2019年9月2日月曜日

感情を整理する老人


和田秀樹『「感情の整理」が上手い人下手な人』
感情の整理が上手い人と下手な人。話がはじまってすぐ、これが上機嫌な人と不機嫌な人にパラフレーズされる。そして、不機嫌な人の、不機嫌になるその過程が、そのまんま自分じゃないか、と思った、ので、そのあとがどんどん進んだ。「感情の豊かな人は、不機嫌になりにくいものです」。感情を出すタイミングを逸して、人は不機嫌になっていくのだ。「ものごとを白か黒かの二分割で判断する」というのも、自分のよくないところだと感じている。その対処法はずばり、勉強すること、そして成長願望を持つことだ。この過程には、わからないという場面が生じるが、これを「二分割」で考えると、黒になってしまう、しかしそこで、少しでもわかった自分を褒めるということが大事なのである。不機嫌な人のダメな部分も当てはまってしまったが、その対処法も現に自分がやろうとしていることだったから、これでよいのだという感じがしたのだった。が、読み終えて読書メーターに登録しようとしたら、数年前に一度読んだことがあった。それならそれで、読んだことを実行できているのだ、と思った。今度はこの本を保管用の書棚に立てた。


尾崎一雄『閑な老人』
ずっと積んであった本の山からも一冊読んだ。6つの短編からなる。いわゆる私小説なので、6篇がほとんど発表順にならんでいると、そこに時間が流れる。神社の松の木が切られ、飼っていた犬が死に、志賀直哉も亡くなる。犬の墓をつくろうと、庭を掘る。「休み休み掘つた。赤土に達すると、縄文式土器の破片が出てきた。この前のときは、土器のほかに、石斧も出たが」。そういう時間の重なりの中に、生きているということだ。山櫻を植えたいと思う。「その松や櫻がどうなるか、私には勿論判る筈もない。しかし、しかし、私は植えたいのだ」。(手放します。下記アマゾンより田中はにわに注文してください)


障害を構造的に職場に開示する


今週から仕事がはじまる。田中は発達障害者として、健常者の職場にまじる。職場は発達障害に理解のある職場であり、これまでにも障害者雇用の実績がある企業だ。そこに入社するにあたって、障害特性を一覧のリストにして、配属先の全メンバーにプリントで配布することになっており、近日はそのリストを作成していた。

職場に障害を開示する、そのタイミングと範囲はケースによってさまざまだろう。そのさまざまにより、開示の影響がよくもわるくも作用する。今回の田中の場合は、職場のほうに経験が有るため、田中はそれに従うことにした。田中は障害者として働くのがはじめてだからだ。一方的に、この方法を押し付けられたわけでもない。田中としても、障害者であることはなるべく広く開示して、ありうるトラブルを事前に避けることが、障害者雇用のメリットと考えているからだ。

しかし、このリストを作るのには、けっこう苦労した。インターネット上に発達障害者の「自分のトリセツ」的な、障害を開示するペーパーの見本はたくさんあるが、こどもようというか、障害が田中よりずっと重い人用というか、しっくりくるものはなかなかみつからなかった。また、どこまで開示するべきなのか、も問題となる。仕事に関係している部分はどこまでなのか、ということだ。

その線引きには、先日まで通っていた就労移行支援の施設と、また採用されるにいたるまでなんども行われた面接と、そこで扱われたり、質問されたりしたこと、が役に立った。たとえば田中は、常になにかに対して強烈な怒りの感情を持っており、だとか、死にたいと思うこともあり、だとか、そういう事実は心理検査からも客観的に明らかなのだが、職場に対してそんなことを言っても意味がない。対処は自分でおこなうものであり、会社に配慮を求めることが思いつかないからだ。

そう、リストは、就活の面接と同じく、①障害特性⇒対策⇒配慮の3段階でまとめるのが適当だろう。ただし障害特性は、必ずしも悪い面だけをまとめる必要もなく、障害であるがゆえに得意とする分野も並べたらいいと思う。それでもどこまでの範囲を書いたらよいかということになり、田中は②作業上、対人面、思考行動という3側面を考えた。①の横軸と②の縦軸で、3×3の表ができ、これを田中は会社に提出することにした。

これで準備は整い、あとは入社日を待つばかり、いや入社前日には例によってハローワークに行く必要があるのだが、他の書類の準備もありますが、なんとかここまでこぎつけたわけである。いまはもう、はやく仕事がしたいという気持ちしかない。

2019年8月29日木曜日

現代のポジティブな厚み

東京オペラシティは京王線の初台駅につながったホール。3階にあるアートギャラリーでは現在「ジュリアン・オピー」展を開催中です。障害者手帳を提示しますと(付き添い1名を含めて)無料でお楽しみいただけます。久しぶりに障害者手帳で遊びに行く元気がありましたから、行ってみましょう。


展覧会の写真撮影は自由でした。これはアクリルのパネルをはりあわせて出来ていました。田中の好きな、色と輪郭線がはっきりしている芸術です。ピクトグラム(絵文字)的なその抽象化はしかし、そうした記号自体と比べたとき、圧倒的に「個性」を感じさせられるものだから、ふしぎです。


モチーフは人間だけでなく、こうした風景画、また動物や高層ビルなどもありました。そして平面作品だけでなく、立体や映像を使った作品も多く展示されていました。


「解像度が粗い」という説明の仕方もできるかもしれない。「粗い」というか、ちょうどよいその「解像度」を狙って作者は作品をつくっているのだ。広告以上にポップで、ポジティブ。疲れや悩みを感じさせる像はなく、みな健康だ。見ていると元気になってくる。
従来の芸術は、その裏にあるものを、なんらかの雰囲気で示唆してくるのだが、ここにはそれがない。平板であるという意味ではない。厚みがポジティブなのだ。


「ジュリアン・オピー」展は9月23日までです。いちどご覧になりますと、気分がよろしいでしょうから、オススメいたします。

2019年8月19日月曜日

あたらしいしごと


前の仕事を辞めたのは去年の秋で、去年の今頃はというと、仕事を辞めようと決心して職場と相談をはじめたころだった。だからちょうど一年くらいかかって、ようやく次の仕事が決まったということになる。来月の頭から次の仕事に就くことになった。

決まったのは先週末だ。長い長い就職活動だった。めちゃくちゃ長いブランクを経て、というのは就職活動に苦戦したというよりは、発達障害者として障害者雇用の職を得るために必要な時間だったという感じだ。障害者手帳を取得するまでにまず時間がかかり、発達障害者の就労移行支援を受けるために東京に引っ越してきて、訓練の施設に通所して、施設を通して求人に応募、応募してからも何回も面接やら実習やらがあり、ようやくたどり着いたのである。

前にも書いたが、前職は農業であったので、業界そのものが低賃金であった。だから今度の職業は障害者雇用とはいえ、以前の給与より多くもらえる。田中は前職に就くとき、山の中に逃げ込んでセミリタイアなりよ、と思っていたので、給与の低さを気にすることがなかった。しかし、山の中なら精神的にうまくいくなんて幻想であり、また精神を壊して、そして貧乏にも耐えられなくなった。障害者雇用のメリットとしてよく語られるところだが、田中の次の職場も、よくわからない田舎のおじさんが就職できるなんて全く思いもしなかった、全国に名を轟かす大企業であり、それなりに生活も安定できるので、ほんとうによかった。

工場で働いたり、野菜を育てたり、果物をやったりしていた人が、急にトーキョーのビジネスマンとなることは、ふつうの職歴ではなかなかないことだろう。しかも田中はもうすぐ40歳なのであり、転職する期限切れのおじさんだと思っていた。しかし、障害者になります宣言をすると、こういうことができる。就労移行支援の学校は池袋だったが、あたらしい職場は京王線で新宿に出てから、地下鉄で都心に少し入ったところに行く。ほんとうに都会の都会だ。毎日スーツを着ていく。こんな生活ができるとは思ってもみなかった。夢のようだ。

この仕事で定年まで頑張りたいと思う。そのためには、毎日毎日、努力がいるし、考えることが必要なんだと思っている。考え続けることが大事だと思う。そういう感じで、このブログを続けていきたい。引き続きよろしくおねがいします。読んだら、広告をクリックしてください。田中がお金をもらえるので。もう何ヶ月も誰もクリックしていませんので、どうかおねがいいたします。

2019年8月3日土曜日

貧困と運動と精神と


お金がない。来週、ハローワークの失業認定日があり、入金は再来週だ。再来週は障害年金の支給もある。そこまでの辛抱だ。来週は障害者雇用に向けての実習を受ける。もうこの企業に雇ってもらい、お金の苦労から逃れたい。それが本音の本音である。

お金がないと、お金を使えないのだから、出かける必要もない。出かければ、お金がいる。だから出かけない。そういう貧困と精神停滞の素朴な関係は見逃せない。お金があればあったで、過激に浪費をする癖もあるから、一生お金に惑わされるのかと思うと、気が重くなるのだが、それでもお金はないよりは、あったほうがよい。

きょうも一度出かけるまでには、ずいぶん時間がかかった。図書館に行き本を読むことに、お金はかからない。しかし、それをやると、喫茶店に寄りたくなり、そもそも電車に乗る必要もあり、お金がかかる。学校に行くための定期券が切れ、新しい定期券を買うまとまったお金はない。お金がないのだから家にいるべきなのか、しかし家にいると精神が停滞してしまう。という悩み。

しかし東京都日野市に送る書類を作るためには、失業保険関係の書類をコピーして添付する必要があり、出かけることになった。必ず10円は出費の発生する外出だった。コピーを取り、図書館で本を返して、書棚のあいだを歩いていたら、ふと手に取った小説が面白くて、借りてきてしまった。とても分厚い。しかし語り口が軽妙で、読み始めたら止まらなくなった。閉館までではとても読み切れず、いま読む時間があるか、と迷いつつも、やはりこの本を読むと、どうも精神の調子が良くなるだろうと、さいきんさまざまなコストに関する判断基準を、精神、にとることがふつうになった。これも、発達障害の学校に通った大きな収穫である。

スポーツジムには行かなくなってしまい、ジムを解約すべきなのかもしれないが、お金がなくても解約をしてしまうことが精神を沈ませると思って、ムダ金を払い続けている。家を出ると精神がよくなるのには、運動する、ということもきっと関係している。夕方、日差しが弱くなってから、高幡不動→南平の一駅を歩いて帰ることを習慣にしてから、精神状態がすこぶるよい。きょうも歩いて帰ってきた。

これでは運動が足りないと思うから、またジムに行けるようにしたい。ジムに行っていたころは朝早く起きて行っていたのだが、発達障害の薬が強い時期になって、起きられなくなっていかなくなってしまった。いままた薬の影響が減っている。起きれる。しかし面倒だ。近日中に、というのは、次の仕事が始まる前、つまりはいまの学校に通っているうちに、スポーツジムの習慣を復活させたい。

2019年8月2日金曜日

この界隈の風通し


絲山秋子『絲的ココロエ』によれば、著者は双極性障害をもっている。田中は著者のデビュー当時の作品、そのような精神をモチーフにした作品が好きだったが、最近の作品はよんでいなかった。そもそも絲山がデビューしたころといまとでは、田中の読書量がぜんぜんちがうので仕方ない。双極性障害を中心とした精神に関するエッセイであるこの本を読んでみると、発達障害者の田中はまたしても運命的にこんな記述にぶつかった。
前述した通り私は、発達障害も専門としている主治医からASD(自閉症スペクトラム)の特徴を強くもっているという認識でほぼ間違いないと言われている。
発達障害を主題にした10章から引用しているが、この章に限らず読んでいてうなづくところが多い。完璧主義の話、依存の話、私も以前のんでいたリーマスという薬についても書いてあって勉強になった。発達障害、また精神病界隈でこの本の話を聞いておらず、図書館でたまたま手に取ったら、すごく良い本だったので、界隈のみなさんにぜひオススメしておきたい。
世の中をオフィスのような大きな室内空間にたとえると、私のいる場所は、過集中の灯りに照らされた対象以外は真っ暗闇の虚無である。その代わり手元の灯りはとても明るく高性能だ。物事が立体的に、細部まではっきりと見えるし、記録もできる。ADHDの人にこの話をしたところ「自分の場合はライトが眩しすぎて何もかも目に入ってくる状態」という答えだった。定型の人は全体を見渡せるが、細かいところまで見えるほど明るい照明ではないし、記憶力も劣っているのではないだろうか。
こういうたとえもなかなか鋭いと感じた。すぐ近くに書かれているように、現在、発達障害者ばかりがあつまる施設で日々を暮している田中は、ADHDの人とペアになって仕事をするときに、お互いの障害特性がタッグを組んだら、部屋全体が照らされて「これ最強やな」、と思う経験を何度もしている。

しかしまた、ASDであるらしい田中の過集中は、もっと手元の照明の性能が劣っていて、集中の焦点が役に立たない部分に集まっているような気もして、絲山の書く過集中のようなものならばまた使いようがあるのにと、うらやましく思ってしまった。まあこれがスペクトラムということなわけだが。
だが、発達障害界隈はきわめて閉鎖的な印象だ。グレーゾーンや、スペクトラムのなかで目立たない人、定型発達者にとっては、かかわりにくさが大きな壁となっているのではないだろうか。
こういう指摘もめったに聞かないからはっとしたが、そもそも発達障害者の障害特性として、それこそ「自閉」なのだから閉鎖的になるんじゃないかと思いつつ、またメディアや障害者としてほど苦しんでいない人がおもしろがっているから閉鎖的になるのだとも思いつつ、なのだが一方で、田中も発達障害界隈に息苦しさをさいきん感じることが多くなってきた。

絲山のようにコミュニケーションに長けているわけでもない田中は、自分が閉鎖的であることを承知で、しかしこの界隈は息苦しいとは表明しておきたくなった。そういう意味においても、この本は風通しの良い言葉で書かれているから、とても読みやすかった。

2019年7月31日水曜日

弱者のユーモアを見る視線の問題


高橋源一郎『一〇一年目の孤独 希望の場所を求めて』は、文学者であり障害児の親であり障害者の子であり学生運動の経験者であり…といった筆者がそのような立場から、関心のままに様々な場所に赴くルポルタージュで、そこにぼんやりと設定された共通項は「弱者」なのだが、この言葉が登場しはするものの明確に定義されないので、正確なところはよくわからない難しい本だった。しかしこの文学者の自伝というような内容である、ととりあえず理解しておくことはできる。
 ひとつの単語にすれば「弱者」ということになってしまうだろう、彼らのいる場所を訪ねるようになった理由の一つに、好奇心があることは否定しない。
 けれど、もっと大きな理由が他にあったことに、わたしは、途中で気づいた。それは、その「弱者」といわれる人たちの世界が、わたしがもっとも大切にしてきた、「文学」あるいは「小説」と呼ばれる世界に、ひどく似ていることだ。
間違いかもしれないが、そう思ったのは、「弱者」への想像力を働かせる筆者は、そのようなスタンスであるからこそ、ほんとうのほんとうに「弱者」ではないという立場にいるのではないか、と田中はそう思った。たとえば田中は発達障害者であり、障害者としてどうどうと、ほかの「弱者」に共感を感じることが、近日、とても多くなった。そういう共感を示す権利を得た、というような思いがある。

障害者でないと障害者を語れない、というのはちがうだろう。が、一方で、障害者以外の人間が障害者(など)を「弱者」として語ることは、本当に難しいことだと感じた。ただ、この本は、そのような難しいことを、極めてがんばってやっている、という印象は受けた。難しい問題で、このような印象論以上のことは、いま書けない。

田中は大学時代、文学を専攻していて、卒論は高橋源一郎だった。そのころの共感は、彼の作品がたんじゅんに面白かったからだったが、いま田中は障害者となり、そして高橋源一郎が障害者について書いているのを読むというのは、なにが喜ばしいことなのかわからないが、なんだか落ち着くべきところに物事が落ち着いていて、(正しい言い方ではないかもしれないが)うれしくなってしまった。

わたしは、この話を聞いて、ここには、なによりユーモアがある、と思った。三十年もの間、休まずに「デモ」が続いている理由がわかったような気がした。
一か所だけ出てくるのがなんだか唐突な印象で、その印象ゆえに印象深い、この本のキーワードの一つが「ユーモア」だろう。「弱者」はその弱点を直視するだけでなく、一歩引いたところに別の構造をもつ強さがある、と高橋源一郎は感じているのではないか。それは障害者として生きていくうえで、田中も見習わなくてはならないと思う一方で、そこに「ユーモア」を見るのは、高橋源一郎が「弱者」を外側から見つめているからなのではないか、という疑問も残る。これが先ほどから繰り返している、この本の難しいところだ。



2019年7月20日土曜日

私という動物たちをめぐる冒険


だいぶん時間をかけて読んできた大江健三郎『日常生活の冒険』をようやく読み終えた。物語の冒頭で結末が語られてしまい、基本的にはそこに向かっていくだけの物語だ。その構造が主人公「ぼく」の「ヒポコンデリア」(ちょっとした身体の異常を、自分で勝手に判断して気に病む精神病的症状。心気症)という作品の主題と結びつき、終始重たい話であった。
ぼくのヒポコンデリア最悪の状態になり、毎朝、向いあったベッドに目覚めておたがいを発見するたびに、ぼくの妻は、ぼくが眠りながら、鶏ほどにもけたたましく恐怖の叫び声をあげたことを話した。ぼくはいつもオーデンの《タフな心をもった男も、眠っているあいだには涙脆くなる》という詩句で対抗したものの、それはしだいに妻にもぼく自身にも感銘をあたえなくなった。妻は実家からつれてきた大きい犬を躰にひきつけてぼくの夢のなかの怪物を警戒しながら眠るようになった。そしてとうとう、ぼくが眠ったまま大声で二時間も泣きわめくという夜がきた。朝ぼくは決心した。妻もまた、彼女の憐れな夫が、このようなタイプの日常生活を送ることに心理的な犠牲を払っていることを理解していたのでとくに説明はいらなかった。
長い引用となったが物語も終盤近く、ここに至るまで何度も「日常生活」という言葉が登場してはいたのだが、この部分にある「このようなタイプの日常生活」というものこそが、通常読者が思い浮かべる「日常生活」なのであり、しかしそれはここに至っても完全に否定される。したがって『日常生活の冒険』という物語を[日常生活]の物語と思っていると読者はつまづくようにこの物語は出来ている。ホテルの朝食メニュのような食卓の描写や近所を犬を連れて散歩する、そんな[日常生活]の場面は一切出てこないのである。では、この作品における「日常生活」とはなになのか。
いま、日常生活の冒険という言葉をつかいながら、ぼくは過去と未来とを吹きぬける自分の内部の風洞に耳をおしつけて、風の近づいた夜更けぼくの生れた谷間のケヤキの梢がたてる音のように、ひとつの遠方からの声が語りかけるのを聞く思いだ。それはぼくと斉木犀吉のぼくらの生涯の三度目の出会いの夜、かれがウイスキーに酔って、ぼくに話した日常生活の冒険についてのかれの意見である。
これは作品の冒頭からの引用で、これに続く斉木犀吉の言葉も全部引きたいくらい、この言葉が作品全体を支えるコンセプトのようなものがこれを説明してみれば、「原色動物大図鑑」の話にはじまる斉木犀吉の言うには、「廿世紀人間はたれもかれも核爆弾で殺されるというその目的が異ならないので構成的相違の品種が少ない、というわけなんだよ。そこで、おれは、自分の能力をフルに発揮して、自分だけでも他のホモ・サピエンスとは構成的相違のある別品種になりたいんだよ」、ということなのである。


そのような物語の登場人物たちには、「斉木犀吉」「雉子彦」「鷹子」といったように動物の名前をもつものが多く、作品中の比喩にも動物が多く登場している。人間は動物にたとえられ、それぞれに「日常生活」を生きているのである。本記事最初の引用でも「ぼく」は「」にたとえられていた。

終盤、斉木犀吉の言うとおり、原爆の被害から白血病で死にゆく「」という人物を斉木犀吉は意外な方法で[救う]のだが、そのように政治に絡め取られる「廿世紀人間」の層の下に、犬の散歩的な[日常生活]があるとしたとき、この物語が描く「日常生活」はもう一つ下層の心理的な層だ。だから彼らが政治運動に近づけずに失敗するのは[失敗]ではないのだろう。公的な人間に対する、私の深層=真相をめぐる冒険―。


さて、この十二年間ぼくはかなり多くの小説を書いた。大学の友人の妹と結婚することもきめていた。ぼくは、自分の廿五歳の誕生日に結婚するつもりだった。結婚し、二人の子供をつくり廿冊の自分の本に背後から責めたてられ、軽いアルコール中毒になり、癌で死ぬる、さして天才のない作家の生涯のおだやかな線路に、ぼくの機関車は乗ろうとしていたのだ。あらゆる冒険的なるものをあきらめて。
あくまで斉木犀吉の友人としてはじまる物語の主人公は、物語が走り出してから突然、小説家であることが判明され、大江健三郎の事実を思わせるエピソードが混入される、この書き方がまたおもしろい。ここでも作者は[私をめぐる冒険]をやってみせている。作品の読みどころは、そうした作品の構造と、ヒポコンデリアの雰囲気とを、捉えることである、と田中は読んだ。

一本指の限界の先


タッチタイピングを目指してタイピングをはじめて20日が経過しました。ほとんどを人差し指で入力しているのでは一定以上の速度が出ないと悟った田中は、正しい運指を覚え、覚えたら速度を上げ、するといずれタッチタイピングつまりは手元を見ずともタイプできるようになると、そういう算段でした。

その計画、は続くのですが、強化期間は終了にすることになりました。田中は20日間で正しい運指を身に付け、なんとなく手元を見ずともタイプするところまで成長したのです。さいしょは打ち間違いだらけ、人差し指時代より速度は落ちるし、計画自体が無謀だと思ったこともありましたが、毎日毎日凄まじい成長のスピードを自分でも実感することができました。あとは自然にやっていけばそのうちもっと速く、もっと見ずにタイプできるようになるでしょう。

一日の練習時間は2時間から3時間でした。学校の自習時間を全部タイピングにあて、家でも練習をしました。タイピングを練習するために、キーの押し心地の良い新しいキーボードを購入し(それまでのものは一部キーが壊れていてだましだまし使っていたので)、また教材を揃えて勉強しました。ここではその教材をご紹介いたします。

タイピング練習ワークブック
シンプルで低価格。基本だけを繰り返し練習できます。基礎力が付きます。インターネットの入力訓練サイトに招待されます。この本を買えばいくらでも無料で使えます。

Keyboard Master Ver.6 ~思考の速さでキーを打つ~
練習ソフトはこれです。ゲーム性を抑えたもの、タイムの計測があるのも気に入っています。まだまだこれからも練習していきますが、実際的な文章入力はこのソフトですぐに身につきました。


■イータイピングマスター模擬試験
学校ではこのサイトで何回も模擬試験をやっています。できるとかいって田中はまだ5級生です。一本指では4級生なので、まだまだ伸びしろがあります。伸びしろをつくるために正確な運指を身につけたので、これから一本指の限界の先に向かいます。

と、なんのことはないスピードが落ちてるんじゃないかと、そうも言える現状なのですがしかし、確実に手元を見なくてもタイプができるようになってきています。しゃべるようにパソコンが使える感覚が、少しだけ見えてきて、これからの事務職就業がたのしみになっているところです。

2019年7月19日金曜日

エビリファイの体感


きょうは学校を休んで病院に行ってきました。精神科の定期通院です。医師に相談したことは、とにかく眠いということです。昼過ぎから眠気に襲われ、夕方家に着くまでふらつくように歩き、帰ったらとにかく眠くなる。かなり早く寝ると、真夜中に起きてしまう。しばらく起きていて、朝方もう一度寝る。朝ごはんを食べると、また出かける前に寝ることもある。そのようにこのところの田中の生活は、とにかく睡眠を中心にまわり、乱れていたのでした。

以前にもそういう相談をしていましたが、今回はいよいよ服薬調整となり、まあそういうタイミングを先生もはかっていたところがあるんでしょう。エビリファイ3mgが1mgに変更になりました。まだその生活を試していませんが、おそらくこれでうまくいくのではないかというよい予感があります。ちょうど3が1になるくらいがよいと、学校の言うように薬の種類を変更してもらうのではなく、という予想です。学校が発達障害専門学校なので、学校の先生は医者並みに薬にも詳しく、また医師も学校のことを知っていて、それなりに学校からの意見を尊重してくれます。

これを機会に、のんでわかってきたエビリファイという薬の特徴を書いてみたいと思います。エビリファイは、うつ・統合失調症・双極性障害とともに、発達障害にも使われる薬で、ドーパミンの受容体に作用して、ハイ/ローのちょうど中間のいい感じにする薬です。という公的な説明ですが、それが田中に対してどうはたらくか、それは眠気に代表されるように、「ムダな興奮を抑えている」という感覚の強いクスリです。

これまでの人生で田中は何種類も精神薬を飲んでおり、その中には交通事故で頭を打った時の強力なクスリもありましたが、そういうのをのぞくと、エビリファイがいちばん合っているんじゃないか、という気がしています。眠気には困っていたので、こんかい量を減らしてもらったわけですが、エビリファイにはこれまで感じたことのなかった、精神薬の効果を感じるようになっていて。それは時間がゆったりと流れ、空気がまろやかぁになるという、独特の魔法のような作用です。

朝の時間など、通常あわただしい時でも、時計がゆっくり進んでいて、慌てる必要がありません。そうとう時間が経ってしまったなと時計を見ると、まだ3分しか経ってないやん、というようなことが多くあります。また、以前は喫茶店などゆったり過ごすべき場所に行っても、ひとつことにすぐに飽きてしまい、すぐに脱出して次へ、というところがあったのですが、最近はじっとしていることが多く、じっとしていても全然時間が経たないので、勉強などがほんとうにはかどっています。

クスリの効能をここまで言葉にできるほど実感するのははじめてで、発達障害に詳しい東京都という土地に引っ越してきてよかったと思っています。大塚製薬の採用サイトにエビリファイの開発秘話がありましたので、最後にリンクをはっておきます。
https://www.otsuka.co.jp/recruit/interview/interview-details.html?id=2614

発達障害と国語教育


発達障害者の日常、をひとつのテーマとする弊ブログは、本の話ばかりやっている。それは発達障害者である弊ブログの著者の田中が、読書が好きだからに他ならない。読書においてのみ、田中は救われている。それに比べて現実というのは、わけがわからないことばかりだ。という言い方にもあらわれるように、田中が好きな本はいわゆる文学作品、フィクションである。

「発達障害生徒への配慮」としての「文学読解の軽視」?「ポリコレ以降」の国語教育|矢野利裕|FINDER

ツイッターで流れてきたこの記事について、意見を後日に、と書いてみたはいいが、書くなら早いほうがと、真夜中の中途覚醒時にパソコンを立ち上げた。まずは記事の要約をしてみると―新学習指導要領の国語では「駐車場の利用規約を読み解く問題や、著作権法の条文を読み解く問題などが出題」され、「「契約書が読めさえすれば、論理的思考が身についていると言えるのか」「現代文(評論文)ばかりが重視され、古典や近現代の文学作品を教える時間がさらに削られてしまうのではないか」といった批判や懸念が示されてい」る。

この文学軽視ともいえる事態、新学習指導要領の背景から考えるに、文学は「発達障害をもった生徒(とくに、自閉症傾向のある生徒)に対して過剰負担だ、という議論」の結果であるという話。


自閉症傾向のある人は、言葉を字義通りに受け取ってしまうため、文脈を把握しながら言外の意を汲み取ることや行間を読むことが苦手です(具体的には、アイロニーの読み取りが困難である傾向があります)。だから自閉症傾向にある生徒は、従来的な国語教育が定型発達の生徒に比べて過剰負担になる、というのです。
つまり、こういうことです――文学作品を読んで「文脈把握の力」を養う授業は、「合理的配慮」に反する。文学作品を読んで文脈を推し量る授業は、ポリティカル・コレクトネス的にアウトである。
―以下この記事について、従来の国語好きの発達障害者としての一意見を書いてみたいと思う。自閉症である田中は、現実世界において「文脈を把握しながら言外の意を汲み取ることや行間を読むことが苦手」なのだが、それはたしかにそうだが、国語の成績はよかったし、いまでも文学作品を読むのが好きだ。

文学には基本的に全てが書かれている。だから現実よりわかりやすいのだ。現実における「言外」はまさしく「言外」なのであり、その類推にこそ困難がある。また、現実は文学のように、戻って読むことができず、だからこそ「文脈」がとりづらいのである。あいまいな情報があいまいなまま止まらず流れていくことに、発達障害者である田中は日々苦しんでいる。文学と現実は、こんなふうにちがう、ということがまずある。

こうした障害に対する「合理的配慮」として、障害者雇用の職場で実際に実施されていることとして、「口頭でのあいまいな指示をせず」、「指示はメールやチャットで行う」、「書面でマニュアルを作成している」、といったものがある。契約書や条文はたしかにあいまいさの排除の極地にあり「マニュアル」に近いものだ――が、現実世界の全てがマニュアル化しはしない以上、時間が止まり全てが文字で確認できる文学作品を使って、学生時代に訓練をしておくことは、発達障害者にこそ大事なことと田中は考える。

「合理的配慮」については以前にも書いたように、障害者の一方的な甘えとしての「配慮」に留まらない「理由に合う(合理)」が必要、という考え方だ。現実世界において、発達障害者は、マニュアルのある企業でただ働く前に、とにかくメモを取って現実世界を文字化し文脈を取る努力をしたり、必要に応じて確認をとることで流れてしまうあいまいを巻き戻すといった、障害に対する対策をとるバーターとしてはじめて配慮を受ける権利を得るのだ。これが現実である。

ハラスメント禁止の国際条約、経団連はなぜ棄権したのか

その訓練として、本を読むことは重要だ。厳しい訓練とパワハラの境界がわからない、とは先日経団連がパワハラについて表明した意見で、ここにポリティカル・コレクトネスの難しいところがあるのを承知で――国語から文学を排除することは、単なる配慮であるのかもしれないが、「合理的配慮」ではないのじゃないか。ともすれば発達障害児の訓練の機会を奪うかもしれない。だから田中は、国語教育から文学作品を排除することに反対である。

2019年7月17日水曜日

ビジネスという名の風


今度こそ仕事を上手くしなくてはならない。仕事をして金を儲けて貯金したい。銀行口座に金が貯まるだけ幸せが増えていく。まだ仕事も決まらないのに田中は、ビジネス書を読んで仕事に備えている。きょう読んだ本は松本利明『ラクして速いが一番すごい』だ。精神障害者だからこそ、ビジネス書を読んで、仕事を構造化して、型どおりにこなしていかなくてはならない。

会社で仕事をする、とはいったいどういうことなのだろうか。そもそも仕事とは、ということを考えると、学校で毎日繰り返されるメッセージ「他人の問題解決をすることで対価を得る」という言葉が思い返され、この本に書いてあるのもそれだと思い至る。仕事は自分よりもまず他人である。そうして仕事をすることではじめて自分が生きるということを、肝に銘じなくてはならない。

自分の価値観より会社の価値観を賢く利用」したほうが、結果的に自分の思うように仕事できる。「やりたい仕事」は捨て、「勝てる仕事」に注力する」というのも理屈は同じだ。自分の意志を一旦置くことで、最終的に自分がラクになるのである。


「みんなでやった」と言いましょう。仕事は1人で完結するわけではありません。関係者1人ひとりに「あなたのおかげでうまくいった。ありがとう」と感謝をすれば、相手はあなたに嫉妬しません。人は自分が落とされたり、誰かが1人だけ抜きん出たりすると嫉妬覚えます。逆に持ち上げられると嫉妬はしません。それどころか「いやいや、あなたのおかげです」とあなたを持ち上げてくれるのです。

長く引用したが、これもこの本に書いてあるとおりに、音声入力でダーッと読み上げて入力した。以前記事を売っていた時にはよくやっていた音声入力を、久しぶりにやった。便利なこともすぐに忘れてしまうから困る。

コンセプト通り、この本はものすごい速さで読める。仕事をしていない田中も、仕事をしている気分にもなった。ビジネスという名の風が、目の前を吹き抜けていく。そんな本だ。仕事について考えたい人にオススメする。

2019年7月16日火曜日

お祈り上等


きょうもまた1社からお祈りメールが来たのですが、うまくいっている話が消えたのとは違うので、将来が定まってきたと、良い方に考えたいと思う就活おじさんです。きょうは転職活動中にぴったりの本を読みましたので紹介しましょう。

タイトルからしてその通りといわざるを得ない、有無を言わせない感がありますが、海老根智仁『会社を替えても、あなたは変わらない』ですって。学校の教育に従って真面目に転職活動をしていると、本当にそう思います。自分がまずあり、それにあう会社を選ぶのです。田中は次の会社で4社目となるはずですが、はじめて自己分析をきちんとやって職を選ぼうとしているので、うなづくところも多い本でした。
つまり、自分の強みを実現するフィールドとして会社選びをするのであって、会社選びをしてから、そこで自分の強みは生かせるのだろうかと考えるのは順番が間違っているということです。
田中は障害者として生きていくことを決めました。一般枠から障害者枠にチェンジすることで、「障害特性」なるものを会社に説明しなければならないことにはじまり、では自分の強みは逆に何なのかを考えてみると、これまでいかに自分に無理をして仕事をしてきたかがよくわかります。通常ならば、だからといってこれまでの職歴を無視して、ほんとうに自分にあうのはこっちでした、とキャリアチェンジをするのはなかなか難しいことですが、障害者になる、ということで、その枠は案外簡単に飛び越えられます。

障害者の中でも田中は、チャレンジ精神が旺盛であります。でなければ、いままで工場や農家で働いていたのに、急に事務職なんてできません。しかも田中は障害の特性上、どうも事務職の方があっているのです。書類選考で職歴を重視する会社は、そんなおじさんはいりませんとお祈りするのですが、チャレンジ精神と自己分析をきちんと評価してくれる企業様も、この世の中にはあります。そういう会社に勤めなければ意味がないのですから、お祈り上等です。

自分を買ってくれる企業にきちんと採用されるように、この先もしばらく自己分析をさらに進めていきたいと思います。去年の秋に前職を辞めたのですから、1年が経とうとしています。が、この一年は無駄ではなかった。また、ここに至る職歴すら無駄ではなかったと評価してくれる会社に田中は勤めたいと思います。

2019年7月14日日曜日

採用面接に感じる近代


就職活動の面接ラッシュが一息つき、結果はさまざまですが前に向かって進んでいる話もないわけではないので、これ以上タマを撃ってもわけがわからなくなるので、応募を一旦ストップにしました。6月の頭から応募をはじめてここまでの応募は7社にもなりました。弊ブログで以前に紹介した障害者合同面接会に参加したこともありますが、ここまでたくさんの応募を一度にしたのははじめてです。

学校で面接練習をやり面接を受け続けて、気分がずんずん沈んでしまっています。面接は基本的に虚偽のない書類を提出し、それと同じことが言えるかが試されている、同じことが言えないということは書類に嘘があり、人物も信用できないと、そういう試験と認識しています。

そんな書類通りの人物に田中は責任がとれないよ、思うことはいつも変わるんだし、自分の障害特性を受容なんかするわけがない。毎日毎日生きているのだから、障害の程度だって毎日かわるに決まっています。

だけどこう書いてみると、面接選考がうまく進んでいるところは、面接も型どおりではなく、おしゃべりに近いところばかりだから、そういう自由なところに採用してもらえたら、それでいいのかもしれないですね。

人間は人間が好きではない。人間は社会をつくりたくない。にもかかわらず人間は現実には社会をつくる。言い換えれば、公共性などだれももちたくないのだが、にもかかわらず公共性をもつ。ぼくには、この逆説は、すべての人文学の根底にあるべき、決定的に重要な認識のように思われる。

きのう放送大学の課題を解くにあたって、ラカンの「同一化」概念をわかりやすく解説している本をインターネットに探してみつけたのが、東浩紀『ゲンロン0 観光客の哲学』という本だ。

ちょうど大学生のころ東浩紀を読んでポストモダンを考えていた田中には、あのころ東が考えていたことがいまこういうことになっているのかと、そういう意味でもおもしろく読んだ。その途中に出てくる一つの段落は結論ではないが、この本の取る立場の表明として大事なポイントの一つと考える。

これに対して、近代という時代は「まじめ」に偏りすぎた時代であった。近代という時代はいまだに社会に色濃く残るから、引用したような「ふまじめ」を含む態度表明がまだまだ目新しい。採用面接に近代を感じるのは、もう最後にしたいと、最後にするために田中の仕事探しは、もう少し続く。

2019年7月13日土曜日

暗闇の中で吟味する


放送大学2019年1学期履修「文学批評への招待」の受講を終えるにあたって、自習型問題のひとつに回答してみた。

エドガー・アラン・ポーの短編「盗まれた手紙」のあらすじはこうだ。女は夫に知られたくない手紙を机の上に放ってしまい、夫に気づかれたくないから夫のいる前でその手紙を片付けられない、ということを察知した盗人が、二人の目前で手紙を盗んでいく。警察はどこに隠したんだといろいろ探すんだが、それを盗人はいっさい隠すことなく、状差(手紙入れ)になかば放置していたのであった、ということをデュパンが見抜くんである。

さて、この物語の始まり方が奇妙だ、と田中は思った。なんか暗闇の中で煙草を吸っているんである。探偵物語の雰囲気がよいですねと、そう単純じゃないのではないか、ということをポイントに、解答を組み立てた。

エドガー・アラン・ポー「盗まれた手紙」を読み、「見ることと同一化すること」という観点から、作中のエピソードを拾い出して解釈しなさい。

 エドガー・アラン・ポー「盗まれた手紙」の冒頭、デュパンと「私」のもとに警視総監G-氏が訪問する場面は、たしかにG-氏の言う通り「珍妙」な印象を読者に与える。
わたしたちは暗闇のなかに腰をかけていたので、デュパンは立ち上がってランプを灯そうとしたが、しかしけっきょくは灯さないまま再び座り込んだ。というのも、G-氏が、とんでもなく厄介な事件が起こって正式に捜査しなくてはならなくなったので、ついてはわれら二人に相談したい、とくにわが友デュパンの意見を聞きたい、と明かしたからだった。
「もし熟考を要する問題だとしたら」とデュパンは灯心に火をつけるのを控えながら言った。「暗闇の中で吟味するのが得策だろう」
 訪問者を暗闇の中に出迎えるという場面はいかにも「珍妙」で、印象に残る場面だ。しかし、この描写が最終的な事件の解決を示唆していたと理解するとしっくりくる。「暗闇の中で吟味する」とは、(盗まれる/盗まれた)手紙の保持者が手紙に視線をあえて送らないという、物語で反復される構造の隠喩になっているのである。もしくは「反復」が作品の冒頭から既に始まっていたとも言えるわけだ。
 
 手紙の登場以前からはじまっているこの「反復」をデュパンが説明する言葉が「推理する人間の知性を推理する人間の知性と同一化させる方法」すなわち「知的同一化」であるが、この「同一化」identificationはもともとラカンの精神分析理論の用語である。ここでは東浩紀『ゲンロン0 観光客の哲学』(2017)にある解説を補助線として、「盗まれた手紙」における「同一化」について改めて考える。

 東によればラカンの精神分析理論における「同一化」は、「想像的同一化」と「象徴的同一化」とで構成されている。「想像的同一化」とは「対象と自分を重ね、そのふるまいをまねること」であるが、「盗まれた手紙」という物語では、テキストでも指摘のある通り「手紙の移動に従って、登場人物はその位置を一つずつ変え」ているため、単純な「ふるまい」の「まね」が繰り返されているわけではない。では、繰り返されているのはなにか。「彼らがなぜそのようなふるまいをするのか、そのメカニズムを理解すること」すなわち「象徴的同一化」が事件を解決に導いているのである。
 
 「象徴的同一化」について東は「人間は見えるもの(イメージ)に同一化するだけでなく、見えないもの(シンボルあるいは言語)に同一化する」と書き、「ラカンはこの見えるものの世界を「想像界」と、見えないものの世界を「象徴界」と名付けた」と解説している。「盗まれた手紙」においてはそのように「見えないもの」を巡る物語が「暗闇のなかで吟味」されているということになる。

2019年7月7日日曜日

ポストコロニアリズムと「世界文学」


放送大学「ヨーロッパ近代文学の読み方―近代篇」全15回の講義、その最後の回において「翻訳」と「世界文学」について語られたことに関連して、学習した事項をここで報告したい。

テキストにもある通り「世界文学」という概念は、ドイツロマン主義時代のゲーテが「いわゆる国民文学の狭い枠を超えて多様な外の文学の拡がりに目を向けることで、翻訳文学の可能性を提起した」ことにはじまるが、このときゲーテが見ていたのは「「普遍性」という一つの極を志向するという意味で、現在の多極的な異種混淆性をもつ「世界文学」とは趣が異なる」(1)という指摘がある。

目下のところ日本で一番新しい「世界文学全集」を編集した池澤夏樹は、「出発点を今に置く」ことを編集の目標として掲げた時、しぜん収録作品が戦後のものに限られ、また「欧米中心の近代文学の構図も崩れる。この五十年間にはラテン・アメリカやアフリカ、アジアからいい作家がたくさん出てきた。女性作家も多くなった。それはつまり過去には少なすぎたということだけれど」と書いている(2)。

池澤夏樹の編集態度を学術用語に収めようとすると、「ポストコロニアリズム」という言葉が浮かんでくる。ポストコロニアリズムとは植民地主義=近代ヨーロッパ中心主義を脱しようという現代的な動きのことであり、そこには「民族や人種、宗教、ジェンダー、セクシュアリティーなど様々な要因の組み合わせが複雑に関連し合っている」(3)。

この文脈において「翻訳」は、テキストで見ている「外国の文物を受容し血肉と化す」という一極化を超えて、「他者を意識化する」ことで「多重的な世界の中の他者の物語を、重なり合う物語として再読していく可能性をもたら」す、と早川敦子は前掲書で述べている。

このように「ヨーロッパ近代文学」を学び、最後に翻訳と世界文学という視座に行き着いたとき、私たちは「ヨーロッパ近代文学」という枠組み自体を否定しなければならないことになる。それは「ヨーロッパ文学の読み方―近代篇」という講義の枠組の性質上、なかば反則技なのかもしれないが、大事な視点と感じたためここに報告した。

(1)早川敦子『翻訳論とは何か 翻訳が拓く新たな世紀』(彩流社2013)
(2)池澤夏樹「世界文学全集ですよ」(『完全版池澤夏樹の世界文学リミックス』河出書房新社2011)
(3)野口勝三「ポストコロニアリズム」(『知恵蔵』朝日新聞社2007)

茜さす空に、シトラス色の光点が


 阿部和重の『□』(シカク)、ときょう話のタネにする小説のタイトルをパソコンの画面に表示するためにタイプしたその瞬間に思いついたことは、多分正解なんじゃないか。この小説家は、タイトル未定で小説を書き出し、それをパソコンに保存しておくにあたって、とりあえず保存するにはタイトルが必要で、とりあえず「□」という記号を使ったのだ。ただの思いつきだから、あっているかどうかわからないが、もっと意味のあるタイトルを付けようと思えば付けられたはずだから、この直感はどうも当たっている気がする。


 
 しかしでは、この作品が未完成なものの垂れ流しなのかといえば、それは違うだろう。いかにもタイトルは『□』というふうに話が流れている。たとえば作品の冒頭、これは最後でもう一度印象的に繰り返される描写だ。それはまるで季節が再び巡ってきたかのようにと書くと、この小説が「春」「夏」「秋」「冬」の4章で構成されることと対応することになるがともかく、その冒頭をここに引用してみたい。いかにも「□」な感じとは、たとえばこういうことだからだ。
 茜さす空に、シトラス色の光点がふたつみっつほど揺らめいている。
 水垣鉄四は困惑しきっている。
 菜の花を食べたら、角貝ササミが死んでしまったのだという。
 三日ぶりに、烏谷青磁が訪ねてきてひょっとそう告げた。烏谷は泣いている。
 この日は四月一日、烏谷青磁があらわれたのは食パンみたいな雲がトースト化した、薄暮時のことだった。
 世間のルールにしたがい、水垣鉄四は当初その話を信じなかった。
 この時代、世間のルールはすでにあらかた形骸化していたが、烏谷青磁は嘘泣きしているようにも見えた。
引用し始めた時には、最初の一行を引用しようと考えていたが、引用し出したら止まらない。引用したくなる文章なのだ。パソコンで打っていて心地よいという意味で、いかにも作り物の人物名は当然、コピペで連ねるとたのしくなってくる。「四月一日」というのはエイプリルフールを指しているだろう。そんな作り物としての小説の冒頭が、空の描写でありながら不思議なデジタルも感じさせるという、一種の「宣言」として機能している。この作品はこの文章のように、リアリズムとデジタリズムを混在させた情報として、存在させるという宣言だ。


 小説のあらすじは、4つのアイテム(それは人体の4つのパーツ)を集めて死者を生き返らせるという、ゲームかライトノベルのようなもので、カニバリズム(食人)があるなど一見グロテスクな内容だが、この作品は最初の宣言があるから、グロテスクには流れないし、ライトノベルにもならない。文章を味わうたのしみがある。こういう小説を純文学というのかもしれないという気すらしてくる。

 ではここに意味はないのだろうか。というと、ないわけではないのかもしれない。季節は流れ、その時間を生きた人間の、人生の意味はこのように語られる。
おまえの出番はとりあえずここまでなんだ、よくやってくれたなご苦労さん。でもみんな食い終わったら、四パーツやおまえのなにもかもがおれやこいつらのなかに取り込まれて血となり肉となって新しい機能としてそれぞれに備わって即座に生まれ変わることになるわけだ。だからおまえにもまだ活躍の場は用意されていると言えるし、どちらかといえばこれから先のほうがそういう機会を数多く得られるだろう。ちがいはおまえという自我が跡形もなくなるってことだけだ。しかしそもそもおまえ今だって主体性なんてないんだから、結局は一個も変わらんってことなんじゃないか。
切り刻まれる肉体や死体が保存されるプールは、真正面の文字面で理解するとグロテスクだが、最初の宣言があるからこの作品の読者には、そうした肉体は「可視化された情報」と理解される。その理解に立つと、人肉を食べる文化のない人間の生活と歴史も、同じようなものなのではないかという感じがしてくる。


 人生の意味、を真正面から考えてしまうと、「□」という記号のように空疎かもしれない。しかしその「□」が生み出し、「おまえ」という場所に保存された情報は、いかようにも生まれなおされ、生き返される。田中は若い頃から自分の子供を作るつもりがなかった。それは検査と覚悟を経た今になれば、発達障害の遺伝子をこの世界に残したくない、ときれいに語ることのできる性質のものだ。では、田中に生きる意味はないのかというと、田中はそうは思っていない。田中が考え生きたという事実は、どこかの誰かに伝承され、田中は何度でも生き返る。それが人間の人生だから、ということになる。

駒場東大前散歩

以前、毎日の気分を表にチェックする方法を紹介しましたが、それからの数週間、月曜日から金曜日まで学校に行って、土曜日になると何をしたらいいかわからなくなってしまい気分が沈むということが続いていたため、今週はそれに備えて事前に計画を立てて、無理やりにでも出かけることにしたら、今週末はずいぶん気分よく過ごしています。学校に行くために毎日新宿駅を通るのですが、新宿駅にはいろいろな美術館のポスターが掲示されており、いちばん興味のあるものに出かけました。


日本民藝館は田中の住む南平から京王線を使って、駒場東大前駅からすぐの場所にあります。現在の展覧会は「食の器」。柳宗悦(1889-1961)民藝運動の基本編みたいな展示会で、眺めていると心が落ち着きます。普段使いの食器の美しさは特に、柳家で実際に使用されていた器の展示に感じることができました。民藝品には基本的に解説などがなく、ただそれを眺め、実際には使うことで美を感じるので、理屈がないからここに書く事も特になくて困るのですが、料理が載ってるさまを思い浮かべたりして、のんびり過ごしました。障害者手帳を使うと入館料は500円です。


日本民藝館のすぐ近くには、加賀藩主前田家の洋館邸宅が無料公開されており、ここも見学してきました。さらに近くには日本近代文学館、もちろん東京大学があり駒場博物館もありますが、昨日は疲れていたので、前田邸のなかでソファに座って本を読んで帰ってきました。見学者がそれほど多くないので、良い場所を見つけて本を読むのはおすすめの過ごし方です。読んだ本の感想はまた別の記事にしたいと思います。


2019年7月6日土曜日

だから私はクルー


田中の就職活動が行き詰まりを見せて、ブログも進まないので、たまには聖蹟桜ヶ丘のおばさんのことを書きたい。これまできちんと書いてこなかったが、聖蹟桜ヶ丘のおばさんは今月で十三回忌を迎えたことになる。聖蹟桜ヶ丘の街はずれを流れる多摩川の河川敷で、夜中に散歩をしていたらしい聖蹟桜ヶ丘の叔母さんは、鉄パイプのようなもので背後から頭を殴られて、朝のジョガーがそれを発見するまでレンガ色の舗装のうえに倒れていたのである。殺人事件の時効は本国では廃止されており、今でも7月の命日には刑事から手紙が来るが、もう無理だろういまさら誰が捕まりに来るのか。

ところで聖蹟桜ヶ丘のおばさんはマクドナルドホールディングスではフィレオフィッシュしか食さなかった。決して肉より魚という人ではなかったが、トマトという野菜が嫌いで、また朝マックでも通常時間帯でもいつも同じものを食べたいからと、聖蹟桜ヶ丘のおばさんはフィレオフィッシュをいつも選んでいた。きょう駒場東大前のマクドナルドに入ったらまだ朝マックの時間で、フィレオフィッシュのセットと口にした瞬間、田中は聖蹟桜ヶ丘のおばさんのことを思い出したのであった。もうすぐ刑事から手紙のくる季節であると。高幡不動の駅前の商店街では七夕祭りをやっていた。

―労働とは何でしょうか。フィレオフィッシュがのったトレーに敷かれた紙にはこんなことが書いてありますよ。「働く時間もお休みも自由に決められる。やさしい仲間が支えてくれる。自分にあった仕事が見つかる。サポートも手厚く職場に馴染める。だから私は、クルー」。マクドナルドホールディングスではスマイルを販売しているというけれど、メニュウにスマイルが掲載されているのか、少し前に見たような気がするけれど、きょうは見つからなかったわ。いつもフィレオフィッシュしか頼まない私には、関係のないことかもしれないと思いました。あなたもクルーになったらいいじゃないの。どうですか―。

田中は今回に限らずこれまで何度も仕事がうまくいかなくなってきた人間だから、これがいつの失業時代のことかもうわからないのだが、田中のパソコンの中からついこの間、聖蹟桜ヶ丘のおばさんが田中に送ってきた、電子メールの文章が発掘されたので紹介した。いつもはアイスコーヒーを頼むのに、きょうに限ってオレンジジュースを飲みたくなったのは、聖蹟桜ヶ丘のおばさんが田中用にオレンジジュースを勝手に頼んでいたことを思い出したからに違いない。

2019年6月29日土曜日

QWERTYをめぐる冒険


東京都にお住いの障害者の方で、仕事を探しているみなさんはご存知の通り、来週の木曜日、池袋でハローワーク主催の大規模な合同面接会がおこなわれます。194の会社が集まり、面接を受けることができる催しです。田中もなかば学校に強制される形で面接を受けに行きます。194の会社の求人票を見ていると、いったい事務職ってなんなんだろうという感じになってきます。一般事務、その殺伐とした響き――。

学校に強制される、と書いてしまいましたが、そのことを田中はありがたいと感じています。194の求人票が束になったものをハローワークで渡されても、どうみたらよいかわからず、どこを受けたらいいのか分からなかったところを、カウンセリングでここにはこう書いてある、この求人は田中にあっているのではないかと、先生は全てに〇×をつけてくれました。先生の意見があったから、うなずいたり否定したりができて、4つ受ける企業を決めました。こんなことをいうのもなんですが、どうでもいい順に受けて、面接の練習を積んでこようと考えています。

それにしても事務職はパソコンを使えないとどうしようもありません。いまこうしてブログを書く時、田中はテキトーな指使いでキーボードを叩いています。このとき田中はある程度のキーの場所を覚えていますが、ほとんどキーに視線を落としていますし、指も人差し指しか使っていません。それでもみなさんに読んでいただく文章は書けるのだからと思ってきたのですが、やはり模擬の会社で仕事をしたり、またタイピングの訓練をしていても、スピードに限界が訪れてしまい、指が正しく使えてキーを見ないタッチタイピングの人とはスピードがまったくちがいます。これでは話にならないです。

そこで月曜日から、つまりは7月いっぱいは、学校の授業でタッチタイピングの特訓コースに移籍することになりました。会社のおままごとのコースは休みです。おままごととはいえすごい訓練だという話はこれまでも弊ブログで話してまいりました。ですからここでそれを抜けるのはどうなのか、けっこう迷いました。これで特訓コースに行ってついていけず、無為な時間を過ごしてしまうのではないかというプレッシャーもあります。しかし、このプレッシャーがいま必要と思いました。模擬会社はすごい訓練と思う一方で、どうも遊びにしか思えない感じがして――。

この意味不明なキーボード配列、その意味を勉強すれば覚えやすいかもしれない、と調べてみると、キーボードの上のほうにQWERTYと並んでいるこの配列のことを「QWERTY配列」というそうですが、これはタイプライターあるいは電報の時代の名残であるということがわかっただけで、現代においてこの配列は何の意味もない、いつ変えればいいのかどう変えたらいいのか考えているうちに21世紀もだいぶん進んでしまったようです。

ただこれを調べての収穫がなかったわけではなく、というのは、この配列が英文のタイプライターの成れの果てであるならば当然のこと、この配列にはアルファベットの順序が透けて見えています。右手をいわゆるホームポジションに置いた時、そこにある「JKL;」はいうまでもなく「HIJKLMN」の「JKL」なのであり、「HIJKLMN OP」までが右手の守備範囲に収まっているのです。

学校で買ったタッチタイピングの教科書も、まずは英単語が打てるようになってはじめて、日本語のローマ字入力にうつるようになっています。さてタッチタイピングが1か月の特訓コースでどこまでできるようになるでしょうか。がんばります。

2019年6月24日月曜日

コイツの性格は


長く待たされた1社目の書類選考がお祈りされましたので、すぐに2社目に応募しています。こちらはすぐに返信があったので、今のところ脈ありと見ています。やはり「コイツはいらねえわ」いう判断となると、しばらくほっといてお祈りするのが、どうも企業の定石のようです(いろんなとこにそう書いてあります)。

その返事がすぐにあった2社目については、web適性検査受験案内がやってきまして、受験をしたところです。これは仕事のスキルを見るというよりは、「性格的に大丈夫かコイツ」いう検査であるようでした。受けたテストの名前をメモっておきましたが、「NETーHCAS」というものです。たしか142問だか144問だか、イエス・ノー・わかりまへん、の3択で、じゃんじゃん質問に答えていきます。じゃんじゃん答えないと時間切れになるようになっていて、それで嘘がつけないということなのかもしれません。

受験する前に、ちらっとだけ調べると、こういうテストにも攻略法みたいなのがあって、マニーを払いますと特訓を受けられたりするようなのですが、田中はもちろんそんな授業を受けたりはしませんで、さっさと受験して回答を送信しました。こういう性格のもので嘘をついていい点数をとり、会社に入ったところで無理が出て、また辞めても仕方がありません。田中は発達障害者です。性格に難があって当然じゃないですかねえ。もうわかんねえよなんこんな試験をするかね。

まあ採用してくれるならしてくれたで、ぐらいのゆるい感じで、就職活動を進めていきます。時間切れになってしまうようだったら、学校にはアルバイトも、在宅ワークも、副業可の低賃金も、いろいろありますから、どうにかなるはずと、そう思っています。働き方改革ですね。

2019年6月17日月曜日

発達障害という孤独をもう田中は恐れない


昨日(直前記事)で取り上げた、吉村萬壱『ボラード病』の「同調圧力」の問題を、逆から語ろうとしているのが、田中慎弥『孤独論』の「主体性」です。以下のように、「同調圧力」に対置される形で、「孤独=主体性」の価値が語られています。
友だちの数の多さや、場を盛り上げたり場に馴染むコミュニケーション能力を重宝する風潮は、過剰防衛の虚しい反転にすぎません。そんなものはなくても立派に生きていける。独りになり、陰口をささやかれ、後ろ指を指されようとも、気に病むべきではない。むしろ同調圧力から解放されて、自分を顧みる機会を得たのだから、喜んでいいくらいです。(太字=田中)
発達障害論を主にやっている弊ブログにしてみれば、昨日の議論も踏まえれば、発達障害者のコミュニケーション不全は、「孤独に過ぎる」ということになる、気がしていたのですが、この本は当の「コミュニケーション」をいったん棚に上げていることを特徴としています。現代社会の多数派が「同調圧力」によって「思考停止」に陥っているという想いが、著者にはあるからです。そしてなにより、元も子ないようで、だからこそ正しく響くのは、「人間は根本的に孤独なものである」という事実でしょう。
孤独であることは社会のシステム上、忌避されている。しかし、人間は根本的には孤独です。わたしたちはそうしたアンビバレンツにさらされています。
さて、この『孤独論』という本では、「孤独」ということ以上に「文学」が語られ、しかし一貫して語られ終着点ともなるのは「職業」というものです。大きく言って「人生論」といえる本書が職業の話に行きつくのは、「わたしたちの生涯の大半は仕事に捧げられ」るからであり、「人生観と職業観はほぼ等号で結ばれる」からと言えるでしょう。

求職活動中の田中にはまさしくタイムリーな内容でした。きょう、最初に応募した企業から「お祈りメール」がやってきました。人生で初めて「お祈りメール」をもらいましたが、人生で初めて就職活動らしい就職活動をしているのですから、仕方がありません。これまで田中はなんとなく雇ってくれそうな企業に応募して、そこで仕方なく働くことを繰り返してきたような気がします。そして、今度は違います。いくら高望みでも、やりたい仕事にどんどん応募していきます。障害者になったことを利用して、華麗にキャリアチェンジをしようとしています。
独りの時間、孤独の中で思考を重ねる営みは、あなたを豊かにします。そうした準備、練習が、仕事に幅をもたらす。あなたを開放する。
この『孤独論』という本を読むと、生きていく勇気が自然とわいてきますので、みなさんも読んでみてください。コミュニケーション不全はコミュニケーション不全なりに、強く生きていけばよいのかもしれません。あるいはそうとしか生きることができないのかもしれないのだとしたら、その孤独をこそ活かすべきなのかもしれないというのは、新しい視点です。田中もしたい仕事をきちんと見つけて、たくさん良い仕事をしていきたいと思いました。

 

2019年6月16日日曜日

コミュニケーション能力の「発達」とは


病める時も健やかなる時もブログを書き続けて5か月半、この記事が100記事目となりました。なんとか記事にできた文章も読み返せばそれなりで、書いてよかったと思えるものばかりで安心しています。100記事という数字はブログにとって、存在が世間に認知される最低限度のボリュームであると、以前にどこかで読んでから、この数字は常に気になるもので、はやく到達したいと考えていたものでした。そこできょうは一日で3つも記事を、というわけでもないのですが、読み終えた本の感想を書き留めておきたいと思います。
私はノートを書いています。書きながら、思い出しています。色々なことを。このノートが頼みの綱です。順番に思い出しながら書いているのです。しかしもう随分昔のことなので、スラスラとは書けません。肝心なところを避けて書こうとする自分に、打ち克つように心がけています。そして書かなければならないことは、私にはすっかり分かっているのです。嘘は絶対に書きません。全て本当のことを書いています。急いでは駄目です。ゆっくり、時間を掛けて自分の経験を正確に記していかなければなりません。そもそも急ぐ必要などどこにもありません。ここでは、時間はたっぷりあるのですから。
吉村萬壱『ボラード病』にある不気味さは、いわゆる「同調圧力」に由来するもので、舞台となる架空の都市の空気が、あるいはその土地の海産物が、なにやら人間に不調をきたすらしく、そのこと自体もうっすら隠されている、ということは言うまでもなく、フクシマ後の日本社会、を指し示すブラックユーモアであることは明らかです。「ぽぽぽぽーん」という公共広告機構のコマーシャルを思い出します。

このコマーシャルを思い出す理由はもう一つあって、ここが案外この物語のポイントと踏んでいますが、主人公が少女(こども)である、ということです。タイトルの「ボラード病」とは作品内において、社会の同調圧力を受け入れられない人間を指す語として機能していますが、主人公にその病が見られるのは、主人公がこどもだからなのだ、というフシが読み取れるように書いてあるのです。主人公の母も同じ病気の患者でありつつ、必死にそれを隠すことで生きのび、また主人公に「教育」しようとしています。

終盤、主人公は「同調圧力」の側に引っ張り込まれますが、そのとき主人公は同時に、コミュニケーションの喜びを感じてもいます。ここに至って、この物語は単なる政治的な寓話を脱していると、田中は読みました。すなわち、世の中にはコミュニケーションの文脈というものがあって、それを読み取れるように人間は「発達」していく。しかしそのように「発達」することで大きく損なわれるものもあるし、一方で得られるものもあるのだという、いわゆる少女の成長物語の典型にはまるようにできているのです。
それは周囲の動きに、偶然自分の石拾いの手の動きが同調した瞬間でした。その時、「海塚讃歌」のリズムが不意に体の中に入って来たように感じました。音楽のリズムに、体の動きがピッタリと嵌ったのです。全身が痺れたような気がしました。しかしそれは少しも不快なものではなく、寧ろとても気持ちよいものでした。波に乗る、と言うのでしょうか。ところがそんなことを頭で考えた途端、私は音楽から弾き出されてしまいました。野間夫妻を見ると、彼らは若者たちの倍のリズムで体を動かしていることが分かりました。つまりここにいる人たちは皆、「海塚讃歌」のビートにピタッと合わせて無心に踊っていたのです。私はもう一度そのビートに乗りたいと意図しました。何も考えずに石拾いのスピードを調整するだけで、それは簡単に実現しました。石拾いはダンスなのでした。私はすぐにコツを摑みました。今まで頭の中に壁を作って撥ね返していた「海塚讃歌」という歌に、こんな風に体ごと聴き入ったことはありませんでした。学校で、みんながこの歌を歌う時必ず体を揺らしていたことの意味が、この時初めて分かった気がしました。
発達障害者、なかでもコミュニケーション不全を持つ者としての田中には、同調圧力の恐ろしさと同じくらい、いやそれ以上に、コミュニケーションの輪に入った主人公の喜びに、その「発達」に羨望することになりました。ひらたく言ってしまえばこの物語は、自分が正しいのか、周囲が正しいのか、どちらかわからない、ということを書いているのだと、田中は考えました。

田中が行く池袋は


田中が4月1日から行っている「学校」、と呼んでいた場所は、正確には学校ではない。ではなになのかと言うと、よくわからない。発達障害者専門の就労移行支援事業所に通所している、というのが正式な言い方である。この就労移行支援事業というものは、支援する側がまずあり、支援することに対して役所からマネーをもらっているのだ。そのマネーがあるから支援される側は、無料で福祉サービスを受けている、ということになる。

が、その受けている福祉サービスとはいったいなになのか、最近よくわからなくなってきた。なにもしていない、とか言って、告発しようとしているのでない。たしかになんかやっているのである。それは仕事のままごとのようなもので、しかしよくできており、まさしく職業訓練と呼ぶにふさわしい。

田中はかつて自分が発達障害者だなんて思いもよらなかった失業期に、いわゆる職業訓練を受けて簿記検定2級を取得しているが、はてあれは職業訓練だったろうかと言えば、いま受けているものと比べた時、はなはだあやしい。あれは職業訓練という名前のモノであるに違いないが、実際の職業とはなにも関係していない。だから田中は簿記2級を取得してけっきょく、農業に従事することになったのである。

だから田中は、職業訓練という名の、社会にアジャストするための、福祉サービスを受けているのだな、と思っていたのだが、すると先日、その施設いわゆる学校からメールが来たのだ。東京都の指導により6月1日からみなさんには工賃を支払うことになりました。は?という話である。だって田中はなにひとつ働いていないし、ままごとをしているのだし、つまり何も生み出してはいないのである。ままごとで何かを作りそれをバザーで売ったりしているのではなく、ただよくできた偽物の会社に毎日通い、偽物の上司になんだかわからない文字の羅列された紙を持っていき、報告の練習をしたりしているだけなのだ。

それに対して工賃が出るという。工賃が出るとなれば、それは仕事なんじゃないか。とはいえ工賃は1日200yenだというから笑う。拘束5時間ままごと4時間である。時給50yenはアルバイトの最低賃金を大きく大きく下回っており、じゃあやはり仕事ではないのですね、ということになる。じゃあなんなんだよと。何のために工賃を支払うことにしたのだろう。不思議な話である。

一方でこの施設は、いわゆる転職支援人材業のように、田中に仕事を紹介し、企業から紹介料をもらうビジネスもやっている。そのおかげで田中は次の仕事が見つかるのかもしれないのだが、それにつけても田中は営業のエサなのである。そしてカウンセリングは、田中の心を癒す一方で、発達障害に関するデータどりに利用されていることも、田中にはわかっていることだ。いったいあそこは、田中が行く池袋は、なんなんだ。はやく抜け出したい、と思いながら、明日も田中は池袋に行くだろう。

2車単4-2―場外で、ネットで、駅のホームで―

今週は書類選考の結果をひたすら待ち、結局なんの返答もありませんでした。日曜日、失業者の障害者のおじさんも、たまには息を抜かねばつぶれてしまいますので、きょうは久々の競輪の日としまして、1万円を自由に使いましょうとしましたが、夕方、手元にお金が6000円も余っています。最終レースを当てたわけでもないのに。


それは昔なら考えられないことです。いままでならば、勢いに任せてカネをぶちこみ毎回破産し、お金が無くなることに醍醐味を感じていたところがありました。そういう生き方はやめようということなのでしょう。決勝戦を観戦して、元気が出てきました。中川誠一郎が勝ちました。


きょうは立川競輪場に競輪観戦に出かけました。今年のあたまに立川記念競輪の本場観戦をして以来なのではないでしょうか。前回は自家用車で来ましたが、いまはもうクルマを売っぱらってしまいましたので、きょうは公共交通機関で行きました。家の目の前の京王線南平駅、ここから隣の高幡不動駅で多摩モノレールにのりかえます。立川北駅で降りますと、伊勢丹のところから競輪場行の無料バスが出ています。


きょうの決勝戦は第70回高松宮記念杯競輪、GⅠ(ジーワン)という年に数回の大きな大会の決勝戦でしたが、その決勝戦は大阪の岸和田競輪場で行われており、立川競輪場は場外車券売り場のひとつということで、やや閑散としていました。いまどき競輪なんてネットで見たほうが快適で、場外に行くなんて暇つぶし以外のなにものでもないのかもしれません。しかし、家でパソコンに向かっているより、場外に出かけたほうが気分がよいだろうと思って、出かけました。


競輪場のデザインセンスはいかにも古めかしく、若い人もきっと楽しめると思うのですが、宣伝の仕方がへたくそなんでしょうか。老後までに2000万円貯金しないといけないらしいので、競輪なんかにつぎ込むマネーもないのかもしれません。田中は2000万円も貯めるのはあきらめています。


きょうは2レースから買いはじめて、当たったのは4レースだけでした。2車単4-2なんて縁起の悪い番号で当てたのははじめてです。ふつうはこういう番号は当たらないように番組が編成されるものだと理解していますが、きょうはなんだか、4稲毛健太は南潤の番手だし、2吉澤純平が絡んでくるだろうという、まっとうな予想に4-2が当てはまっており、4-2だわと思いながら買いましたが、当たりました。


お昼過ぎ7レースまで買いましたが、これしか当たらないので、食堂でカツカレーを食べました。当たらないといっても、きょうはどのレースもいい線までは当たっており、許せる範囲の外れしかなくて、気持ちはクリーンでした。太田竜馬くんが来ることは当たりだし、山崎賢人は案の定すえが甘いし、古性くんも地元で最後に勝ったし、大枠はみんな当たりです。お金がもらえないだけで。


カツカレーを食べたら、家に帰ってきまして、決勝戦だけはネットで見ました。ネットから投票したのは3連単。3着が外れました。ワッキーが3着に残ってほしかったですが、ちょっと調子が悪かったです。


なんども書こうと思ってやめたことで、今週ずっと考えていたことで、ツイッターに書いてみては投稿する前に消していたことですが、ここになら書いてもいいと思ったので、書きます。木曜日、田中が豊田駅のホームで電車を待っていたら、国立駅で人身事故があって電車が止まってしまいました。人身事故の交通混乱に出くわすのは、田中が東京に引っ越してきて2度目のことでしたが、すごいムカついて。


田中が精神の調子を崩しているのは、就職活動のせいだと思おう思おうとしていますがやはり、この誰かの死が田中の気分を沈めたのは事実で。勝手に死なないでくれんかね。田中は就労移行支援とやらに通い、なんとか生きようとしている障害者です。この数十年ずーっと、心のどこかで死にたいと思いながら生きている。そんなこと想像もできない人もいるでしょう。


バカみたいじゃないですか。死にたいと思いながら死ねずに生きてるやつもいるんですよ。そんな簡単に電車に飛び込まんといてください。ということが、どうしても言いたかったので書きました。きょうのレジャーの費用が余りましたが、なにに使いましょうか。

2019年6月15日土曜日

佐伯祐三幻想



佐伯祐三(1898-1928)の生涯は短く、東京美術学校を卒業した25歳を画家としての出発と見たとき、その画業はわずか5年である。卒業とともにパリに立ちパリに客死している佐伯だが、そのちょうど中間地点に親族の心配に促された日本への帰国があり、一般にその作品は<第一次渡仏期><帰国期><第二次渡仏期>と整理されている。

本稿で問題とするのは、佐伯祐三の<帰国>の画業における意味である。画学生時代から生涯を通じて佐伯と親交の深かった山田新一は「いやがおうでも日本の風物を、取材せざるを得なくなった一カ年半位は、文字通り佐伯の苦悩煩悶、或はスランプの時代といってもさしつかえないのではなかろうか」と書いている(1)

これまで佐伯の視線は常にフランスに向いていたと評され、<帰国>が大きく取り上げられることはなかった。しかし欧州体験が祖国回帰につながるような典型的な動きはなかったにせよ、佐伯祐三がそれまで目も向けなかった日本に、このとき向き合わなかったはずはない。病身の画家自身が命を懸けた短い画業において、只のスランプなどという無為な時間があったとは考えにくいからだ。

それが証拠に<第二渡仏期>があるとは言えないだろうか。すなわち、佐伯祐三の作品に<帰国>が影響を与えたからこそ<第二渡仏期>という区分が存在するのだ。それは単純な時間と場所の区分ではないということである。

<第二渡仏期>の作品の特徴は「『線』の野放図な乱舞」(2)である。熊田司は「《ガス灯と広告》や《カフェのテラス》では、ポスターの文字やイラスト、ガス灯の鉄柱、人物の手足、パイプ椅子やテーブルの等々、すべては等質で跳ね上がるような線描と化し、いくつかの簡素な色面に還元された背景の上で、蠱惑的なダンスを舞うかのようだ」と評している(3)

この線を佐伯祐三が日本画に学んだ可能性をここで指摘する。<帰国期>の日本の風景をモチーフとした作品の評価は一般に低調だが、作品には残らない部分で佐伯が日本を再評価することはなかっただろうか。そのように考える時、小説家の芹澤光治良に対して発したとされる「日本には帰りたくないが、日本に帰って、古い日本の山水と宗教画を見ることで自分の絵を完成できるかも知れないから、あきらめて日本に帰ります」という発言が改めて注目される (4)

安村敏信『線で読み解く日本の名画』(5)は、「日本美術の特色」を「線」に見ようとする試みである。ここで雪舟が発明したと位置づけられる「無重力の線」は、リアリズムの画面から線だけが浮き上がるような特徴をもつもので、日本独特の線の誕生と位置付けられている。その線を受け継いだとされる雪村の線を佐伯祐三と比較してみたい。

佐伯の『リュクサンブール公園』(6)に代表される立木の表現と、雪村の代表作『風濤図』(7)の立木は、描線のスピードを封じ込めたような表現に共通性が見られる。あるいは佐伯のカフェ連作(8)において踊る手足のような一筆書きの椅子をあらわす線の軽やかさは、『風濤図』において最も特徴的な、波頭の「水飴のような粘り気のある線」に似ている。
 
 証拠になる資料が見つからないため、推測の域を出ないことは承知で、ヨーロッパにひたすら憧憬した佐伯祐三が日本画から影響を受けていたことが証明される時、夭折の天才は真に近代日本を代表する洋画家となるだろうという幻想を提示した。

(1)『素顔の佐伯祐三』(中央公論美術出版、1980)
(2)(3)(4)熊田司「佐伯祐三――いくつもの出発――」(『佐伯祐三芸術家への道展』図録、練馬区立美術館、2005
(5)安村敏信『線で読み解く日本の名画』(幻戯書房、2015
(6)佐伯祐三『リュクサンブール公園』(新潮日本美術文庫『佐伯祐三』、1997
(7)雪村『風濤図』(上記(5)より)
(8)佐伯祐三『テラスの広告』(新潮日本美術文庫『佐伯祐三』、1997

2019年6月11日火曜日

麻井宇介=浅井昭吾 著作リスト


麻井宇介は日本を代表する知性である。現在の日本ワインの礎として名高い彼を知らないワインフアンはいないが、日本においてワインを知る人はまだ少なく、ワインを知らない人は麻井宇介も知らない。これは大変不幸なことだ。元ワイン製造業勤務の田中が発信している弊ブログは、ワインを知る人と知らない人の懸け橋になりたい。ワインは飲まなくてもよい。しかし麻井宇介は読まなければならない。麻井宇介を読むことで得られる知は計り知れない。

ウィキペディアに「麻井宇介」の項がないことをついこないだまで嘆いていたが、最近になってようやくその項があらわれた。なければ田中が執筆しようかと思っていたところだったが、無事補完されたようでありがたい。ここではウィキペディアより詳しい、麻井宇介著作リストを公開する。■が単行本、◇が雑誌記事、★は本名・浅井昭吾名義である。このページをプリントアウトして図書館に行ってほしい。またここにない著作をご存知の方はご一報願いたい(手に入れやすい新版などもあるが、このリストでは基本的に時期のはやいものを記載している=重複を省略)。いずれ内容は紹介していく。

■『ウイスキーの本』(碧川泉・麻井宇介 井上書房 1963
★「ワイン業界の70(醸界70年の歩み)
(「日本醸造協会雑誌」70(8) 1975-08 p.p523526
★「ウイスキーの味 (醸造飲食品の味-1-<特集>)
(「日本醸造協会雑誌」75(8) 1980-08 p.p635640
◇「随想:飽食時代の酒」(「食品工業」23(3)(473)1980-01
■『比較ワイン文化考 : 教養としての酒学』(中公新書 1981
◇「ワインつくりと化学」(「化学の領域」35(5) 1981-05 p.p392395
■『「酔い」のうつろい : 酒屋と酒飲みの世相史』
(日本経済評論社 1988 <>の昭和史 ; 8)
◇「ウイスキーの香り」(「化学の領域」37(1) 1983-01 p.p3135
◇「国際商品としての酒」(「国際交流」20(3) 1998-04 p.687
★「農業と工業の間にあるもの」
(「日本醸造協会誌」 85(11) 1990 p.761-761
◇「「酔い」のうつろい--昭和の酒はいかに変遷したか」
(「酒研会報」29 1990-03
★「《対談》酒をのむ・水をのむ」
(「酒文化研究」2 / 石毛直道 ; 浅井昭吾 ; 田村義也 / p239 1992-09)
■『日本のワイン・誕生と揺籃時代 : 本邦葡萄酒産業史論攷』
(日本経済評論社 1992
■『ワインづくりの四季 : 勝沼ブドウ郷通信』
(東京書籍 1992)(東書選書 ; 122)
■『ワインを気軽に楽しむ : 豊潤なバッカスの世界への招待』
(講談社 1992(講談社カルチャーブックス ; 64)
★「ワイン用ブドウの現状と将来」
(「日本醸造協会誌」88(5) 1993-05 p.p338343
★「ワインあれこれ ワインの地平を展望すれば」
(「Vesta」通号 36 1999-11 p.7277
★「酒」(杉田浩一責任編集『調理とたべもの』味の素食の文化センター1999
■『「酒」をどうみるか:2麻井宇介対論集』
(醸造産業新聞社 2001-10
◇「特別講演 21世紀の『日本の酒』を考える」
(「醸造論文集」 56 2001 p.87107
■『酒精の酔い、酒のたゆたい : 酒論の拾遺』
(酒造産業新聞社 2003
■『ブドウ畑と食卓のあいだ : ワイン文化のエコロジー』
(日本経済評論社 1986
■『酒・戦後・青春』
TaKaRa酒生活文化研究所 2000 (酒文ライブラリー)
■『ワインづくりの思想 : 銘醸地神話を超えて』(中公新書2001
★「The Introduction of European Liquor Production to Japan
(「Senri Ethnological Studies64国立民族学博物館 pp.49-61  2003-11-25

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