友だちの数の多さや、場を盛り上げたり場に馴染むコミュニケーション能力を重宝する風潮は、過剰防衛の虚しい反転にすぎません。そんなものはなくても立派に生きていける。独りになり、陰口をささやかれ、後ろ指を指されようとも、気に病むべきではない。むしろ同調圧力から解放されて、自分を顧みる機会を得たのだから、喜んでいいくらいです。(太字=田中)発達障害論を主にやっている弊ブログにしてみれば、昨日の議論も踏まえれば、発達障害者のコミュニケーション不全は、「孤独に過ぎる」ということになる、気がしていたのですが、この本は当の「コミュニケーション」をいったん棚に上げていることを特徴としています。現代社会の多数派が「同調圧力」によって「思考停止」に陥っているという想いが、著者にはあるからです。そしてなにより、元も子ないようで、だからこそ正しく響くのは、「人間は根本的に孤独なものである」という事実でしょう。
孤独であることは社会のシステム上、忌避されている。しかし、人間は根本的には孤独です。わたしたちはそうしたアンビバレンツにさらされています。さて、この『孤独論』という本では、「孤独」ということ以上に「文学」が語られ、しかし一貫して語られ終着点ともなるのは「職業」というものです。大きく言って「人生論」といえる本書が職業の話に行きつくのは、「わたしたちの生涯の大半は仕事に捧げられ」るからであり、「人生観と職業観はほぼ等号で結ばれる」からと言えるでしょう。
求職活動中の田中にはまさしくタイムリーな内容でした。きょう、最初に応募した企業から「お祈りメール」がやってきました。人生で初めて「お祈りメール」をもらいましたが、人生で初めて就職活動らしい就職活動をしているのですから、仕方がありません。これまで田中はなんとなく雇ってくれそうな企業に応募して、そこで仕方なく働くことを繰り返してきたような気がします。そして、今度は違います。いくら高望みでも、やりたい仕事にどんどん応募していきます。障害者になったことを利用して、華麗にキャリアチェンジをしようとしています。
独りの時間、孤独の中で思考を重ねる営みは、あなたを豊かにします。そうした準備、練習が、仕事に幅をもたらす。あなたを開放する。この『孤独論』という本を読むと、生きていく勇気が自然とわいてきますので、みなさんも読んでみてください。コミュニケーション不全はコミュニケーション不全なりに、強く生きていけばよいのかもしれません。あるいはそうとしか生きることができないのかもしれないのだとしたら、その孤独をこそ活かすべきなのかもしれないというのは、新しい視点です。田中もしたい仕事をきちんと見つけて、たくさん良い仕事をしていきたいと思いました。
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