放送大学2019年1学期履修
さて、この物語の始まり方が奇妙だ、と田中は思った。なんか暗闇の中で煙草を吸っているんである。探偵物語の雰囲気がよいですねと、そう単純じゃないのではないか、ということをポイントに、解答を組み立てた。
エドガー・アラン・ポー「盗まれた手紙」を読み、「見ることと同一化すること」という観点から、作中のエピソードを拾い出して解釈しなさい。
エドガー・アラン・ポー「盗まれた手紙」の冒頭、デュパンと「私」のもとに警視総監G-氏が訪問する場面は、たしかにG-氏の言う通り「珍妙」な印象を読者に与える。
わたしたちは暗闇のなかに腰をかけていたので、デュパンは立ち上がってランプを灯そうとしたが、しかしけっきょくは灯さないまま再び座り込んだ。というのも、G-氏が、とんでもなく厄介な事件が起こって正式に捜査しなくてはならなくなったので、ついてはわれら二人に相談したい、とくにわが友デュパンの意見を聞きたい、と明かしたからだった。訪問者を暗闇の中に出迎えるという場面はいかにも「珍妙」で、印象に残る場面だ。しかし、この描写が最終的な事件の解決を示唆していたと理解するとしっくりくる。「暗闇の中で吟味する」とは、(盗まれる/盗まれた)手紙の保持者が手紙に視線をあえて送らないという、物語で反復される構造の隠喩になっているのである。もしくは「反復」が作品の冒頭から既に始まっていたとも言えるわけだ。
「もし熟考を要する問題だとしたら」とデュパンは灯心に火をつけるのを控えながら言った。「暗闇の中で吟味するのが得策だろう」
手紙の登場以前からはじまっているこの「反復」をデュパンが説明する言葉が「推理する人間の知性を推理する人間の知性と同一化させる方法」すなわち「知的同一化」であるが、この「同一化」identificationはもともとラカンの精神分析理論の用語である。ここでは
東によればラカンの精神分析理論における「同一化」は、「想像的同一化」と「象徴的同一化」とで構成されている。「想像的同一化」とは「対象と自分を重ね、そのふるまいをまねること」であるが、「盗まれた手紙」という物語では、テキストでも指摘のある通り「手紙の移動に従って、登場人物はその位置を一つずつ変え」ているため、単純な「ふるまい」の「まね」が繰り返されているわけではない。では、繰り返されているのはなにか。「彼らがなぜそのようなふるまいをするのか、そのメカニズムを理解すること」すなわち「象徴的同一化」が事件を解決に導いているのである。
「象徴的同一化」について東は「人間は見えるもの(イメージ)に同一化するだけでなく、見えないもの(シンボルあるいは言語)に同一化する」と書き、「ラカンはこの見えるものの世界を「想像界」と、見えないものの世界を「象徴界」と名付けた」と解説している。「盗まれた手紙」においてはそのように「見えないもの」を巡る物語が「暗闇のなかで吟味」されているということになる。
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