私たち近代人が仮想してきた「内面」を見直そう。前回の記事でそういう話をしたが、きょうはその続きだ。
そう、美醜は皮膚一枚(骨格は問うまい)の個体膜に覆われ、貧富や貴賤はさらにその上の衣服・住居・乗物などの「社会膜」に出る。およそ内面とは無関係な部分。では、生命という内面はどこに表われ、どこに反映されているのか。人間なら意識や精神なんだろうけれど、生物一般については、僕はまだ分からない。生物学者が高校生と対話する4日間の記録において、この発言が出てくる文脈を整理しておくと、まず「生物」ということばと「生命」ということばは、似ているが違うものを指しているだろうという話が出てきていた。その議論は、まず「生物」というモノがあり、そのモノが「動き回るルール」を「生命」と呼ぼう、という形でまとめられている。その上で、「生物」というモノの特徴が3点に集約される、という話が出てきている。
1.増殖するモノ
2.代謝するモノ
3.膜構造をもつモノ
で、引用部の話になるというわけだ。つまり、生物学というサイエンスが、生物には「膜」が不可欠と見定めた時、その膜の「内面」に人間は興味を定めた、と考えることができる。膜という実体がある以上、「内面」も仮想ではなく、実体であらざるを得ない。そこから人間の「内面」の探求がはじまっているが、「内面」は膜とちがってよく見えないから、なんだかよくわからんというのが現状なのではないか。
しかし、この先どんどん、内面も膜のように観察できるようになっていくだろう。というのが、前回の弊ブログの結論と重なってくる。たとえばDNAの構造が観察されてきている、といったかたちで、ということだ。
DNAの二重らせん構造を発見してノーベル賞を取ったワトソンとクリックのうち、クリックのほうはDNAから離れて脳や意識の研究に移って、さらに、宇宙生命のことも考えるようになった。彼の考えはちょっとぶっ飛んでいて、すでに高度に進化した知的生命体が無人ロケットに「生命の種」を積んで、あちこちの惑星に送り込んでいるって言うんだ。これを「意図的パンスペルミア」と言う。パンスペルミアとは、宇宙を飛び交う「生命の種」みたいなもののこと。「生命の種」の代わりに人間を積んで火星に送り込むっていう発想を天国のクリックが聞いたら、さぞ喜ぶだろうね。この記述が気になった。DNAの専門家はどうして脳や意識の研究にうつったのだろう。クリック博士について、勉強したらまた報告したい。
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