2019年5月29日水曜日

テープ起こし少年たなか


田中がいま学校で喜んでやっている作業というのは、いわゆるテープ起こしというやつ。いまどきテープ起こしなんか機械にやらしときゃいい、反面、ミーティングの議事録をやってくれよと、そういうことはまわってくるので勉強しているのです。

田中は入学してはじめてテープ起こしで主席を取りまして、かつてテープ起こしを仕事にしていた人より早くできるので、以前にやっていたことがあるでしょうと先生に聞かれました。それくらいうまいです。

テープ起こしなんかやったことないのに、なんでこんなにうまいんだろうと自分で考えていたら、なんのことはない、田中は小学生のころまさしくずばりテープ起こしをやっていたのでした。そんなこと記憶の底に沈んでいました。きょうはその思い出を書きたいと思います。

田中は小学生のころ、日本語のワードプロセッサーを買ってもらいました。それを使って何をやっていたのかというと、東京都の全ての博物館をまわり、博物館の展示パネルを一言一句メモしてきて、それをワープロに入力し、印刷してファイリングするのが趣味だったのです。これっていまになって考えてみれば、いかにも発達障害児的なエピソード。なんでいままでそれを医者にも先生にも語ることがなかったのか不思議です。

その延長線上に、テープ起こしがありました。もう博物館は行き尽くしてしまうと、たとえばNHKテレビジョンの『小さな旅』なんかを、ビデオテープに録画したり、またウォークマンをテレビジョンに近づけて録音したりして、その音をワープロで起こしていたのです。

そうした趣味は小学校の高学年から中学生いっぱいまで続きました。なんであんなことをしていたのか、それをきょうまでなぜ忘れていたのか。やっぱり本当に田中は発達障害なのだと、いままで半信半疑だったのが本当にそうなのだと、ようやくわかりました。

だから、鉄道好きの発達障害者が鉄道会社を目指すように、文字好きの田中も文字の会社に就職しようと、ようやく方向が見えてきた、そんな本日です。

2019年5月28日火曜日

気分が視線を変えるが、視線は気分を変えなかったので


写真はTwitterにも出したもので、池袋駅の改札のところにある「ランチパックcafe」というランチパックの専門店の写真です。もう2か月も毎日歩いている場所なのに、きょうはじめてここにあると気づいて写真に撮りました。

朝夕でちがう改札を使っているので、ここを通るのはまいにち学校が終わった後ということになります。毎週ちがう訓練をしているのですが、今週やっている訓練はこのブログを書くように文章を書く訓練で、こういう仕事があるならぜひやりたいという作業で、だから気分がとても明るく、すると学校が終わったあとの視線も上がって「ランチパックcafe」に気づいた、ということでしょう。

だから逆に、視線をあげたら気分も自然と明るくなるんだよ、という本も以前読んだことがあって、前の会社にいた時実践したこともありましたが、視線をあげただけで気分が明るくなるなら精神科なんかいりませんよね。田中にはまったく効果がなく、仕事を辞めていま発達障害者の職業訓練を受けています。

自己分析の森を探査中の田中、きょうは2冊読み終わりましたので報告をやります。まず1冊目は辻秀一『スポーツドクターが教える一瞬で心を「切り替える」技術』。心がゆらいだときに「フロー」に切り替えるために、手帳を活用するというアイデアがぱらっと立ち読みした時にわかったので購入しました。

毎日なにかを書くことで、心の状態を把握して、落とさない、そういう方法を見つけたいと田中は思っているところなので、もしかしてこの本なんじゃないかと思って買ったのですが、どうも田中には合わないようです。たとえば会議中でも好きな食べ物のことを思い出すとそれだけで気持ちはよくなると。それは事実なんでしょう。でも、だから手帳に「お好み焼き」と書くんだというのです。この本にあるように手帳を使ってみようとしたんですが、それをやりはじめると手帳が手帳じゃなくなってしまう。精神のための手帳を一冊持っていても構わないのですが、一冊でも足らない。定型が示されておらず例がたくさんあるだけだから、どこをどうマネしたらいいかわからないのです。

会議で無駄話が多くてテンションが下がる時に、とりあえず笑ったり深呼吸をしてやりすごそうというのは、視線をあげる方式でちょっと信じがたくはありますが、しかし無駄話でテンションが下がるという事例があるのだと、田中もそうなんだよと思って、それはよかったです。

2冊目、『ロジカルプレゼンテーション就活面接グループディスカッション対策』。田中が学校でやっていることは、会社の労働のままごとだと、そういう説明を受けてやっているのですが、しかし職場でこんなことほんとにやるけえ、と思ってやっていたのですが、この本を読んだら、学校でやっていることはグループディスカッションなんやわ、とわかりました。

田中はおじさんで、新卒のように会社の面接でグループディスカッションなんかやらないでしょうが、いま学校では毎日毎日、ちがうグループディスカッションをやって訓練しているのだと、田中の学校の様子を知りたい人にはそういうふうに説明できるとわかりました。

志望動機をはじめとする面接定番の質問に答えるための準備が書き込み式で大変使いやすいです。田中はブックオフで3年前のやつを安く買って使っています。やっぱりいわゆる「就活」をやると、田中の精神は安定するようです。じゃあ仕事についても田中は一生就活しつづければよいのでしょうか。そうではなく、いまのように本を読み漁るのでもなく、たとえば日記のような感じで、精神を安定させる方法をさがしています。よいのんを知っている人は、田中に連絡をしてやってください。

 

2019年5月26日日曜日

楽観主義の意志


なんだか気分が重い今週末。薬を飲み忘れていたことにようやく気付いてなんとか持ち直しています。Amazonのprimeビデオで2本のテレビドラマを見ました。

一本はいまも途中なのですが「民王」、アメリカが日本の総理大臣の脳波を操作しているのではないかという疑惑が語られはじめるところまで見ました。いちおう「スダマサキッズのおじさん」として菅田将暉ファンを名乗る田中ですが、まだまだ見ていない作品は多い。けれども、見つけてみるとどれも面白いですからさすが菅田将暉です。人間の精神が入れ替わるおなじみのコメディは、肉体という器の内面に精神があるという例の構造を出発点にしていますが、政治がからむことで社会的役割が変わった時に精神がどう変化していくのかが強調されているように感じられます。入れ替わるのが親子いうのもポイントでしょう。

もう一本は「重版出来」。全部見ました。漫画出版業界の話ですが、漫画家と編集者、また営業という複数人が一つの作業に従事するという構造のなかで、個々人の精神がどう影響しあうのかを描いています。また漫画家が自分の精神を作品にどう投影していくのか、この様子はみていて考えさせられるところがあります。そのように、自己分析を現在の課題としている田中は、なんでもかんでも自己分析に見えて仕方なく、おそらくはそれで気分が重いのです。それでも薬をのめばある程度持ち直すのですから、人間の精神はいったいどうなっているのでしょう。

鈎治雄『楽観主義は自分を変える―長所を伸ばす心理学、前回からはじまった田中の自己分析プロジェクトの2冊目の本です。うーん、読み物としてはいいんですが、じゃあどうすればいいのよ、という感じが否めません。帯買いをしましたが、重要なメッセージはこの帯に尽きているように思いました。すなわち「「悲観主義」は気分、「楽観主義」は意志」。人間はふつうにしていると、なんとなく悲観主義になるものだと。そのとき楽観主義になりましょう、という意志がなくては楽観主義になりません。そういう話です。今夜はワインを開けてたのしく過ごし、明日からまた頑張っていきましょう。

2019年5月23日木曜日

自己理解と自己啓発の図書館


発達障害者として次の仕事に応募する田中に、いま必要なのは自己理解ですと、そのように学校で言われますので、自己分析の本をたくさんやっていきますよと。それでこの前書いたように、自己分析の本をやっていると、自己否定の感情が薄らいで、将来が見えるような気がして、精神的に苦しいみなさんにはおすすめですよと、そういう話をこないだやりました。

大学を文学で卒業した田中、あるいは読書が趣味の田中、にとって、いわゆる自己啓発本はこれまで、読む価値のない本であったと、こういう感覚は物語を得意分野とする読書家のみなさんには共感していただける感覚なのではと思うのですが、大人の発達障害者がこれから発達することがあるんだとしたら、それは意識的な自己啓発以外にはないのではないでしょうか。ということで、弊ブログではこれから、就職活動の自己分析本とその周辺、また自己啓発本の類を読むたびに、報告をやっていこうと考えています。

そこで先日読み始めたと申し上げた本をさっそく読み終えていますから、それからやっていきましょう。梅田幸子『最強の自己分析』。この本のよいところは、こないだも書いていますが、新卒就職の大学生よりもむしろ転職者をターゲットにしているところです。ワーク形式で本に書き込んでいくと、自分が次にすべき仕事の像が見えてきます。得意⇔苦手、心が喜ぶ⇔ストレス、という二軸のマトリックスをたてて、この「得意で心も喜ぶ」という仕事をしないことにはうまくいきませんよというのは、これまでの実感からもきっとそうだろうと思うところです。
大丈夫です。”過去”は変えられますから。
もちろん、起こった出来事は変わりません。
しかし今、幸せなら過去のすべてを愛せるようになります。
これからの生き方次第で、今感じている後悔も消える日が来るのです。
 これはまとめのところの一節。全部が全部こんなポエジーではなく、もっと実践的なワークが盛りだくさんなのでご心配ないように。しかし、いつまでも過去の嫌な記憶にとらわれていても仕方ねえよな、とは思っていたところですから、こういう言葉が沁みました。とくに転職を考えていらっしゃらない方にも、学ぶところ多い本のような気がします。どうでしょうか。

 

育ってきた環境が違うから


育ってきた環境が違うから、セロリが好きだったりいぶりがっこがダメだったり、するのですね。すなわち発達障害を遺伝子のことにするのは簡単でわかりやすいのですが、そのとき「環境」は要因とならないのか、という問題があります。しかしセロリの好き嫌いは、セロリに関する実経験の違いによるでしょう。それと同じように、脳の実経験???なんだかわかりませんが、環境により脳の構造が変わるものでしょうか。変わるのだとすれば、どういうメカニズムがあるでしょう。

ということで読んだ本が、リチャード・C・フランシス『エピジェネティクス 操られる遺伝子』という本です。先日やった遺伝子の学習の続きの話題です。一卵性双生児が大人になると、そこには違いが出てくるという、それはまさに環境の影響なのですが、このとき大切なポイントは、環境が遺伝子に影響を与えた結果として、というところなのです。
遺伝子の実体はDNAで、それはかの有名な二重らせんの形をしている。しかし、細胞内の遺伝子は、二重らせんのままむき出しになっているわけではなく、通常はその周りに、多様な有機分子の結合体が付着している。それらの分子を侮ることはできない。なにしろ、付着している遺伝子を活発にしたり、不活発にしたりするのである。さらに重要なのは、それらの分子が長期間、時には生涯を通じてずっと、同じ遺伝子に付着し続けるということだ。「エピジェネティクス」とは、長期間にわたって遺伝子を調節するこれらの分子が、どのように遺伝子とくっついたり離れたりするのかを研究する学問分野である。エピジェネティックな付着や分離は、ランダムに起きることが多い。しかし、食べ物や環境汚染、ひいては社会との相互作用によって、そうした変化が引き起こされることもある。エピジェネティックな変化は、環境と遺伝子が作用しあう領域で起きているのだ。
ということでありまして、つまりまとめますと、受精によってある個体の遺伝子の塩基配列はその瞬間に決定となりますけれども、そのあとで特定のはたらきをする塩基のオンオフスイッチがいじられることで、発現に影響がでると、そういったことになります。たとえば、母親の胎内というのも、遺伝子の配列は決まった後ですが、そのとき母親の栄養状態によって、胎児の栄養状態が決まった結果として、こんなことが起こるというのです。
母親の胎内でオランダ飢餓を経験した人は、統合失調症にかかるリスクが著しく高いことを発見した。また、うつ病のような情緒障害も増加するという証拠があった。男性には、反社会性人格障害の増加が認められた。
ましてや男と女だから、というのはメロドラマのような、あるいは社会的なジェンダー論ではなくて、男と女ではまさしく遺伝子がちがうという、そこに端を発して、違いが生じているのです。田中の自閉症については、妊婦が葉酸を大量に摂取した際の胎児、という推測もこの本には出てきます。ともかくそのように「環境によって遺伝子がエピジェネティックに変化」すると「その変化が次世代に継承される場合」もあるというのです。ここまでみたときにはじめて、全てを遺伝子のせいにする単純な主張に対する批判、に対する反論の準備が整いました。

 

実存主義と分人主義の弱点


実存主義は、私個人の問題は概念では語れない、という個人の特殊性に着目するところからはじまる思想です。このときカミュ『異邦人』のいわゆる不条理は、まさしく実存主義の具体的説明として理解することができます。しかし講義中にも質問させていただいた通り、そのような実存はどう責任を取るのかという問題をカミュが避けているように感じられるのが田中には不満であり、またその思想の問題点であろうと感じました。

この講義を受けるための準備としてはじめて『異邦人』を読んで、田中が即座に想起した別の文学作品、それは平野啓一郎の『顔のない裸体たち』でした。想起したその時点ではただの閃きでしたが、昨日先生から「分人主義」の話題が提供されて、平野の熱心な読者でない田中は昨夜改めて調べてみると、平野には『顔のない裸体たち』とほぼ同時期に「異邦人#7-9」という短編がありました(未読)。平野の分人主義はおそらく、『異邦人』また実存主義に着想を得たものとして、『顔のない裸体たち』あたり(2005)に端を発しているでしょう。

『異邦人』も『顔のない裸体たち』も犯罪小説です。人間社会において罪を犯した者は責任を取るものですが、不条理なムルソーあるいは『裸体たち』において分人主義的にハンドルネームを使う女は責任的態度をまぬかれ、そうした思考をもたない理性的な変態犯罪者=『裸体たち』の男は裁きを受けます。

これらの作品を読んで想起するのは、精神障害者が事件を起こした際、その精神状態によって減刑無罪となる現実のニュースです。「普遍的な人間」を考える立場とは別の、一種の不条理は時に、犯罪の被害者を苦しめます。ムルソーの言い分はわかった。そのとき殺されたアラブ人はどうなのか。

田中が平日に放送大学の講義に参加しているのは、田中が仕事をいましていないからです。田中も精神障害者です。そのような田中はやはり自分の人生に責任を取りたい。たとえ実存主義が人間存在は世界に投げ込まれてしまっているものと、そう理解するとしても、そのような実存がとりうる責任というものがあるのではないでしょうか。田中はムルソーの生き方を手放しに称賛することはできないと思いました。

 

2019年5月19日日曜日

合理的配慮とセルフアドボカシー


発達障害者として次の仕事を探している田中は、いま就労移行支援の学校に通っている。明日からはじまる週は、火曜と水曜に休みを取って別の学校つまりは放送大学の面接授業に出る。毎日学校に通って勉強ばかりやっている。以下は先週の授業ノートより。

障害者雇用の応募履歴書には<障害と合理的配慮>の欄がある。この合理的配慮とはなんだろうか、ということはしばしば話題となることだ。合理的配慮という言葉は、あまり聞きなじみがない言葉だがほんらい、セルフアドボカシーという言葉とセットで理解するべきものである。これが先週、学校で習ったことである。

このとき合理的配慮もセルフアドボカシーも、語の構造が同じ、ということがポイントになってくるだろう。
・合理的配慮=合理的+配慮
・セルフアドボカシー=セルフ+アドボカシー

配慮という言葉は、おもてなしに近くて、配慮する側される側があり、一方的なものだ。しかし障害者雇用において、障害者はおもてなしを受けようとしても就職できないのである。自身の障害はどのようで、だからこういう配慮が欲しいと説明をしなくてはならない。この理屈に合った配慮をすることで、企業側の利益にもなりますね、というwin-winを合理的配慮と呼んでいる。

セルフアドボカシーのアドボカシーは「権利擁護」と訳される。従来の障害者福祉では、支援者が障害者の権利を一方的に擁護していたが、現代では障害者がセルフで権利を主張すること、おまかせにしないことが重要とされている。

これを障害者の側から見た時、そこには自己決定とそれについてまわる責任の問題が生じている。この文句は、もし弊ブログを読み込んでいる読者様が仮にいらっしゃれば(データ上、弊ブログの熱心な読者様は世界中に7名様いらっしゃります、ありがとうございます)、このところの関心事としてつながってくる部分である。

授業の参考文献として出てきた2冊は、きょう田中も図書館で借りて読んだものだから、ここに紹介しておく。
『障害者福祉の世界第5版』
竹端寛『権利擁護が支援を支える セルフアドボカシーから虐待防止まで』

つまり、簡単に書いてしまえば、障害者が社会で生きていくにあたっては、自分を知ったうえでそれを表明するという、人間が誰しも行っていること、がやはり重要になってくる、ということだ。インターネットで自身を発達障害者として表現活動を行っている方々はたいてい、これがうまい。自分の弱みはこういうところにある、というようなツイートが、日に何十も流れてくる。それを田中はうらやましくみている。

田中はたしかに発達障害者だろうが、実際になにに困っているのか、そのあたりがうすぼんやりとしている。このままでは就職なんかできないのである。自己理解。それはたいへんなことだ。とにかくノートになんか書いてみましょう、と授業で言われたのだが、いったいどう書いたらよいだろう。

学校は田中がいちばんおじさんの生徒で、他のみなさんは一回り若い。その生徒らの間でいま話題のひとつは、世間でも評判になっている前田裕二『メモの魔力』である。YouTubeかなにかでそのポイントやメモの取り方(ノートの分け方)なんかを見てしまったから、もう読む必要もないかと思っていたが、自己理解のヒントがあるかもと、書店で立ち読みをした。すると、前田裕二は自己分析の本を何十冊もやったそのノートが30冊になった、という話が出てきた。

田中はこの世の中に「自己分析の本」なんていうものが存在することを知らなかった。就職活動というものに本腰を入れるのは、なんども転職しているのに、今回がはじめてだからだ。本屋には「就職活動」という棚があり、「自己分析」という本がたくさんあるのだった。ためしにひとつ買ってみよう。と買って、夕方、その書き込み式の本で自己分析をはじめたら、これがおもしろい。とにかく仕事を見つけても、また辞めるというのでは意味がない。きちんと自己分析をして、自分に合った職場を見つけて働きたい。という夢が文字化されると、気持ちも明るくなり、自己肯定感も高まるような気がする。

一冊おわったらまた一冊と、しばらくは自己分析なるものを続けてみようという気になった。前田裕二に負けないくらい自己分析をしたい。いま仕事についている人も、自己肯定感で悩んでいる人はもしかすると、自己肯定感をあげる本の類よりも、就職活動コーナーで自己分析の本を買って読んでみるとよいかもしれないよ、と思ったので報告しておく。新卒用でない自己分析の本がオススメである。以下にもきょうはじめた本をのせておく。


動作は知能か


少し前の記事の続きの内容なので、きょうはまずはリマインドから。認知症や統合失調症、高次脳機能障害、そして幼児の発達と発達障害のアセスメントに使われるのが「知能検査」。田中も発達障害者であるので、知能検査を受けて認定されているのであり、発達障害者はみんな自分のIQ(知能指数)を知っているんだよ、という話を以前にやった。いま発達障害者として生きているみなさんの多くが受けた知能検査はおそらく、ウェクスラー知能検査の第3版、通称「WAIS-Ⅲ」(ウエイススリー)である。

この検査を受けた人はみんな、自分のIQを、まずは「全検査IQ(FIQ)」として認識し、それが「言語性IQ(VIQ)」と「動作性IQ(PIQ)」の二つの下位数値に大別されて、というかたちで、3つのIQ値を知っているものであった。ちなみに田中の全検査IQは95となっており、IQは100を中心としたものですから、まあそういうことである。そこで田中の言語性IQは106、動作性IQは82となっており、簡単にいってしまえば、動作が言語の足を引っ張っている、ということになる。と、この理解はたぶん正しいし、わかりやすい。実感に即している。田中はいま動作性の仕事から言語性の仕事へ転職しようとしている。

ところが、いま現場にどの程度普及しているのかは田中にはわからないが、現在のWAISの最新版は第4版(2008)である、と田中は放送大学で習った。この第4版における最大の改正が、言語性IQと動作性IQという考え方そのものをやめたことである。こんなわかりやすいと思っていたものが、どうして撤廃されたのか。その詳しいところは教科書に書いていないので、こんど先生に聞いてみますね、という話を以前に弊ブログでやっている。その答えが先生からメールで届いた。とはいえ、これを読んで勉強してください、というかたちで、なので、きょうはそれを読んでみましょう、ということになる。

先生に教えてもらった資料は2つあるのだが、そのうちわかりやすいのはココに紹介する論文だ。
大六 一志 (2009) 心理学の立場から~知能検査が測定するものは何か?~
 認知神経科学 / 11 巻 (2009) 3+4 号 239-243.
この論文にはっきりと書いてある。「ウェクスラー知能検査の代名詞であった言語性IQ、動作性IQは、直観に基づくものであり、知能因子理論的な根拠は乏しい」と。だからなくなったのだ。少し詳しく書けばこういうことだ。知能検査が測定する人間の知能とはそもそもなにかということを考えた時、知能を「言語」と「動作」の2因子に分割することは、直観的になんとなく正しい感じがしたのだが、でも本当にそれだけなのか。という研究、すなわち「知能因子理論」研究が進んできたのである。さまざまな学者が様々な説を唱えている(https://psychologist.x0.com/terms/152.html)。その流れの中でWAIS-Ⅳ(ウエイスフォー)は次の分類を選んだのであった。

全IQ(FSIQ):総合的な能力
• 言語理解指標(VCI):言語理解、知識、概念化
• 知覚推理指標(PRI):視覚的な問題解決、情報処理能力
• ワーキングメモリー指標(WMI): 新たな情報を記憶、短期記憶に保持、処理する能力
• 処理速度指標(PSI):複数の情報を処理する能力
http://www.ed.niigata-u.ac.jp/~nagasawa/WISC.pdf

他の知覚因子理論を見ても、どうも「動作」という言葉が出てこなくなっている印象がある。考えてみれば「動作」は知能ではないのかもしれない。というか「動作」を生む知能因子があるだろうということだ。WAIS-Ⅲの動作性IQはWAIS-Ⅳの知覚推理指標と一定の相関がみられるという。たしかに田中の動作の問題は、視野が狭かったり向かってくるモノに鈍感だったりと、そういうふうに言い換えられる性質のものだ。

このさき、たとえば障害者手帳の更新などの際に、WAISをまた受けることはあるのだろうか。あるとすればその時、私たちはWAIS-Ⅳを受けることになる。本日のおはなしはここまでとなる。

ボキャブラリーの圧倒的不足


さあ放送大学生のみなさん、5月21日(火)から6月4日(火)までの間に授業の半分までを受講して課題を送信いたしませんと、期末試験を受けることができず単位を落とすことになる、第一関門がやってまいりました。みなさんの調子はどうでしょうか。

田中が2019年第1学期、就職活動が忙しいというのに、そんなこと考えずに受講料を払って勉強している科目は5科目もあり(それ以外に来週は面接授業もありますが)、そのうち4教科は最終講義までの受講をすでに終えておりあとは期末対策だけ、残り1科目はなんとかきょうで半分まで受講して中間課題の問題を解いたところです。その遅れている教科が「耳から学ぶ英語」、英語のリスニングの科目でした。

この授業の第二回で語られる、リスニングはボキャブラリーの増強で克服される、というテーゼはずばりその通りと実感しています。英語の全てにおいて、田中にはこのテーゼがあてはまることが改めて発見されました。たとえば多読をやってれば自然とボキャブラリーが身につくというのはたしかにそうなんだろうけど、すごい時間がかかるでしょう。単語を記憶する作業はかなり退屈ですが、それさえやれば。田中は文法とかすごい得意なので、単語さえわかれば英語わかるわ、という感じがきっちりつかめた。それがこの授業を受けての感想です。

ほんとうはきょうから単語帳を買ってきて、みたいな勢いですが、とりあえずは就職が決まってから通勤電車の中でやろう、と考えています。

あくまでモデルである二重らせんと観察されうるスニップ


発達障害の理解を、あるいは人間の「内面」の理解を、DNAに求めてはどうか、というのが近日の田中の主張だが、田中はDNAをよく知らない。そこで勉強の手始めに読んだのは、武村正春『文科系のためのDNA入門』という書籍だが、どうやら「文科系」なるものが勘違いされているような気がしてならないのだった。しかし、それを言い出すと論点がズレるので、きょうはこの本から得た情報をまとめてみる。

遺伝はDNAが親から子へと受け継がれることで起こる」。すなわち「遺伝子の正体はDNA」である。染色体という言葉も、その「正体はDNAと、DNAと結合した「ヒストン」と呼ばれるたんぱく質を中心とした複合体」だ。生殖細胞の減数分裂では染色体46本が23本となる。このどの23本が選ばれ、それがどの23本と合体して46本に戻るか。組み合わせはものすごい数になるわけである。できあがったそれは「細胞が分裂するたびに「複製」し、自分自身のコピーを作り出す」。DNAは「タンパク質の設計図」であり、「タンパク質は私たちの細胞を生かしている分子だ」。
DNAがないと、細胞は長く生きていくことができない。タンパク質が新しくできてこないからである。その証拠に、核を失った赤血球は、手持ちの材料を使い切ったらあとは死ぬだけだ。

ゲノムとは、その生物の遺伝情報一式のこと」である。ヒトゲノムはすでに解読されている。染色体46本ぶんのDNAを並べると「総延長2m」となる情報量である。A・T・G・Cという「塩基配列」その順序が読み解かれている。「30億塩基」ある。わたしとあなたは先祖からの遺伝子の組み合わせでこんなにちがうヒトなのに、「DNAの個人差はおよそ0.1%」である。だからヒトゲノムという概念が存在できる。ヒトゲノムとチンパンジーの差も「1%以上」という数値である。「DNA鑑定」は同じ塩基配列の繰り返しが生じる「サテライト領域」の個人差を観察するものである。


DNAと言えば「二重らせん」だが、あれは塩基がこのように配列してという「モデル」なのであって「実際にあのような美しさに出会うことはできない」という。ではその時、なにを見ることが、たとえば発達障害の理解につながるのか(なにが「見える」のか)。それが「SNP(スニップ:一塩基多型)」であるだろう。わたしとあなたはちがい、しかしヒトはほとんど同じである、というDNAの幅の中で、ある集団にのみ共通する塩基配列というのが見つかっている。たとえば「日本人の心筋梗塞のリスクを高めるSNP」はもう発見されている。それと同じように、発達障害者に共通するSNPもあるだろう。これが弊ブログが主張したことの、理化学的言い換えということになろう。

2019年5月16日木曜日

朝の特別列車に乗ろう

9時半に池袋に到着すればよい田中は最近、7時半には池袋にいる。決まっている予定はできる限りはやくしたいという衝動が抑えられないのだと思う。昔からそうだった。しかし、いまの田中にはそれとは別の理由がある。


写真は、田中の家の前の京王線南平駅、を5時43分に出発する、各駅停車本八幡行の車内の様子である。この電車の新宿駅到着は7時01分だ。また、調べてみるとこの電車は、京王八王子発5時35分の電車である。ご覧の通り、この電車だけ椅子がふかふかで、一人分の座席が広いのだ。

この電車は、京王線をご利用の方ならご存知、と言いつつご存知なだけで乗ったことはない人が多いだろう「京王ライナー」の車両だ。田中も乗ったことはない。いつも追い抜かされている。「京王ライナー」として運転しているときは、座席が新幹線みたいな向きになっている。「京王ライナー」は運賃とは別に400yen払って乗車する指定席タイプの電車で、コンセントが使えたり車内wifiが使えたり、停車駅も少ないから早く到着できたり、とても豪華な列車だ。

しかし、そうした特典はない、ごくふつうの早朝の各駅停車が、なぜか毎日この座席で運行されている。たまたま朝早く家を出た日にそれに気づいてからは、毎日田中はこれに乗っている。本八幡に用事があっていくのだろうか。または他にも「京王ライナー」が普通電車として使われる便はあるのだろうか。このすぐあとの時間帯、すなわち通勤の満員電車では、このタイプは乗員効率が悪すぎて使えないだろう。客がある程度の時間帯だから、特別列車はゆったりできている。

南平駅ならば7時近くでも各駅停車で席に座れるが、隣の人とのあれがかなりストレスだ。この電車は二人掛けだが、一人分の幅がかなりあるので、ほんとうに楽である。ドア近くの端に座ると、バッグを置くスペースもあり、かなり読書がはかどる。田中のように早起きが苦痛でない京王線のみなさんは、この電車をつかまえてみてはどうだろうか。

2019年5月13日月曜日

クルマが売れた、すぐに溶けるような値で


ローラのユーカーパックでオッケーいうて、クルマが売れることになった。ローラに電話したのは先週の木曜日くらいだったろうか。そうしたらすぐに査定に来てくれることになり、土曜日の朝にこの写真が撮られた。20代半ばから10年ほど、田中は地方都市を転々とするなかで、クルマに乗っていた。クルマに乗る前は原付で行動していたのだが、原付ごと自動車に跳ね飛ばされて、田中は脳に障害を負ったのである。発達障害のうえに事故で脳が傷ついて、いまのようになったのだが、その話はもういいだろう。田中はずっとダイハツの軽自動車にしか乗らなかった。最後は、2シーターオープンカーになる、コペンだった。ダイハツの軽自動車の中で一番高いクルマだが、このクルマはなんと250,000kmも走っている。だから50,000円で買ったのだ。

買って半年で、まさか売ることになるとは思わなかった。東京都日野市南平に来るなどと、クルマを買ったときには思っていなかった。クルマを買ったのも、いま思えばストレス発散だった。ストレスは発散されず、田中はまた仕事を辞めたのである。土曜日に査定があり、おそらくは50,000円くらいでしょうと、まあそうでしょうねと思いつつ、300,000円くらいで売れてほしいですねと、知ったようなことを言った。この価格を「売り切り価格」という。300,000円を超える入札があった場合は即売却となり、そうでない場合は売るかどうか決められるという、そういう価格が売り切り価格だ。



翌日の日曜日、朝の7時から夜の7時までの12時間でオークションが開催された。インターネットで入札がリアルタイムで見られるのだが、入札はなかなかなく、オークションが終わる最後の数分でおれがおれがと数件の手が挙がって、なんのことはない、たった数分で、愛車の運命は決まった。96,000円。安っ。そんなマニー、すぐなくなってまうわ。と思うのだが半年乗って、なぜだか価格が倍になったということで、オッケー。しあさって木曜日にはクルマ屋さんが引き取っていく。来週の頭にはマニーがもらえるそうだ。保険も駐車場も解約。オッケーいうて。もうかりました。以上です。

2019年5月12日日曜日

「生きのびる」と「生きる」


きょう読んだ本は、穂村弘『はじめての短歌』という本で、図書館で借りてきた。この本の大半は、同じことだけが繰り返し書かれている。大事なことだからだろう。

まず「生きる」と「生きのびる」があって、短歌は「生きる」のほうを書くものだという。「生きのびる」のほうは、情報が伝わりやすい「ビジネス文書」のようなものだ。それは効率の良い文章である。
ということは、短歌においては、非常に図式化していえば、社会的に価値のあるもの、正しいもの、値段のつくもの、名前のあるもの、強いもの、大きいもの。これが全部、NGになる。社会的に価値のないもの、換金できないもの、名前のないもの、しょうもないもの、ヘンなもの、弱いもののほうがいい。
そういうものか、と田中は思った。田中は急に短歌を趣味にしたくなって、短歌の本ばかり図書館から借りてきたのだが、さっそくよいことを聞いた。田中が短歌をいま必要としている理由も少しわかった。田中は仕事を探している。お金が必要だからだが、それ以外のことを考えるのに疲れてしまっている。だから、短歌を詠みたくなったのだ。それがわかった。

 

送風と冷房を使用させていただいて


智恵さんの       
荷物から覗く
いろはすのフタ
東京の人熱れは
冷房で死ねり

田中はにわ



毎朝、通勤電車に揺られていると、調布を過ぎたあたりで天井がゴーっと言い出して、「本日は多くのお客さまにご乗車いただいておりますので、送風と冷房を使用させていただいております」という車内アナウンスが入る。東京にはたくさんの人がおり、その体温を下げなくては人類は生きていけない、ということを詠んだ。

シンプルで安い持ち物は使いやすい


就労移行支援を受ける田中は、いよいよ来週から本格的な就職活動をはじめる。とはいえ、まだ次に何の仕事をするかは決まっておらず、とりあえず学校おすすめの会社の見学会に行くことにした。障害者として配慮を得て仕事をする現場とは、果たしてどのような場所なのかを見に行くという気分だ。これは言っていいことかどうかわからないが、田中は自分が発達障害者であるにも関わらず、周囲も全員発達障害者である現在の職業訓練学校にいることが正直苦痛なのである。田中ならば当然配慮すべきと思うことをできない他人の世話を田中が見ている場面があり、そんなことが障害者だらけの職場でも起こるのだとしたら最悪だと思っている。田中は自分の責任の中で仕事をし、できない部分は配慮を受ける。しかしできないと判断するのはあなたがたであり、田中にしてみればできないことなんかなにもない。そして田中からみても明らかにできていない他者の仕事を田中が処理するのか。なんだそれは。そんな職場でない職場を選ばなければならない。

さて、そんなことを考えながら準備をしているのだが、きょうはAmazonで買った「就活バッグ」が届いた。「就活バッグ」で検索すると就職活動のとき持ち歩くべきバッグが出てくるのである。田中はこれまでなんども転職をしているが、就活なるものをがちでするのはこのたびが人生ではじめてだ。これまではさんざ悩んだあげくだが、ひとつ決めた会社に応募したらもうそこが採用となると、他を考えることはなかった。その程度にしか就職活動をしていない。もしくは応募先が田舎の、山の中の、外仕事ばかりで、今回のように事務職を考えるのは今回が初めてだという言い方もできる。とにかく就活には就活バッグが必要だと学校で習い、購入したわけである。

就活バッグは就活にしか使わないから安いものでいいんです、という意見をネットで見て、amazonの就活バッグを「価格の安い順」にならべて、順に見ていってデザインの気に入った3つ目のものを2000円で購入したのだが、これがとにかく使いやすい。ただの四角いバッグなのに中がいろいろ分かれていて、どの持ち物も収まるべきところに収まる。たとえば折り畳み傘用のポケットなど。田中は就活が終わっても、これまで使っていたバッグに戻らず「就活バッグ」を使うだろう。

あらゆるモノはシンプルなほうが使いやすいんだろうと、当たり前のことがさいきんよくわかるようになった。シンプルなデザインのモノはなんでこんなシンプルなのに高いんだ、という話もよくあるのだが納得だ。しかしシンプルで安いモノもなかなか機能性をそなえている。さいきん気になっているのは、激安の殿堂ドン・キホーテで、学生用の白ワイシャツや学生の通学革靴を売っているのをみて、これは絶対よいものだろうという感じがして、通勤をはじめたら使いたいと思っているところだ。

翻訳という名の「共感」


放送大学生をやっている無職の田中はきょうで、今学期受講している講義のひとつ「ヨーロッパ文学の読み方―近代編」の学習を終えた。今学期はじめて開設された授業の、最初のお客さんになってみたわけだが、この授業は「世界文学のお味見」概論的な授業で、まあ退屈だった。全15回のうち14回で、セルバンテス『ドンキホーテ』にはじまり、各国の代表選手が紹介されていくのだが、その紹介の並列を聞いていても、それぞれがそれぞれで、よくわからないのである。

中間テストのために課題としてシェイクスピア『ロミオとジュリエット』を読んでレポートを書いたが、正直まったく関心を抱けなかったことを告白しておく。ただし、後半戦で出てきたバルザック『ゴリオ爺さん』と各種ロシア文学なかでもドストエフスキー『罪と罰』は読んでおもしろそうな作品と感じ、さっそく『ゴリオ爺さん』を図書館で借りてきたところだ。はじめての開講ということで、他の科目と違って期末テストの対策が立てにくい。ふつうは大学のホームページで期末の過去問を見ることができるのだが、はじめてやる期末テストだから過去問がない。自分なりに勉強していって期末を落としたらあきらめ、この科目を再履修することはないだろう。

ただし講義のまとめである第15回、各講師の対談で進んだ講義とそれにうっすらリンクしているテキストの文章はとてもおもしろかった。この放送の中で、一時期「比較文学」と言われていたジャンルは、現在「翻訳研究」と呼ぶほうが通りがよいという事情がある、という話が出てくる。田中は大学時代、まさしく比較文学を専攻しており、そのまま社会に出たので、その学問がどういう進展をもって現在どうなっているのかを聞いたのは、久しぶりのことだった。

当時から現在に至るまで、田中が「比較文学を専攻」と言うと、各国の文学を比較した人でいろんな文学を知っているという「誤解」を受け続けてきたが、たしかに田中が当時勉強しそれからずっと考えてきたことは、第1回から第14回のような各国の文学がうんぬんということでは実はなく、「比較」ということ自体にあったのだった。たとえば比喩による言いかえ、小説が映画や漫画に置き換わる「アダプテーション」、当時そういうことを勉強していたことを思い出した。

そしてあくまでも「翻訳じたいについて」考えるために、フランス文学を読んだり郷土の古典資料を現代語訳する授業などを受けていたのである。この翻訳にスポットをあてた第15回が、弊ブログでこのところとりあげつづけている、小説の視点と「内面」の問題にきれいにつながってきて、いよいよおもしろくなった。
小説中の内面描写では、必ず言い換えや解釈といった要素がからんでくるからである。そもそも内面が奥に隠れていて見えないのなら、それを外にさらすのは本来、不可能のはずだ。だから、何らかの形でそれを外に出すための「加工」や「変換」が必要となってくる。内面描写が翻訳という行為と重なるのはそこである。
 小説が内面を描く形式として当初発見したのは「書簡体小説」つまり小説の全編が誰か宛の手紙という形式の小説で、そのような自然な他者の語りによって他者の内面を覗くということがはじまった。しだいに「クライマックスの手紙」形式の小説が流行し、ついには「全知の語り手」が登場する。こうして他者がまったくの他者となったとき、小説はその他者の内面をどう描いたのか。そこには「共感という価値への注目」があったとまとめられている。他者の内面は見えないが、共感により翻訳・言い換えをすることはできる、ということを発見した、というのがヨーロッパ近代小説300年の歴史であると。

いま、その内面なるものそもそもの存在が疑われる時代を迎えて、田中はサイエンスの視点から人間を翻訳してはどうか、と言っているのだ。こうしてまとめると、田中が大学で学んだことから現在の発達障害者としての当事者研究までが一本のレールにのっかり、いよいよ人生がおもしろくなってきたというわけである。おもしろがっているのが田中だけだったら申し訳ないので、わかりやすくなるようにこれからも問題をどんどん勉強していく。

2019年5月11日土曜日

生物の内面


私たち近代人が仮想してきた「内面」を見直そう。前回の記事でそういう話をしたが、きょうはその続きだ。長沼毅『世界をやりなおしても生命は生まれるか』をきょうは読んだ。この本に「内面」という言葉がただ一度だけ出てくる。その部分を紹介しておく。
そう、美醜は皮膚一枚(骨格は問うまい)の個体膜に覆われ、貧富や貴賤はさらにその上の衣服・住居・乗物などの「社会膜」に出る。およそ内面とは無関係な部分。では、生命という内面はどこに表われ、どこに反映されているのか。人間なら意識や精神なんだろうけれど、生物一般については、僕はまだ分からない。
生物学者が高校生と対話する4日間の記録において、この発言が出てくる文脈を整理しておくと、まず「生物」ということばと「生命」ということばは、似ているが違うものを指しているだろうという話が出てきていた。その議論は、まず「生物」というモノがあり、そのモノが「動き回るルール」を「生命」と呼ぼう、という形でまとめられている。その上で、「生物」というモノの特徴が3点に集約される、という話が出てきている。

1.増殖するモノ
2.代謝するモノ
3.膜構造をもつモノ

で、引用部の話になるというわけだ。つまり、生物学というサイエンスが、生物には「膜」が不可欠と見定めた時、その膜の「内面」に人間は興味を定めた、と考えることができる。膜という実体がある以上、「内面」も仮想ではなく、実体であらざるを得ない。そこから人間の「内面」の探求がはじまっているが、「内面」は膜とちがってよく見えないから、なんだかよくわからんというのが現状なのではないか。

しかし、この先どんどん、内面も膜のように観察できるようになっていくだろう。というのが、前回の弊ブログの結論と重なってくる。たとえばDNAの構造が観察されてきている、といったかたちで、ということだ。
DNAの二重らせん構造を発見してノーベル賞を取ったワトソンとクリックのうち、クリックのほうはDNAから離れて脳や意識の研究に移って、さらに、宇宙生命のことも考えるようになった。彼の考えはちょっとぶっ飛んでいて、すでに高度に進化した知的生命体が無人ロケットに「生命の種」を積んで、あちこちの惑星に送り込んでいるって言うんだ。これを「意図的パンスペルミア」と言う。パンスペルミアとは、宇宙を飛び交う「生命の種」みたいなもののこと。「生命の種」の代わりに人間を積んで火星に送り込むっていう発想を天国のクリックが聞いたら、さぞ喜ぶだろうね。
この記述が気になった。DNAの専門家はどうして脳や意識の研究にうつったのだろう。クリック博士について、勉強したらまた報告したい。

2019年5月10日金曜日

人間はコンビニおにぎりではなく


きょう片づけた積読本は、平野啓一郎『顔のない裸体たち』(2005)。これはとりあえず、いびつな恋愛小説、もっと端的にはポルノ小説として紹介しうるだろう。
恋愛感情が、性行為という結果に至ることを人は自然と考える。その結びつきは自明である。すると最初にただ性行為だけがある時、その自明さが遡って何か恋愛感情に似たものを捏造するということはあるのだろうか?
男と女が、インターネットの出会い系サイトを通じて、出会う。そうしたサイトに人々は本名を書きこまない。インターネットではハンドルネームというものが使われる。たとえば弊ブログの著者にあたる<田中はにわ>もハンドルネールだ。 しかしここでこの小説では、本名もハンドルネームも同じ<ヤマカッコ>で括られている。同じレベルの記号として扱われているということだ。

男はハンドルネームで出会った女と「性行為」に及ぶ中で、女の「本性」「本当の姿」「正体」を見ることができた、と思うのだが、これらの言葉は本文のなかで太ゴチックであらわされる。つまり、評論でいうところのかっこつきのというやつで、ほんとうは本当の姿なんかないんだよ、ということをこの太ゴチックは強調している。
どんな小説でも言えることだが、本作に於いても、主人公の人生について扱い得る部分は、その全体に比して十分とは言えない。従って、その何処の部分を取り上げるかは、まったく作者の恣意である。
この小説を動かしているのは「作者」 だが、もちろんこれを平野啓一郎とイコールで結ぶことはできない。この「作者」が、女の「性器/生理」「乳房/自慰」「男性経験」といった、ここに並べたのは各章のタイトルだが、こうしたことを並べることで小説になってしまう、性的なこと以外にも女の人生はあったはずなのに、それはなぜなのか、ということに、平野啓一郎は自覚的であるはずだ。
 現代の社会と接するのが面であり、外側であるならば、モザイクのこちら側は裏であり、内側である。そうした発想で、ネットの世界は、常に簡単に内面化してしまう。
 他方で、<吉田希美子>を知る者たちは、当然にその顔のみを知っていて、彼女の裸体を知らなかった。服に隠されているからである。そこで肉体は、何時しか何か、内面的なもののようになってしまっている。
キーワードはずばり「内面」である。人間は服を着て社会生活をしていて、いわゆる心は見ただけではわからない。そこでうちに潜れば潜るほど本当の姿があるというモデリングがいつしか発明された。そのイメージ、なんにたとえるのが正確か考えたが、ここではコンビニで売られているおにぎりという食べ物を用意してみた。


ビニールのパッケージをめくり、海苔、米、と内面へ内面へ潜っていった結果として、具が出てくるという、そんなイメージはどうだろうか。実際にはコンビニのおにぎりは、ビニールパッケージに内面をあらわす表示がついているから、実際の人間と異なるが、人間に「内面」なるものを仮想構築する場合の構造図面は、コンビニおにぎりの断面図と似ているだろう。

しかし内に向かえば向かうほど本当の姿がある、なんてほんとうだろうか(うそだ)。平たく言ってしまったとき、「セックスをすれば相手のことが全部分かったことになるのか」というと、そんなことはポルノの世界の幻想に過ぎない、はずなのに、ポルノ以外の場面でも、あんがい人間はこの「内面」なるものを信じていますよね、というのがこの小説の主張のひとつであり、女はそれとはちがう意見を言っている。
この時、ネットの世界に転げ落ちたこの<ミッキー>が、自分のかけらであるか、それとも自分とはまるで無関係だが、自分に似た何かなのかが、<吉田希美子>には分からなかった。しかしともかくも、自分のような何かだと感じていたことは確かだった。
自分という存在に対するハンドルネームというインターネット上の存在、その関係性について、デジタルネイティブな世代はもうなにも考えないのかもしれないが、インターネットなるものの誕生とともに参入し悪戦苦闘してきた田中の世代は、おそるおそる、どこまでどう書けば自分がどうなってしまうんだろうという、興奮と恐怖の中で、ネットの海に生きてきたのだ。

この小説が提案するのは、現実世界の存在とインターネット上の存在を、「自分のような何か」として、同じ記号でくくって並立させる考え方だ。そこに上下関係はなく、どちらが本当の姿ということもなく、という点において、平野啓一郎はこの小説で「内面」なるものを否定撤廃しようとしている。それは田中にも感覚的に、どうも正しく感じられた。が、この小説はポルノ小説であると同時に、犯罪小説であり、一つの事件を「筆者」が追ったレポートとして読めるものだ、ということが新たな焦点となる。
少年による凶悪犯罪が起こると、所属していた学校の責任者は、大体、普段は「極ふつうの生徒」だったと声明を出すものだが、これは一種の責任回避の手段である。うっかり、元々要注意生徒だったなどと言おうものなら、忽ち事件の防止責任を問われることになる。本当の姿は分からなかった。そう言っておくのが一番である。
 人間を「内面」モデルで理解した時、犯罪に対してこのような理屈が成り立つ。が、女が言うように、犯罪を犯したのは自分ではない、「自分のような何か」なのだ、ということは、可能なのだろうか。という疑問を感じさせて、この小説は終わっている、と田中は理解した。簡単に言ってしまうと、「内面」には「責任」がつきまとっている。そこで「内面」モデルを否定撤廃するのは結構だが、別存在として切り分け切り分けで考えた時、その責任は誰がとるんだ、という話にならないか。


田中は発達障害者である。精神障害者が事件を起こした時、その精神状態によって減刑無罪といったことになる場合が、即座に想起された。ここには人間を一個人の内面に収束させて責任を取らせるのと、別の論理が働いている。しかし、ほんとうにそれでよいのだろうか。田中は発達障害者である。発達障害者なので、事件を起こしてもよいのだろうか。田中だって自分の人生に責任をとる権利はないのだろうか。という観点から、田中はこの小説がつくっている人間の新しいモデリングに、感心しある程度の実効性を感覚的に認めつつも、素直にうなづくことはできなかった。

弊ブログがやろうとしていることは、人間の本質を「内面」ではなく、脳あるいは遺伝子というものに集約させていく方法だ。そのような人間理解に向かって、田中は一生をかけて勉強をしている、ということになる。

 

2019年5月8日水曜日

果実味とミネラル―ぺトロールをめぐって―

田中の家の流しの下にはまだまだワインがたくさん眠っている。田中の前職がワインに関係していたため、どこからかワインが流れてきたり、自分でも勉強のために買いためていた。これは読書家における「積ん読」と似ていないだろうか。

実際には、ワインは積んでおくだけで、質が日々変化していくものだ。それは通常「熟成」と呼ばれ、時には「劣化」に転ずる。しかし、そうした変化を操作しているという意識が失われた時、その積まれたワインは積まれた本と変わらなくなる。

ミニマリズムを学んだ田中は、積ん読を解消するまではもう本を一切買わないと決めたのとまったく同じく、いまのワインをすべて消費するまではワインを一切買わないと決めている。

そんなわけで引っ張り出されるワインは、あるものは会社で譲り受けた貴重なワイン、あるものは通販で手に入れて、あるものは出張先で購入と、それぞれに思い出があったりもするのだが、一方でどうしたものかよくわからないワインも出てくる。きょうはそんないつどうしたかわからないワインがおいしかったので、そのワインについて調査したんだ。


「オースティリティ シャルドネ アロヨセコ 2015」。これがこのたび田中が選んだおいしいワインである。まず来るのはトロピカルフルーツ系のシャルドネの感じ、また樽の焦げた感じやバニラ風の感じがきて、なるほどカリフォルニアのシャルドネである、ということになるのだが、他の人々の感想を読んでもそういうことになるのだが、田中はその奥にもう一つなんかあるなあと思って、ああこれは「ペトロール」ではないか、とわかったのである。そうしてペトロールを見つけると、このワインの印象は反転していった。透明感・ミネラリティが際立ち、そこに果実味と樽香がほんのりのっているような。そこまで分析的に飲んでみると、これは素晴らしいワインだということになり、調査をしたらこのワインはどうも2000yenぐらいで買える。おとくなのでみなさんも飲もう。

さて、この話でポイントになるのはやはりペトロールなのである。ペトロールとはガソリン・灯油の香りであり、シャルドネではなくリースリングというブドウ品種の特徴香として有名であるが、とくにリースリングのワインだけに発生するというわけでもないことは、仕組みを理解するとよくわかる。ペトロールという香りは、TDN(トリメチルヒドロナフタレン)という物質の香りである。この「N」つまりナフタレンというのは、タンスの防虫剤のナフタレンであり、ペトロールと表現されるワインの香りは、ナフタレンの香り(タンス防虫剤の香り)とも説明される。なぜワインからこの香りがするようになるか、これはTDNという物質がブドウの中でどうやってできるかを理解するとわかるのである。

ブドウは大きくわけて黒ブドウと白ブドウにわかれるが、白ワインになる白ブドウはその果実にカロテノイドという色素をつくっていく。黄色、オレンジ、赤系統の色素であり、完熟した白ブドウが黄金色に輝いている、あの色はカロテノイドである。あの色によってブドウは、直射日光や高温から身を守っているのだが、その色素の一部は果実の成熟とともに減少=分解される。このとき出来てくるのがTDNということになる。だから、この仕組みによれば、どんな白ワインからもペトロールが香ってしかるべきということになる。

それでもペトロールが目立つときとそうでないときがあるのはなぜだろう。これは2つの仕組みで説明できると思う。
(1)果実味が少ないから相対的にペトロールが目立つ
ペトロールがリースリングの品種特徴香とされるのは、リースリングというブドウがカロテノイド濃度の高い一方で、果実味を代表するテルペン系の物質に乏しいことによる。近年、ペトロールはリースリングの品種特徴香ではなく、未熟なブドウを使ったことによる欠陥臭であるという声が急速に広まっているが、これも果実成熟の香りが相対的に低いからペトロールが目立つんだろうという意見なのであり、仕組みは同じということになる。
(2)TDNは温度で遊離する
地球温暖化の影響でTDNは多くなる、また高温条件でのブドウ成長によりTDNは増えるのだといった文章も多くみられる。また、ブドウの成長成熟とは関係なく、機械で収穫したブドウのTDNは多いだとか、瓶内熟成の過程でもTDNは増えるのだとかいうようなことも言われている。これはどうしたことだろう。この答えになっていそうな文章を、かの名著から引用・紹介しよう。

若いワイン中で、TDNの一部は糖と結合して、無臭の状態で存在しているようです。これが数年の瓶内熟成の間に分解して、糖との結合が切れて遊離の形になると香ってくるようです。ですからこの香りは瓶内熟成にしたがって増加される傾向にあります。TDNの遊離型、結合型の果汁中の濃度はブドウが植えられている土地の性質と醸造条件に大きく左右されます。富永 敬俊『きいろの香り : ボルドーワインの研究生活と小鳥たち』

つまり結合型TDNが(たとえば温度によって)遊離すると香ってくるのである。ワインの香りの化学にはいくつかのパターンがあるが、この「結合-遊離」の仕組みはいろんなかたちで出てくる仕組みなので覚えておくとたのしい。

最初のワインの話に戻れば、他の方のネット上のテイスティングコメントに出てこないペトロールを田中が感じたのだとすれば、それは田中が流しの下でワインをほったらかしにしているあいだに、TDNが温度影響を受けて遊離したのだと、そういう可能性がある。

では、ワインセラーではなく流しの下に放置されたワインの、これは欠陥臭なのだろうかというと、田中は少なくともそうは思わない。なぜなら田中は、このワインのペトロールこそを、ミネラルな透明感こそを、おいしいと思ったからだ。このワインにペトロールを感じなければ、こんな文章を書くこともなかった。

よいシャルドネのワインには、火打石の香りがあるというが、火打石もペトロールも同じミネラルの仲間であり、田中は火打石の香りがどんなものか知らないが、たぶんそういう良い意味で田中は、このワインのペトロールをとらえているのである。

つまり何が言いたいのかというと、けっきょくはワインって好みの問題に集約されていくはずなんですよだって嗜好品なのだから、ということだ。が、価値判断はさておいて、そうした要素が今回まとめたような化学で語られるということは、やはりワインの魅力であるわなあ、という思いも新たにしたところであった。

2019年5月7日火曜日

クルマがいらなくなったので


ゴールデンウイークの四国遍路で歩きまわったら、すっかり身体がかるくなって、ちょっとコンビニに郵便局に銀行にと、全くクルマを出す必要を感じなくなった。そこでクルマを売却することに決定した。旅行なんて行ってこんなことを言うのもなんだが、働いていないのだから生活は苦しいし、自動車を持っている限りついてまわる「維持費」を先回りで節約することに決めたのだ。

「クルマの維持費」という言葉は、ガソリン代や整備費用みたいなことを思わせる言葉だが、ここには誰かの陰謀が働いているはずで、維持費の最たるものは言うまでもなく車検費用ついで保険料そして駐車場代となる。はっきりともう売ると決めたきょう、任意保険の会社には電話で連絡をして、きょう付で自動車保険を解約した。つまり、まあ乗ってもよいのではあるが、田中はきょうからもう自動車には乗らない。事故をしたらたいへんだからだ。買取の話も正式にきょうの昼休みから電話で動かしはじめた。クルマがなくなる日付がわかったころには、駐車場も解約したい。

トーキョーに越してくるとき、新居探しの決め手と考えていたことは、安い駐車場がついていることであった。そうして決めた家に持ってきたクルマなのだが、トーキョーでこんなにクルマが不要とは、非トーキョーにずっと住んでいた田中には想像もできないことだった。田中はそもそもトーキョーの出身であったが、田中の父がクルマを持っていたのは、田中家という家族があったからなのだ。いま田中は一人で暮らしており、若者のようにクルマが必要になる将来を夢見ることもなくなったので、クルマはもういらない。

クルマはいらないとは、トーキョーに来てすぐに気づいていたことだったが、一度売ってしまったらまた買うのはとても面倒と知っているので、踏ん切りがつかないところがあった。そこでクルマにビデオカメラを積んで、車載動画をつくることを趣味にすることを考え、カメラを買って動画を一本YouTubeにあげてみたのだったが、これがまあつまらなかった。出来上がった動画がつまらないことはおろか、動画を撮影することにも動画を編集することにも、ひとつも面白みがなかった。ツイッターでは特によく話すように、田中はYouTubeばかり見て暮らしている。だから視聴者として動画制作者は尊敬しているが、自分にはむかないということなのだろう。

そしてクルマを売るとはっきり決めた、もっとも直接的なきっかけは、アパートの大家である。アパートの大家と田中はただの一度も会っていないが、不動産屋を通じてこれまで4回、つまりは入居後毎月一回、田中のクルマの止め方に文句を言ってくるのだった。田中が借りている区画の真っ中央に、タイヤをまっすぐにしてきちっと止めないと文句を言ってくるんである。どおりで他の区画がそれぞれに工夫して、三角コーンやブロックを使って駐車位置をきっちりきっちりしていることが、それが入居当初不思議だったのだが、ようやくわかった。めんどくせえ。そんな文句ばっか言ってると、駐車場からクルマが減って、てめえの不労所得が減るのである、と痛い目を見させようと田中は決めた。いまから解約の連絡を楽しみにしている。なんと言ってやろう。「真ん中に止めなくてもいい駐車場を見つけたので解約したいんですけれども」がいま一番の候補のセリフである。


クルマを売るために、一括見積サイトなるところに依頼をかけたところ、依頼をかけた瞬間から電話がしばらくなりやまなかった。むかし引っ越し見積サイトに入力をしたときとまったく同じである。これはめんどくさい。何十もの業者に見積もりを取っている間に、売るのがめんどくなること請け合いである。そこでYouTubeをみていたら、ローラのコマーシャルが出てきて、これだわとなった。業者が見積もりをとったうえで、それをオークションに出してくれ、いちばん高い値の業者にうっぱらってくれるというサービスである。これが吉と出るか凶と出るか、まあわからないが面倒でないからいいんでしょう。続報もする予定である。※弊ブログはこの業者からマネーをもらっていません。


2019年5月6日月曜日

なにもない今治
















人生最大連休遍路のまとめ


東京都日野市南平に帰ってまいりました田中はにわです。旅をしながら8回にわたってブログを更新してきましたが、そのあと最後の2日間の報告をこの記事でやります。本来の予定だと松山市内の巡礼までで10日間を使うふうに計画を立てていたもので、予定がはやく終わってしまったかたちとなりまして、急遽2日間で今治方面まで遍路を伸ばすことになりました。しかしこれを全て歩いていると今度は時間が足りませんので、5月4日は電車を使いつつ松山と今治の間の札所をまわり、5月5日は今治市内に集中している札所を歩いて回るということにしたのでした。


そのようにした結果、今回の10日間で、愛媛県の宇和島駅から今治駅までの間、札所は41番から59番まで回れたということになりました。距離は全部歩いたわけではありませんが、全部歩行の計算で200kmくらいということになりました。一日20km計算ということですからまあまあというところでありましょう。四国遍路は88箇所ですから今回の遍路でその半分を通り過ぎたということになります。愛媛県の札所の大半をクリアしていますから、次回はいよいよ最後の香川県です。田中は25歳のときにお遍路をはじめ、そのとき40歳までには一周したいなあと思っていたのですが、ぎりぎりになってきました。40歳ということはあと1年少しです。ちょっと厳しい気もしますが、次回もがんばりたいと思います。


ずっと歩いていると歩く以外のことを考えないので、食事も少なくなり運動をたくさんしていますので、10日間でだいぶんダイエットになりました。すぐに戻ってしまうでしょうが、お遍路をしていなくてもお遍路と同じように食事をするという意識をすることで、どうにか健康を保てないだろうかと、お遍路しながら食べていた携行食をアマゾンで注文して、さっき家に届きました。たとえばソイジョイ、たとえばバタピー、そうしたものをしばらく食べ続けてみようかと思っているところです。


しかし、愛媛県ではきちんとグルメも楽しむことができました。ひとつは柑橘類のおいしさ、そして宇和島鯛めしのうまさは忘れることができません。また旅の間ずっとカメラで写真を撮り続けていたら、写真がもっともっと好きになりました。望遠レンズと普通のレンズを2つかついで行ったのですが、けっきょくは普通のレンズばかり使っていました。望遠レンズはもっと遠くで近づけないものを撮るときに使うものなのだということがわかりました。当初の予定通り、望遠レンズは障害者手帳が出て動物園の入園料が無料になった時にその記念に使いたいと思います。


また写真の次に田中は、短歌をつくるのを趣味にしてみようかと、旅をしながら考えました。それは正岡子規について松山で勉強したこと、それに加えてたまたま松山のホテルでNHKの短歌の番組をちょうど見たということ、それがとてもおもしろかったので、勉強してわかるようになったら、短歌をつくってみようと考えています。旅が終わり、明日からまた学校なので、気分はおもくなりはじめていますが、なんでお遍路の間はずっと気分がよかったのか、考えながらしばらく生活できたらいいのではないか、と考えました。

2019年5月3日金曜日

十年の汗を道後の湯に洗え―人生最大連休遍路(8)令和元年五月三日

令和元年五月三日。きょうは道後温泉を中心に松山市内観光の日。興味のあるものをきちんと選び、情熱をもって観光するとたいへんたのしく、健康にもよい。そうしたまたアプレシオの83番フラット席に帰ってきたので、きょうの観光もこうしてすぐに報告できる。これで3泊連続アプレシオだが、明日は松山を離れる予定になっている。


朝、宿泊しているネットカフェ・アプレシオをじゅうぶんにはやく出発したつもりだったが、路面電車で道後温泉につくとすでにすごい人だった。道後温泉にはおおくの旅館ホテルの他に、いわゆる立寄り湯が3件ある。これらはいずれも早朝から開店しているのだが、いくらなんでも朝の6時から風呂に入りたがるのは田中くらいのものだろうと油断していたのだ。いちばん人気の「本館」は田中が到着した時、すでに40分待ちの列ができていて田中はすんなり諦めた。



待たずに入れたのは「椿の湯」。道後温泉に入りました、というレポートをするため、その手の欲求は満たされるが、銭湯以上でも以下でもなかった。「本館」が人気なのは、風呂に入ったあと和菓子を湯上がりに食べてととのいましたいうやつが人気だったりするらしいのだが、これにしたって並ぶのに疲れちゃって風呂に入っても疲れがとれないなんてことにならないのだろうか。風呂に入るために並ぶなんて、信じられない。そもそも田中はあらゆる行列が嫌いで、並んでまでする価値のあることなんかそうそうない、という持論を持っておる。


       

その田中は10時30分から昼食のための行列にならんでいた。いつもなら行列のなかにいるとイライラするか恥ずかしいかどちらかだが、「鯛飯」のためと思ったら心は平安平成令和であった。愛媛県の郷土料理「鯛飯」は、鯛をまるごと米と一緒に炊き上げる「鯛飯」と、鯛の刺身を卵かけご飯で食べるタイプの「宇和島鯛飯」の2種類に大別される。先日、民宿で食べた鯛の刺身が美味しかったので、きょう田中が狙ったのも宇和島鯛飯のほうだ。道後温泉には鯛飯の店も宇和島鯛飯の店もそれぞれ存在し、どの店も開店前から行列ができる。田中が並んだのは宇和島鯛飯の元祖名店として知られる「丸水」。たいへんおいしかった。家でまねをしてもこんなにおいしくはならないだろうとは思ったが、それでもまねをするだろう。地ビール「道後ビールのぼさん」がまたうまかった。あっさりしたビールのうまみがあった。


ところでこの「のぼさん」とは松山出身の文学者である正岡子規の愛称である。このたびの四国遍路のルートが道後温泉を通るとわかったときから田中は、そこで夏目漱石について勉強ができるのではないかと楽しみにしていた。近ごろ田中が立て続けに夏目漱石を読み出しているのは、無職で暇だから、ということなのではあるが、一方で日本の近代という時代のキーパーソンとしての位置づけに興味があるからだ。しかし、実際に道後温泉に来てみると、ご当地の推しメンは圧倒的に「のぼさん」こと正岡子規である。

きょう一日で田中はだいぶん正岡子規に詳しくなり、彼に興味も出てきた。道後温泉には「松山市立子規記念博物館」があり、ここをゆっくり、100yenの音声ガイドも借りて見学をしたら、なかなかおもしろかった。正岡子規は結核により35歳で死んでいる。若い。松山に生まれ、政治家を目指して上京、東大で夏目漱石と親友になる。ベースボールが好きになる。興味が文学に傾いていく。

雑誌記者として従軍、このとき軍医であった森鴎外とも交流がある。「写生文」なる概念また短歌俳句の革新というところにある、「型破り」志向はそのまま近代小説の目標と地続きであり、これはもっときちんと勉強したいと思った。病気になって、療養に道後温泉に帰省。夏目漱石はこの時期に松山で英語の先生をやっており、2人は2ヶ月の間一緒に暮らした。子規は東京に戻り、そのまま病気で死んだ。

松山は、正岡子規の故郷であるが、夏目漱石が英語の先生に来たり、与謝野鉄幹晶子がどうの、なにがどうのと、なんで文士の街なのか。これはひとつに江戸時代の松山藩が松平家の治める「親藩」でありもともと文化的素地がととのっていた、幕末維新期の主人公のひとり長州藩と地理的に近いことも含めて「アツい土地」であったことが大きいようだが、やはりもうひとつには松山という土地が道後温泉という温泉場であったことがかなり大きいんだろう、田中はそう思った。


子規記念博物館は、正岡子規とはまったく関係ないような、松山の歴史をふりかえるところからはじまる。するとかなり初期段階での歴史的記述の例として、聖徳太子が松山を訪れて「いい温泉だなあ」と言った、そういう漢詩を書いたという話からこの物語ははじまるのだ。夏目漱石が松山に来たのは、神経衰弱で中心からいったん降りようと、温泉での転地療養をかねてのことであったはずだ。そして正岡子規も喀血後の療養という形で松山に帰省し、学生時代の親友であったふたりは再会する。

きょうの記事のタイトルに採った正岡子規の言葉、これは東京で十年がんばって働いてきた友人が松山に帰ってきたとき「おつかれ」の意で用いた言葉だそうだが、人間は必ずしもパワーがありあまって動き回るわけじゃないんだよな、みんな病みながら生きていて、死を強く意識するから生への衝動が強くでたりとかさ、とそんなことが今日の見学の一番大きい感想だ。

田中はこれから発達障害者として障害者認定を受けて生きていく準備をしているところだ。また容態が急変するような病気ではないものの腎臓に指定難病をかかえることにもなっている。そうすると「病みながら生きていく」ということについて考えることが、さいきんすごく多い。「十年の汗を道後の湯に洗え」―そうして病人が集まったから文化的に栄えた都市、それが松山・道後温泉であるというまとめは、乱暴ではあるがそれほど間違ってもいないだろうと思う。


午後は道後温泉を少し離れて、バスで「伊丹十三記念館」に出かけた。田中が映画に興味を持った時代がちょうど伊丹十三の時代だったということだけなんだろうが、田中が唯一、すべての作品をみた映画監督それが伊丹十三で、ここに記念館があるんだわとたまたま見つけて訪問したが、これもおもしろい施設だった。一時期ものすごく興味をもっていた人だから、あまり新たな発見というものはなかったが、ああやっぱり伊丹十三のこと好きなんだなと再確認したような気分。映画もまた見返してみたくなってくる。


きょうここに書いておきたいと思ったことは、彼が発行していた雑誌「モノンクル」のことだ。ちょうど田中が生まれたころの雑誌で、実物を手にとったことはないが、この雑誌が「精神分析」をすべての記事の通奏低音にとっていたこと、タイトルがフランス語で「ボクのおじさん」という意味であること、「若い人」に向けた語りであったこと、などは、はっきり言っていま田中がココでやろうとしていることにかなり近い。一時期ツイッターで主語を「おじさん」にしてみていたことがあった田中は、まさしく「モノンクル」的に語りたかったのであるあのとき。

やはりなんだかんだで、年はとるもんなのであり、田中はけっきょく結婚もせず子供もいないから、ではどうやって人類の未来に貢献してから死んでいくかということを、これも最近すごく考えるのだ。だから、おじさんの言うことが、いつか、数万年後でもよいので、誰かの役に立てばよいなあということで、このようにインターネットのゴミを産出し、この貝塚を構築しています、と前にも書きましたね。そんなこともきょう改めて感じたことだった。


それにしても伊丹十三はなぜ死んだのか。そこが完全に記念館でも空白になっている。いつかこの記念館でそのことをきちんと取り上げる日がきてよいのではないですか、というふうに思ったことも最後につけておく。


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