2019年5月1日水曜日

アンパンマンはきみさ(田中じゃない)―人生最大連休遍路(1)平成三十一年四月二十六日


平成天皇が退位されることによる平成から令和への改元は、時代の切り替わりに死が絡んでいない珍しいケースとして大変に目出度いことであり、それを記念してどうか知らないが本年のカレンダーには実の改元日である五月一日を中心に公休の赤字が多数並んだ。全部で十日間である。田中はあいにく現在無職なのであり無職に休みも何もあったものでないということかもしれないが、田中は現在「就労移行支援」という制度を使って職業訓練の学校に行っている為ちょうどカレンダー通りに学校が休みとなって、目出度い連休を実感できてうれしい。

田中にとっておそらく人生最大の連休となるだろう。田中は昨年11月に仕事を辞めてからこの4月に学校に通い始めるまでずっと休みだったことは事実のようでいて、実感としてはまったく休みなどと感じることはなかった。毎日なにかに攻め立てられ休みとは思わなかったとも言えるし、なにか公のことがあってはじめて休みは実感されるのであるとかまあ言いようはいくらでもあるだろう。ともかく田中はカレンダー通りの10連休、の前に雑務処理の時間など2日の追加休みを学校に申請して、12連休を得たのだった。そしてその長い連休の大半を「四国遍路」にあてることはすんなりと決定した。


四国という島には88の寺院がありそれを巡るのが四国遍路です、という以外のことを定義することができないくらいに四国遍路って自由ですね、という話を途中の宿で夕食の時間にたまたま隣の席になった老婦人としたがまさしくそうである。だから定義をながながとするのは避けて田中の話をすれば、現在38歳である田中が四国遍路をはじめたのは25歳の時である。その前年に田中は村上春樹『海辺のカフカ』を読んで香川県という土地に興味を持ちうどんを食べたり美術館を見たりしに香川県に来ている。そのとき現地で実地に白装束のお遍路さんと出会い衝撃に打たれてしまったのである。以来、3回お遍路のために四国を訪れちびちびと寺院を巡っているのである。こういうまわりかたをお遍路の世界では「区切り打ち」と呼ぶ。これはきょう覚えて帰ってください。

さて今回は、JR宇和島駅を出発点としてはじめるのである。というのは前回四国遍路に来たときに、次回はJR宇和島駅がスタートになるようにここで区切っておこうと準備しておいたからそういうことになる。今回の四国遍路の初日は所用(通院等)の都合もあり、お昼に東京都日野市南平を出て、電車を乗り継いでいくとすっかり夜になってJR宇和島駅に到着するという、ただそれだけの日程となった。具体的には京王線南平駅から京王八王子駅へ。そしてJR八王子駅から横浜線で新横浜へ。新横浜から新幹線にのって岡山まで。岡山から特急で松山まで。最後の特急にのって宇和島まで。というルートだ。


このひたすら電車という日程について一言だけ記録を残しておくならば、それは「アンパンマン号」のことである。切符の券売機ですべての特急券を予約して用意していたのだが、そのときからアンパンマン号が気にならないはずはなかった。しかし時間的にアンパンマン号がちょうどよろしいからそうしただけのことだ。切符にも「アンパン」と書いてあるがただ外観がちょっとアンパンマンなのでしょういいですいいですと思っていたので、実物に乗ってびっくりしてしまった。


まあたしかにアンパンマン号はこういう電車なのである。しかしアンパンマン号は田中が思っていた以上に徹底されていた。内装もすっかりアンパンマンである。幼稚園のお部屋風の色の取り合わせなどを感じ田中は居心地が悪かった。アンパンマン号には田中のようなおじさんはグリーン車にはいても普通の指定席にはおらず、たいへんアンパンマンにお詳しい若い世代(平成20年代後半の生まれのみなさん)が多数乗車されており、ときおりアンパンマンのうたや声が流れる仕掛けには都度歓声が上がり、そのたびに田中は赤面していた。新横浜駅の新幹線ホームであまりの懐かしさに購入した「チキン弁当」のからあげとチキンライスをアンパンマン号のなかで広げると、そういう趣味のおじさんに見えてしまって周囲の親世代がドン引きしているのも肌で感じていた。


といったふうで、この日は22時を過ぎてJR宇和島駅に到着しそのまま駅直結のJRホテルに宿泊、お遍路の実際は次の日からとなった。お遍路は巡るのが楽しいのであって、あんがい巡っている間はただ歩いている。だからこのブログの報告も写真が中心になるのかなと考えている。読者のみなさんも愛媛県を旅行した気分が出れば幸いです。以下次号。


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