2019年7月7日日曜日

ポストコロニアリズムと「世界文学」


放送大学「ヨーロッパ近代文学の読み方―近代篇」全15回の講義、その最後の回において「翻訳」と「世界文学」について語られたことに関連して、学習した事項をここで報告したい。

テキストにもある通り「世界文学」という概念は、ドイツロマン主義時代のゲーテが「いわゆる国民文学の狭い枠を超えて多様な外の文学の拡がりに目を向けることで、翻訳文学の可能性を提起した」ことにはじまるが、このときゲーテが見ていたのは「「普遍性」という一つの極を志向するという意味で、現在の多極的な異種混淆性をもつ「世界文学」とは趣が異なる」(1)という指摘がある。

目下のところ日本で一番新しい「世界文学全集」を編集した池澤夏樹は、「出発点を今に置く」ことを編集の目標として掲げた時、しぜん収録作品が戦後のものに限られ、また「欧米中心の近代文学の構図も崩れる。この五十年間にはラテン・アメリカやアフリカ、アジアからいい作家がたくさん出てきた。女性作家も多くなった。それはつまり過去には少なすぎたということだけれど」と書いている(2)。

池澤夏樹の編集態度を学術用語に収めようとすると、「ポストコロニアリズム」という言葉が浮かんでくる。ポストコロニアリズムとは植民地主義=近代ヨーロッパ中心主義を脱しようという現代的な動きのことであり、そこには「民族や人種、宗教、ジェンダー、セクシュアリティーなど様々な要因の組み合わせが複雑に関連し合っている」(3)。

この文脈において「翻訳」は、テキストで見ている「外国の文物を受容し血肉と化す」という一極化を超えて、「他者を意識化する」ことで「多重的な世界の中の他者の物語を、重なり合う物語として再読していく可能性をもたら」す、と早川敦子は前掲書で述べている。

このように「ヨーロッパ近代文学」を学び、最後に翻訳と世界文学という視座に行き着いたとき、私たちは「ヨーロッパ近代文学」という枠組み自体を否定しなければならないことになる。それは「ヨーロッパ文学の読み方―近代篇」という講義の枠組の性質上、なかば反則技なのかもしれないが、大事な視点と感じたためここに報告した。

(1)早川敦子『翻訳論とは何か 翻訳が拓く新たな世紀』(彩流社2013)
(2)池澤夏樹「世界文学全集ですよ」(『完全版池澤夏樹の世界文学リミックス』河出書房新社2011)
(3)野口勝三「ポストコロニアリズム」(『知恵蔵』朝日新聞社2007)

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