もできず、敗戦処理のような仕事ばかりしていた。見かたによっては新しいことをしているからアタマが疲れてしまう。そして処理的な作業はやはりそれに追い討ちをかける。なぜこんな仕事をしているのか。きょうこんなことをする予定はなかったのだ。

突如としてスマートフォンを昨日、買い換えたのである。スマホの端末代を分割で毎月の通信費にするのはただの借金生活でしかないと知って以来、スマホはとにかく安い金額のものを一括でと決めている。そんなふうに選んだ前回の機種は、韓国だかインドネシアだかの発音できない謎メーカーのしかも型落ち品で、家電量販店の在庫処分的なものを当時1万円で買ったのだった。2年くらい前である。


そのスマホが近日調子を悪くしていたことはここでも書いていたことだ。なにが調子悪かったのかといえば、まず充電がひたすら遅い。そしてせっかく充電された電池がすぐに空になる。それから使っているとすぐにスイッチが切れて再起動になる、といったことである。

これは調べてみるにバッテリーが寿命なのであり、まあ近いうちに修理に出すことになるだろうと、街を歩きながら修理をするとしたらどこでどうすればよいのかと考えていた。たとえばiphoneのバッテリー交換を即日でしてしまう業者は、この日本の首都Tokyoにはいくらもあるのだが、その店でこの台湾だかシンガポールだかのスマートフォンも修理することはできるのだろうか。



昨日はまったく知らないところに遊びに行った。その土地は天王洲アイルてなんじゃそらいう名前の街。浜松町から羽田空港に向かう東京モノレールの浜松町の次の駅である。おかしな名前の街になにをしにいったのかはまた近日中に書くとして、天王洲アイルの駅でモノレールを降りた瞬間、スマホの電源がまた落ちたのである。去り行くモノレールの写真を撮ろうと連写していたら、画面が真っ暗になった。ついさっき新宿のカフェで充電をして、なんとかなりましょうとやってきたところなのにだ。

知らない街でスマホを持たないということは、これはもうどうにもならない。グーグルマップの通りに歩こうとなにも道順を調べていないし、なんならもう行く場所の名前すら覚えていなかった。天王洲アイルという謎の土地、とりあえずセルフうどん屋で釜玉うどんを食べてどうするか考える。あしたもういちど来るしかないのじゃないか、しかしきっと目的地はすぐそばのはず、がそこは大きな施設ではないのでどこかで道を尋ねても誰も知らないだろう。帰るか。

が、帰ろうとしたときファミリーマートがあり、ファミリーマートにはモバイルバッテリーが売ってあるのだった。いままでずっと迷っていたモバイルバッテリーをこんな形で買う日が来ようとは。購入してつなげると再び画面が映り、グーグルマップが使えた。目的地までモバイルバッテリーをつなぎっぱなし、目的地では写真も撮影でき充実した天王洲アイルだったのだが、再び天王洲アイルのモノレール駅に着いたとき、いよいよモバイルバッテリーの電池も使い果たしてしまった。

モバイルバッテリーは販売時、電気が少しだけ入った状態で売っているので、また充電したらよいし、きょうはもううちに帰るだけだから別に大丈夫なのだがしかし。ここでブチ切れたんである。たまにこういうことがある。もうがまんができないのである。きょうスマホを修理しなくては気がすまなくなってしまった。先ほどまで見ていたのである。私が持っているタスマニアだかウズベキスタンだかのスマホメーカーが日本でただ一箇所、永田町にショップを持っており、ここに行けば即日で2000円でバッテリー交換ができると、そう書いてあった。


地下鉄の出口の番号も覚えていた。その番号の出口を出たら道の反対側を眺めれば、そのショップがあると、もう電池が切れたとき用に全てを記憶してあったのだ。記憶どおりに地下鉄を駆使してショップにたどり着いた。はるばるきたぜタジキスタン、もうここにくれば安心だ。受付の書類をつくりますとどうみてもこのショップには日本人しかいなかった派遣社員かアルバイトか。もうはよう2000円でバッテリー交換をしてくださいと、そう訴えたのだが、それはかなわなかった。

まずあんたはどこで2000円という情報を見たのか知らないが、それはバッテリーの代金であり工賃が別に5000円かかりますと。じゃあ7000円で修理できますね、というといや、いやそれがですねそれだけ電気が入るのが遅いのはなぜかといえば、たとえばこの充電コードの差込口がですね、ルーペで見ると歪んでいるんです。ほう、ではそのルーペをちょっと貸してください、というといやお客様が見てもわからないとおもいますよとボスニアヘルツェゴビナが言う。カチンとくる。それにねえこのコードの差込口にポケットだかカバンだか知りやせんが繊維くずが詰まっておりましてもうこのスマホだめなんですよ、とスウェーデンが言うのだ。いやだからルーペかして素人でもゴミがつまってんのくらいわかりますからね。ルーペヲオカシスルコトハデキカネマー。はァ?いうてですね。

ではその差込口の部分を替えたらいいでしょうというと、この部分の部品も2000円である。じゃあ9000円払ってなおるんならそれでお願いします。といったらソレデモインデスケドネーソレデモインデスケドネーと繰り返すケニア人。デモネー20000円出セバ新品ガゲットデキルヨデキルデキルヨネー。あのですね9000円でなおるんなら9000円でなおしますよといってもこいつ聞かねんだわ。価格は倍になりますがこのあとのことを考えると絶対に損はさせませんという、それはなんとなくはわかるまた壊れるとかそういうことを言っているのだろう。しかし新しいものにしたってまた2年もすれば壊れるその程度のものをオタクは製造販売してはるわけでしょう。イニシャルコストとランニングコスト、この話ももうここで、しましたよね。

だけどそれ以上にね、私はショックだったのだ。日本で唯一のショップを、日本の首都の中心の中心に構えて、それだけ自社の製品をジャパニーズに大切にしてもらおうというその店が、そんな古いもんは捨てて新しいの買ってくらさいと、ただの家電量販店みたいなことを言うとは思わなかったのだ。じゃあおめえさ、なんのために永田町にショップ開いとんがよと。押し問答をしながら呆れてしまって、もういますぐこのショップを飛び出してどこかのビックカメラに行って安い新しいスマホを買ってしまおうと思い私は、もういいと。

本来は36000円だが修理に来たあなただから20000円だというそのニュージーランドのスマートフォンを買うたったのである。


疲れた。さっと立ち寄って修理して帰るつもりで昼に入店し、一連の押し問答を終えて新しいスマホを手に中南米あたりのショップを出たときはもう、まっくらな夜になっていたのだった。ショップを出たらすぐとなりのサンマルクカフェでチョコクロをかじりながら初期設定をはじめて、その設定の残りをきょうも一日していたというわけです。この話のポイントがいったいどこにあるのか、言い争いをしていたこともありとにかく心がかき混ぜられて、いまも不安定な感じがして気持ち悪いのですがしかし、なぜだか突然最新のスマートフォンを手に入れてみるとたしかに動作が滑らかできびきびもしていて、明日くらいからは疲労も忘れて、機嫌よく生きていけそうな気がしている。

古いスマホはwifiが飛んでいる家の中でコードに常時接続しておく限りはいまのところタブレット的に不自由なく使えるため、家に帰ってスマホがいじりたい気分のときは古い機械を使い、新しい電話は充電位置を決めて家では触らないことにした。

2019年2月5日火曜日

京王線新宿駅ルミネ口


はい、京王線新宿駅ルミネ口におります。ここはいったいどういう場所なのかという情報を現地で興味のままに調べてまとめておきます。

京王線が私たちの東京都多摩地区よりズドンと突き刺さるそのドンヅキ終点が新宿駅ですが、突き刺さりました時の方向的に前方の階段をのぼっていくとJR線にのりかえができます。一方で、進行方向後ろ寄りの階段がルミネ口。つまりですね、私の住処である南平駅は新宿行の進行方向後ろ側にしか改札がありませんので、「我が家はルミネと直通」ということを本日ここに宣言させていただきたいと思います。

ルミネ口の改札は新宿ルミネ1というファッションビルの地下2階のすみっこ。ルミネ口の利用は6時30分から22時までとなりますのでご注意ください。新宿ルミネ1はJR新宿駅南口(バスタ新宿の向かい)の並びにあります。京王線のJR乗り換えも南口方面への案内ですから、ほんとうにルミネ1に用事がないと使わないんじゃないのかなあと思うのですがどうでしょうか。私はきょうただルミネ口に興味があるだけでルミネ口に出てきてしまいました。


私がいまどこでこんな文章を書いているのかと言えば、その京王線新宿駅ルミネ口改札出てすぐ、新宿ルミネ1地下2階「ザ パイ ホール ロサンゼルス ルミネ新宿店」。スマホの電源がやばくて立ち寄りました。パソコンをする用にしつらえた感じの長机にはおそらく22口の差込があり、ふつうに複数人で食事なり休憩をする人々用の丸テーブルと離れた位置にあるため、この都会にあってはなかなか静かというか都会だからこそ静かなのかもしれません。八王子方面でこういうノマド的な行動に出ると老人会の帰りみたいな団体の声がたいていうるさいです。

ひとつの問題は店内にトイレがないことで、複数人で来ていたらルミネのトイレに出かければよいのでしょうけれど、一人では気がひけますね。しかし荷物を置いてトイレに行っている人もそこそこいました。トイレはこのカフェのレジで注文をするように立った時の背中方向に歩き、とんかつまい泉を目指していってください。

そうです、これを書いとかなきゃなりませんが、ルミネ新宿の中では「ルミネフリーワイファイ」がとんでおりましてこれは便利です。「ルミネフリーワイファイ」につなごうとしたときに出てくるページでメールアドレスを登録すれば1年間無料でつかえます。とくにパスワードなどは必要ございません。1時間ごとに途切れるのでその点は注意してください。すぐつなげばつながりますが作業データなど注意しましょう。

そろそろ目的地に向かって出発しようかと思うのですが、まったくスマホの充電がたまりません。もうこのスマホはダメなんでしょうか。それともやはりモバイルバッテリーを持ち歩くべきなのでしょうか。半年くらいずっと、モバイルバッテリーを買うかどうか迷っています。それではさようなら。


それでまた、こんにちは。とある土曜日、新宿に用事があり、またあそこで休憩しようとルミネ口にむかいましたら、あの快適なカフェはとても座れないほどの大混雑でした。ルミネ口という京王線の改札自体は、昼間ということもあり、使用者は少なくみえました。しかし、そんな便利な場所のカフェが静謐を保っているのでは、なんて考えが甘かったです。もうなにもする気が起きず、そのままルミネ口から京王線に乗って、東京都日野市南平に帰りました。

2019年2月4日月曜日

自閉症とeyes(1)画像認知と記憶



1.2001年12月23日

明日はクリスマスイブなんですが予定は特になにもなく、きょうから「画像認知と記憶」という心理学の集中講義が4日間つづきます。クリスマスイブよりも天皇陛下の誕生日よりも、Tokyoから集中講義をしにくる心理学者の予定が最優先されています。打ち上げには出ません。

――「見る」というプロセスは非常にふくざつなものですが、目に飛び込んでくるのは光という刺激にすぎません。入力された刺激は脳がすぐさま分析をとりかかります。物体のかたちを認識する、かたちに込められた意味を認識する。そうしてはじめて、「ものが見える」のです。

経験と記憶。自分が経験してきたことが脳の中で知識体系をかたちづくっています。その知識体系はカテゴリー分類されているかもしれないし、近い概念どうしが結びついたネットワーク状のものかもしれないけれども、詳しいことはわかっていないし、個人差もあるかもしれません。ともかくそうした知識体系から記憶を検索し照合することで、人間は世界を見ています。

明日がクリスマスイブの夜ならば、誰かの目をみつめてみましょう。相手の目はぴこぴこと常に動いているこれを眼球運動といいます。いわゆる凝視をしないかぎり、目は1秒の間に3~4回動いているのです。そして目は、止まったときだけ画像を処理しており、ぴこぴこ動くあいだは画像を認知しないようになっているのだって。

つまり、人間が「見る」世界は不連続な、まるで映画のフィルムのような世界。ただし映画のフィルムの場合、コマとコマを繋げているのは残像効果ですが、眼球運動の場合は単純な残像に感覚記憶が介在しているそうです。

感覚記憶とは、目に飛び込んできた光情報にあえて意味を見出さず、かたちのみが脳に照射されるタイプの潜在記憶。つまり人間は1秒間に3~4回、目をとめて世界のかたちを把握。把握されたかたちは、次に目をとめる1/31/4秒後までの自動バックアップであり、眼球運動をしている間の見てない世界は記憶がつないでいるのです。世界をなめらかに見るために、脳は常に活動を続けています。

2.2001年12月24日

こどもの頃からずっと疑問に思いつつ、だれかに尋ねるまでもないと放置していたことのひとつに、「自動車を正面から見るとなんだか動物の顔っぽいのだが、デザインしているひとは意識して顔っぽくしてるのだろうか」というものがあった。

きょう、大学の前で自動車3台が玉突き事故を起こし、クリスマスで浮かれているから事故るんだわと思ったが、それにしても自動車の鼻がひんまがっており、クルマがたいそう痛そうに見えるのだった。3台分の乗員がクルマの近くで会釈などしながら談笑しており、ドライバーに怪我がないのはよかったが、あれだけ自動車くんが「痛いよう、痛いよう」と泣いているというのに、クリスマスに浮かれたドライバーが無傷であると、少々しゃくにさわる部分も出てきても当然というものだ。

あらためて自動車を観察してみるに、ヘッドライトふたつが目のようであり、ナンバープレートが中央についていれば、おそらくそこが口である。

目の形にはさまざまなバリエイションが存在するわけだが、私はやはり軽自動車に多いまんまるな目がかわいいと思う。一般的傾向としては、四角い空虚な瞳やきつね目の車が増加傾向にあると思われるが、いかにも性格の悪さを露呈している。口は基本的にみなおなじだが、ナンバープレートが丁度いい具合に中央からずれ、おいら口とんがらかしてんだぜい、といった風情を醸し出してみるのも、また一興である。

心理学の集中講義で「人間は、点みっつが逆三角形に置かれていると、かならずそこに顔を発見してしまう」という話題が出た。だから自動車も顔のように見えるというわけだ。いったん「あれは顔なんだ」という思い込みをすると、その記憶の部分が活性化されるため、いつまで経っても顔であるどころか、どんどん顔に似てきているように感ずることもあるという。

樹皮を観察してみると、表面のでこぼこがなんとなし顔に見えることがあるが、これも同様のことだ。でこぼこが多い大木は神社仏閣の周辺に多いため、ついつい「心霊現象だ」などと騒ぎ立てたくなるが、実はそんなところにも人間の「顔発見心理」がはたらいていることが多い。天井のシミが顔に見えてくるなども同様である。

本日の聴講を終えて自転車で古本屋めぐりをしてきたのだが、国道41号線の大渋滞が顔の列に見えすぎて困った。ケンタッキーフライドチキンの駐車場へはいる車列から「肉をくれ、肉を食わせろ」という声が聞こえてきたのも、一種の心霊現象というものだろう。

捨てた今となっては


私はもの忘れがとてもひどいです。とても大切なことでもメモを取っていないといつの間にか記憶が消えています。そもそもメモを取ったことを忘れていてある日突然メモが出現し、ビックリすることも多いのです。よくテレビドラマや映画で、記憶を保つことができない人の涙なしには見られない切ない物語、みたいなものがありますが、そんなロマンチックな展開が私の人生にも訪れないものでしょうか? しかし現実のもの忘れがそんな切ないはずがないのです。だって、もの忘れがひどい人は「切ないことの発生」という出来事すら、記憶から消失するのですから。



去年の秋くらいに私は前職を辞めたのですが、それがいつのことだったか、またなぜ仕事をやめたのかさえ、いまの私にはもはや説明することができません。たとえばツイッターを辿れば、そういうことをつぶやいてきた気がしますが、辿るのもめんどうくさいのでやりません。そうした面倒の一切を忘れることができるのは、ある意味幸福なのかもしれないと、そう思うことにしましょうか。


しかしあきれるほどの事件が昨日発生しました。発達障害の某プロジェクトから電話連絡があり、むかし病院から発行されたある書類を提出するよう求められました。その書類は家のパソコンデスクの下の黒い表紙のファイルに綴じてあることを珍しくパッと西野カナのように思い出したのですが、あいにくその電話を受けたのは出先でのこと。家に帰るまでに提出要請じたいを忘れてしまうことが心配されました。

そのとき再び思い出したことは、昨年スキャナを買った際、あらゆる書類をデータ化してクラウドに上げたのち、その大半を捨てる断捨離をおこなった際、この捨ててはいない書類もスキャンをしていたということでした。だとすればクラウドにはPDFで保管してあるはずであり、このPDFをメールで今すぐに送っておけばよいのだということに思い至ったのです。

ところが。このスキャンした書類がどこのなんというクラウドにアップされているのかが私にはまったく思い出せなくなっていました。私の購入したスキャナは、読み取った書類を、文書・名刺・写真・レシートの4つに自動で分類し、それぞれ指定したクラウドサービスに振り分けて保存するというスグレモノ。写真は毎日のように何らかの利用をしているgoogleフォトに格納され、レシートはスマホでやはり毎日確認している家計簿ソフトにデータ化されて記録されていることを覚えているのに。

あの昨年秋のミニマリズム運動の際、文書と書類が同じクラウドにどんどん収納されるのを確認した、あのクラウドってどこのなんだっけ? スキャンデータをすっかり見なくなり、ただスキャナに書類を通しては捨てるだけの簡単なお仕事をする軽作業者となったおじさん。思い出せる限りの私のwebアカウントにログインし、そのアカウントが所有しているクラウドなるものにアクセスしてみましたが、どのクラウドもすっからかんのからっぽでした。

スキャナの働きを制御しているのはスマホのアプリであり、そのアプリを開こうとしましたがなぜだかそのアプリに入場することが拒否されました。毎日レシートが家計簿にきちんとデータ化されているのにも関わらず。スキャナのアプリはインストールしなおし、今度はいまきちんと使用している意識のあるクラウドに紐付けをしなおして、環境は復帰されました。昨夜は家に帰ってから、提出必要書類をあらためてスキャンし、クラウドにPDF化されて格納されたそれをダウンロードして、メールで送りました。



それはそうとして、あの断捨離活動においてスキャンの後処分してしまった書類たちは、もう永遠に私のもとに戻ってくることはありませんでしょう。実際にはインターネットのどこだかにたしかに存在するはずで、さまざまな展覧会や映画のチラシ、腎臓が悪い私の定期検査の数値推移、高校や大学の卒業証書、前職場の機密的データやいただいた名刺などは、人類の遺産としていずれ発掘され活用されるでしょうけれども、私からは完全に失われてしまったのでした。

この出来事は一瞬だけ私をヒャっとさせました。しかし「完全に消えたわ」と知った後はむしろすがすがしく大笑いをしたものです。

たとえば卒業証書、それは卒業証明書という形で実用的には何度でも復元されるものでしょうが、卒業式で受け取ったあの紙自体は永遠に還ってきません。しかしそもそもそのような唯一のものをデータ化したにせよ、捨てたのは邪魔だから、だったはずなのです。あの筒、どこにどうやって保管するのが正解か、一切わからなかった。

名刺だってそうです。職務上もらったはいいけれど、自分から連絡できる人などただの一人もいなく、かといってただ捨てるのも失礼な気がしてスキャンしていましたが、本当はもうただただ捨てたくて捨てたくてしゃーなかったのんです。

クラウドにつっこんだ時点で、実は捨てたも同じ。スキャナを通した紙からは精神的重圧が希釈されて、ぺなぺなになるから捨てられる。「断捨離」という言葉の本質を見る想いがしませんか?(意味不明瞭)



数十年後、著作権が消えたこの文章を、まだ生まれてもいない誰かがどうにかして活用してくれることを、私はたのしみにしています。ありがとうございます。

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