ラベル 50技術、工学 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 50技術、工学 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2019年7月20日土曜日

一本指の限界の先


タッチタイピングを目指してタイピングをはじめて20日が経過しました。ほとんどを人差し指で入力しているのでは一定以上の速度が出ないと悟った田中は、正しい運指を覚え、覚えたら速度を上げ、するといずれタッチタイピングつまりは手元を見ずともタイプできるようになると、そういう算段でした。

その計画、は続くのですが、強化期間は終了にすることになりました。田中は20日間で正しい運指を身に付け、なんとなく手元を見ずともタイプするところまで成長したのです。さいしょは打ち間違いだらけ、人差し指時代より速度は落ちるし、計画自体が無謀だと思ったこともありましたが、毎日毎日凄まじい成長のスピードを自分でも実感することができました。あとは自然にやっていけばそのうちもっと速く、もっと見ずにタイプできるようになるでしょう。

一日の練習時間は2時間から3時間でした。学校の自習時間を全部タイピングにあて、家でも練習をしました。タイピングを練習するために、キーの押し心地の良い新しいキーボードを購入し(それまでのものは一部キーが壊れていてだましだまし使っていたので)、また教材を揃えて勉強しました。ここではその教材をご紹介いたします。

タイピング練習ワークブック
シンプルで低価格。基本だけを繰り返し練習できます。基礎力が付きます。インターネットの入力訓練サイトに招待されます。この本を買えばいくらでも無料で使えます。

Keyboard Master Ver.6 ~思考の速さでキーを打つ~
練習ソフトはこれです。ゲーム性を抑えたもの、タイムの計測があるのも気に入っています。まだまだこれからも練習していきますが、実際的な文章入力はこのソフトですぐに身につきました。


■イータイピングマスター模擬試験
学校ではこのサイトで何回も模擬試験をやっています。できるとかいって田中はまだ5級生です。一本指では4級生なので、まだまだ伸びしろがあります。伸びしろをつくるために正確な運指を身につけたので、これから一本指の限界の先に向かいます。

と、なんのことはないスピードが落ちてるんじゃないかと、そうも言える現状なのですがしかし、確実に手元を見なくてもタイプができるようになってきています。しゃべるようにパソコンが使える感覚が、少しだけ見えてきて、これからの事務職就業がたのしみになっているところです。

2019年6月29日土曜日

QWERTYをめぐる冒険


東京都にお住いの障害者の方で、仕事を探しているみなさんはご存知の通り、来週の木曜日、池袋でハローワーク主催の大規模な合同面接会がおこなわれます。194の会社が集まり、面接を受けることができる催しです。田中もなかば学校に強制される形で面接を受けに行きます。194の会社の求人票を見ていると、いったい事務職ってなんなんだろうという感じになってきます。一般事務、その殺伐とした響き――。

学校に強制される、と書いてしまいましたが、そのことを田中はありがたいと感じています。194の求人票が束になったものをハローワークで渡されても、どうみたらよいかわからず、どこを受けたらいいのか分からなかったところを、カウンセリングでここにはこう書いてある、この求人は田中にあっているのではないかと、先生は全てに〇×をつけてくれました。先生の意見があったから、うなずいたり否定したりができて、4つ受ける企業を決めました。こんなことをいうのもなんですが、どうでもいい順に受けて、面接の練習を積んでこようと考えています。

それにしても事務職はパソコンを使えないとどうしようもありません。いまこうしてブログを書く時、田中はテキトーな指使いでキーボードを叩いています。このとき田中はある程度のキーの場所を覚えていますが、ほとんどキーに視線を落としていますし、指も人差し指しか使っていません。それでもみなさんに読んでいただく文章は書けるのだからと思ってきたのですが、やはり模擬の会社で仕事をしたり、またタイピングの訓練をしていても、スピードに限界が訪れてしまい、指が正しく使えてキーを見ないタッチタイピングの人とはスピードがまったくちがいます。これでは話にならないです。

そこで月曜日から、つまりは7月いっぱいは、学校の授業でタッチタイピングの特訓コースに移籍することになりました。会社のおままごとのコースは休みです。おままごととはいえすごい訓練だという話はこれまでも弊ブログで話してまいりました。ですからここでそれを抜けるのはどうなのか、けっこう迷いました。これで特訓コースに行ってついていけず、無為な時間を過ごしてしまうのではないかというプレッシャーもあります。しかし、このプレッシャーがいま必要と思いました。模擬会社はすごい訓練と思う一方で、どうも遊びにしか思えない感じがして――。

この意味不明なキーボード配列、その意味を勉強すれば覚えやすいかもしれない、と調べてみると、キーボードの上のほうにQWERTYと並んでいるこの配列のことを「QWERTY配列」というそうですが、これはタイプライターあるいは電報の時代の名残であるということがわかっただけで、現代においてこの配列は何の意味もない、いつ変えればいいのかどう変えたらいいのか考えているうちに21世紀もだいぶん進んでしまったようです。

ただこれを調べての収穫がなかったわけではなく、というのは、この配列が英文のタイプライターの成れの果てであるならば当然のこと、この配列にはアルファベットの順序が透けて見えています。右手をいわゆるホームポジションに置いた時、そこにある「JKL;」はいうまでもなく「HIJKLMN」の「JKL」なのであり、「HIJKLMN OP」までが右手の守備範囲に収まっているのです。

学校で買ったタッチタイピングの教科書も、まずは英単語が打てるようになってはじめて、日本語のローマ字入力にうつるようになっています。さてタッチタイピングが1か月の特訓コースでどこまでできるようになるでしょうか。がんばります。

2019年6月8日土曜日

障害は隠さず、そして機械に頼ろう


高齢者の運転操作ミスによる交通事故が問題になっています。俳優・杉良太郎が免許を返納して啓発活動としたことも話題となりました。これは難しい問題で自動車なしでは暮らせない地域もあるはずですが、ニュースになるのは不思議と都会ばかり。田舎でも対物自損事故みたいなのは多いのでしょうか。

きょう読んでいた『丹野智文笑顔で生きる 認知症とともに』(2017)、これは40歳を手前にして若年性アルツハイマーを発症した著者によるものですが、このなかにも高齢者運転問題が書かれていました。
車が生活の一部になっていた人にとって、認知症になったからといって、車の運転を禁じられることは、まるで自分の手足をもぎ取られたような辛さがあるのです。とくに公共交通機関の少ない田舎で、車の運転を取り上げられるほど辛いことはないと思います。イギリスのように、免許を更新しても車に乗りたいんだという人だけが実地試験を受ければいいのです。何もしないでだめと言われるよりも、実地試験をやってだめと言われたほうがあきらめはつくと思います。
現在、高齢者が違反でつかまると免許センターで認知症検査が行われる、 という施策はすでに日本でもあるのだと、このところのテレビニュースで見ました。しかしそうしたことより重要なのは、高齢者でも安全に運転できるクルマが、たとえば自動運転車などが、一刻も早く開発実用化されることだろうと、田中は考えています。

このブログでも書いていたように、田中は今年の初めまでの一時期、webライターのアルバイトをしていました。この時期、自動車関係のメディアに記事を売っていたことがあって。そのとき調べたところでは、ヨーロッパのクルマを中心に自動運転車はすでにある程度実用化されているし、日本車でも安全装備を売りにするクルマはどんどん増えていますよね。さいきんの事故のニュースでも「プリウスロケット」なる言葉があるように、ある車種に限って高齢者事故が多いということも、事実としてあります。

ついつい運転する高齢者を悪者と見てしまいがちですが、悪いのは自動車であり技術の進歩が至らなかったこと、という見方はできないでしょうか。前掲した本を田中が読んだのは、以前にも書いたことがあったように、発達障害と認知症はご近所さんだ、という認識が田中にあるからなのですが、この本で書かれる手帳やスマートフォンの活用はやはり、発達障害に対する方策としても読めるものに思いました。

これを広い視野から捉えなおせば、脳機能の障害は機械に補助を頼るに限る、ということで、以前から田中も思っていたところです。そしてこの文脈に照らせば、その「機械」というやつに「自動運転車」はまさしく当てはまるはずで、事故で犠牲者が出るのは悲しく避けなければならない問題である反面、冷静に考えればこれは人類の機械工学技術が追いつくまでもう少しの辛抱という感じに、田中には見えます。

奇しくも自動運転の電車が衝突する事故も起こったばかりで、どこまで行っても完璧ということはないことを知ったうえで、しかし人間が機械に頼る方向はこの先加速せざるを得ないし、それしか人間のさらなる進歩はないだろうと思っています。

認知症者による著書で、著者がタイトルの通り「笑顔で生きる」その理由を探せば、これも近日、田中が発達障害について考えていることに共通していました。
認知症を隠さなければ、たいていのことができるんじゃないでしょうか。認知症をオープンにすると、みんなやさしいことに気づくと思います。私がこれだけオープンにできるのは、やさしい人とどんどん触れ合っているからです。もちろん、中にはいやな人もいるでしょうが、その人と付き合わなければいいだけです。
認知症を隠しているということは、自分のなかの認知症に関するイメージが悪いからで、そのイメージの悪さに自分の首が絞められてしまう。そういった趣旨の論が出てきますが、これもそのまま発達障害にもあてはまるように思います。

脳機能の障害は、生活の工夫とそして機械に頼ることによって、周囲からどんどん見えなくなります。それ自体はよいことですが、見えないがゆえにいざ困ったことが出ると、周囲の驚きも大きい。最初からオープンにしておけば問題にならないことも多かっただろうと、クローズで勤務していた前職のことも、本を読みながら思い出していました。

 

2019年5月1日水曜日

やっぱり地元民は正しかった―人生最大連休遍路(2)平成三十一年四月二十七日




平成三十一年四月二十七日。朝7時にJR宇和島駅直結のJRホテルを出発して、41番札所「龍光寺」と42番札所「佛木寺」を巡り、43番近くの宇和運動公園キャンプ場にテント泊。運動公園着が16時30分ということだから、9時間半で距離は20kmというところだろうか。いやそれでは計算が合わないなんでそんな時間がかかったのかと思い返した時、この日の最大の失敗が思い返された。地図どおりに歩けば20kmくらいのところ、田中は遠回りな道を選択してしまい、実際に歩いた距離は35kmに近かっただろう。


実際に四国遍路をしている方なら常識も常識ですが、この写真にあるような「矢印シール」が、電信柱やガードレールなどいたるところにはってあり、お遍路さんが道に迷うことはないようになっている。そして現代のお遍路さんのほぼ全員は、この写真の真ん中の黄色い矢印シールをつくって貼っている「へんろみち保存協力会」が編纂している公式の地図「四国遍路ひとり歩き同行二人」という黄色い本を、たいてい持っているのである。田中だって持っている。まわりはじめた10年以上前に買ったんだ。いまからお遍路をはじめる方は、まずはこの本をインターネットで注文して、気分を高めるところからはじめなくてはいけない。


しかし時代はかわった。前回の遍路歩きと今回の間に、田中にもたらされた新技術(ニューテクノロジー)、それが「googleマップ」である。いまや田中は地図を読むことがなくなり、わからない土地では必ずgoogleマップで検索をかけるのである。この日、42番「佛木寺」を出たところで、田中はいつものくせでgoogleマップに「宇和運動公園」と入れてみたのである。するとgoogleマップは公式のへんろみちとは全く違う方角を指し示したのである。「宇和運動公園」は43番札所の近所であるはずだから、へんろみちを外れる必要があるはずないのである。




しかしgoogleマップが示した距離と必要歩行時間が、通常のへんろ行程より数倍効率的な数値を示していたのである。そんな早く到着すると天下のgoogleさんがおっしゃるのだったら、そっちの道をいったらよいではないか。となる。が、愛媛県のみなさまは遍路に優しいので、いかにも遍路である田中がへんろみちを外れていると、地元民がどんどん声をかけてくる。

「43番に行くのならこっちじゃないよ」「デカイ看板があったでしょう」「こっちでも行けるけど尋常でない遠回りだよ」というみなさんに対して、「だけどgoogleがそう言っているので」「私は43番じゃなくて宇和運動公園に行くのです」と言い続け、言い続けるうちにgoogle先生がいつの間にか何度も何度も距離計算をやり直して、田中が気づいたときにはやはり地元民の仰るとおりで、とんだ遠回りになっていたちうわけである。


宇和運動公園キャンプ場については、宿泊に2000円程度かかるという旧情報と、宿泊料金はかからないという情報が、ネットに混在しているので2019年4月時点の最新情報を書いておけば、料金は無料が正しい。宇和運動公園にはテント泊を許可している域があり、そこでテントをはるのが自由で煮炊きも可能であるが、ただそれだけ。田中がテントを張ろうとした場所では、田中が到着したとき少年たちが野球の練習をしており、野球の訓練が終わるまで田中はテントを張ることができなかった。

無料といってもただ張ればよいのではなく、公園の管理事務所に出向き書類を申請して許可を得る必要があるため、事前に電話連絡をした上で遅くとも17時までには書類を提出するために公園に到着している必要がある、ということが注意点だ。しかし、この宇和運動公園は43番札所へ行く手前の、へんろみちからほとんど外れていない場所にあり、便利である。公園の近くにある巨大なスーパーマーケットまた100円ショップで食料の調達も可能だ。だから、テント泊をするお遍路さんにはたいへん有益な場所であろう。


そうしてテントを張った田中だったが、このテントの写真がもう永久に撮影されないなどとは、この時点で知る由も無かった。ふつうのお遍路さんが歩かない道を歩いたという見方をすれば、それは幸せなことであったのかもしれない。峠道から海を眺め、あるいはトンネルがひたすら連続する国道の冒険、普通のお遍路さんでは見ることができないものばかりだったろう。だからよかったのだ。といえば言えるのだが、初日から30km以上を、重たい荷物を担いで歩き続けたツケが、翌日に回ってくることを田中はまだ知らなかった。ということである。以下次号。



田中はにわのツイッターもよろしく