2019年5月2日木曜日

抱えきれなければ構わず捨てよ―人生最大連休遍路(3)平成三十一年四月二十八日


平成三十一年四月二十八日。この日は朝5時にテントにて起床。即テント撤収をはかり5時半には宇和総合公園を出発。6時過ぎ43番「明石寺」到着。見物をしながら7時の納経所開所を待ってすぐに納経した。次の44番札所までは70km近くあり、とても1日で到達できる距離ではない。こういう部分をどのように納得できるショートカットで埋めるか、という思考をこれまで楽しみとしてきた田中は、今回はじめて70kmを「歩く」というjust like a 正攻法、これが惑わない大人の挑戦、say yeah。

この日の主要なトピック、これは朝のうちに2件、いわゆる「お接待」を受けた、ということ。まずは9時ころ。上宇和駅近くの遍路小屋で休憩をしていますと、そこに近所の高校生とその先生がやってきた。学校の活動としてこの遍路小屋のところでお接待をしているのだということ、ほんとうにお接待をするのが楽しいというふうの感じが伝わってきて、お茶をいただいただけですが田中はとても元気になりましたありがとう。先生いわく生徒のつくったお茶が「薄くてスミマセン…」。するとすかさずお茶担当生徒「お茶の香りがする水ってことでひとつ…」。


さて問題はもうひとつのお接待。宇和町大江、国道56号線沿いのコンビニの駐車場で田中が休憩していると、近所のおじさん田中より20ほど上says「お遍路さんですか?」と話しかけていただいた。以降30分は話していただろう。特になんということは無い話。たとえば今朝ものすごい寒かったのは霜注意報が出ていたのだと。この宇和島の周辺だけ気温が低くなることがあり、それはどうも大陸からの冷たい風が、関門海峡を通って瀬戸内に流れ込んでくる、そのルートに関係しているらしいのだが、といった地理の話から、お互いの旅好きの話。そしてこれまでに見たお遍路さんの話―。

「そこでキミにひとつだけ、忠告をしておきたい」
「ええ、なんでしょう」
「いやな気分にならないでほしいのだが、キミに声をかけようと思ったのは、キミがごく近いうちに、体力的な限界を迎えそうにみえたからだ」
「え?私はまだ今回歩き始めたばかりだし」
「そうかもしれない。今のキミはとても充実してみえる。元気に違いない。だけどね、私にはそういうことがわかってしまうんだよ。残念ながら。気味悪いだろう。申し訳ないのだが、キミの今回のお遍路は今の計画のままには実現しないだろう」
「そうですか…」
「ただね、事故にあうとか、そんなことを言っているんじゃないから、安心はしてほしいんだ。だけれど、計画が頓挫するとそれは心にとって大きな衝撃だ」
「たしかに」
「だからキミには事前に伝えておくよ。計画は頓挫すると。しかしその時にそれでも続けようと強く思えば続くもんなんだよ。だからね、抱えきれなければ構わず捨てよ、ってね」 like a piece of 警句, he says

こんな作り話のような、てめえなに言ってやがんだい、という話をあのとき田中はよく聞いていたものだ。そして返す刀で「ミニマリズム」なる田中がいまはまっている思想を語ってみせもした。あのときあそこは、セブンイレブンの駐車場は、一種のゾーンに入っていたのである。会話の相手は急に立ち上がると1000円札を一枚、田中に差し出し、
「ありがとうたのしかった。これを愛媛県じゃあオセッタイって言うんだぜ」
おじさんは田中の肩をたたくと軽自動車に乗って、消えた。


田中が再び歩き始めるとすぐに「サテライト西予」という競輪の場外車券売場が目の前にあらわれて、田中はおじさんにもらった1000円を競輪にかけたらそれが100万円になるみたいな、そんなことを思ってみもしたが、どうもあの話はそんな簡単な話でないような気がして、サテライト西予を通過した、これまでお遍路の途中で競輪の施設に出くわせば、迷わず参戦していた競輪ファンの田中が。


そうして午後になって、おじさんの予言ははやくも的中してしまう。体力がない、という実感がひしひしと襲ってくる。どれだけ休憩してももう歩くことができず、とうもろこしの栽培ハウスの横に寝転がって、もう動けなくなってしまった。こんなことが自分の身に起ころうとは。そんな客観視もしつつ、これはかなりやばいという感じがした。スマホの電池は十分に確保しているから、最悪救急車呼べる。落ち着け。と思ったときに、おじさんの「警句」を思い出し、自分の語った「ミニマリズム」を思い出したのである。

田中が歩けなくなったのは、もしかしたら単純に、荷物が多すぎて、重すぎるってことはないだろうか。そして「抱えきれなければ構わず捨てよ」。田中は自分のリュックサックからテント一式をはずして、立ち上がってみた。すると一瞬の風が吹いたようだった。希望の匂いがした。そこでもう振り返らずに歩いた。田中はテントを不法投棄してきたのである。

そしてまた数時間歩いたとき、もう一度、あの脱力がきた。しかしそのときには、田中は対処法を心得ていた。担いできた大きなリュックサックは、背当ての板がついているなど、それだけで重いのだ。リュックの中にたたんで入れておいた小さいナップサックに、カメラや洋服など大事なものから詰めて、そのナップサックに寝袋をくくりつけると。洋服数着とタオルとが、持っていけないものとして、大きなリュックサックの中にそのまま残ったのである。そしてパチンコ屋の駐車場、like a 忘れ物。but that's 不法投棄again。Yes,it is。高洲クリニック。


ということで田中は持ち物を二度にわたって減らし、ようやく歩けるようになったのであった。この日の宿泊予定地は「十夜ヶ橋」という空海が修業の歳に野宿したことのある橋の下で、現代のお遍路にとってひとつの聖地と化している場所であったが、そこの数百メートル手前の「スーパーホテル」に宿泊することに決めたのは、野宿がさらなる体力の低下を心配させること以上に、あの旅好きを自称しもしたオセッタイのおじさんがスーパーホテルのファンであると言っていたからであった。息も絶え絶えの田中の目の前に、スーパーホテルの黄色い看板が、何かの啓示のようにあのとき光ったのである。17時ころ、チェックイン。この日の移動は11時間で25kmほどとなった。

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