2019年3月27日水曜日

生涯発達障害概論B


この記事のパートAでは発達障害の「障害」というものを解体する実験をおこなったわけだが、本記事Bでは「発達」という言葉のほうに注目する。この言葉はそもそもが心理学の学術用語である。心理学とは、google検索のどあたまにくる定義によれば、「生物体の意識とその表出としての行動とを研究する学問」だ。そして前回も使った教科書『ベーシック発達心理学』によれば、「発達とは、人間が生まれて(受精して)から死ぬまでの心身の変化ととらえることができ、一生涯見られるものであると言える(生涯発達)」、一言で言えば「発達」とは「変化」のことになる。

つまり発達という概念には「時間」が関係している。より具体的には「発達」は「成熟」と「学習」の「相互作用」によって成立する。このあたりをまとめると―

発達=ⅰ+ⅱ(相互作用)
ⅰ成熟…時間の経過とともに遺伝的なものが発現すること=遺伝(ジェネティクス)
ⅱ学習…経験による比較的永続的な行動の変化=後成的遺伝(エピジェネティクス)

成熟が遺伝子DNAの塩基配列に由来するに対して、学習は従来「環境」に左右されると言われてきたが、学者のみなさんは「環境ってなんやねん」とずっと思ってきたんだ。そんなあやふやなものでない、目に見える因子として近年発見されたのが「エピジェネティクス」。一卵性双生児を3歳の時点と50歳の時点で比べると、50歳のほうが差異が大きい。その差異はなにかといえば、同じDNA塩基配列でありながら分子レベルでの変化が生じている、ということが分子生物学の最新の研究で明らかになっている。

アメリカの教育学者ハヴィガーストは言った「生きることは学ぶこと、成長することは学ぶこと」と。いまを生きるわたしたちは、自身が「発達」する上に、学問が「発達」していくので、日々新しい情報を仕入れて消化していかなくてはならない。田中は4月から就労移行支援の学校に通い、障害者雇用してもらえる新しい仕事を目指していくのだが、その学校の体験をここまで何度か受けるなかで、田中の同年代と見えるご学友には一切出くわしていない。みんな若い。この若者たちは子どもの頃に発達障害というものがすでに発見されている世界に生まれたのだ。これに対してすでに中年の田中は、いまさら現実に追いついた精神医学によって「大人の発達障害」という謎のキャッチフレーズをいただくこととなった。

「大人の発達障害」という言葉遣いには、本来的に発達障害とは子どもに関するもので、それが子供のうちに気づかれず大人になってしまったかわいそうな人、という響きがある。しかしこれは単純に医学の進歩の問題だ。田中よりもっと上の世代あるいは古代中世の人々にはそんなことに気づかず暮らしていった人々がいたはずで、今後はより早い段階からなんらかの対策がとられるはずで。「大人の発達障害」とは発達障害なるものを発見した社会がうかれて騒いでいるだけの、数年で消えていくはずのワードである。

発達の定義に戻れば、人間は生涯発達する。しかしこの概念自体が近年急速に整備されてきた考え方だ。人間の発達において「初期経験の重要性」はたしかだろう。だから発達障害が先天的な脳機能の相違を理由に子どものころから発現することは確かなのだがしかし、発達障害者は生涯発達に障害があるのか、そんなことはないだろうと思うのである。田中はもう40歳の手前となっているが、ここまで全く発達=変化をしてこなかったとはとても思えない。たしかにうつ病を繰り返し、パニックを起こして仕事が続かずと、困ったことは多いが、それを「発達障害」という言葉で言い表すのは、なんかちがうのである。その違和感は、発達障害という概念にそもそも「生涯発達」という視点が欠けていること、が生んでいるのではないか。

こんな風に考えていくと「発達障害」という言葉が使われなくなる未来はあんがいすぐそこのような気がするのだ。ただしこの言葉はいま現在の世間では通りがいい。ぶっちゃけいまブームなのである。このブームの波に乗って、得をしていかなければ損である。それをわかった上で、一方ではこうして本質を追求していくというのが弊ブログのスタンス。


さて田中は個人的に、もうひとつ事情を抱えている。25歳のときに交通事故にあっている。真後ろから自動車に跳ね飛ばされて、40m宙を舞い、どぶ川の土手みたいなとこに頭から突っ込んだ。地面が土だったのでよかったですね、ということで、傷は頭と膝に切り傷ができただけだった。しかし数日の意識不明ののち、脳がいかれてしばらく精神科に入院していた。この間、意識ははっきりしており運動や食事はしているのだが、記憶はまったくない。あとから聞いた話では、病院の窓ガラスをパンチして割ったり、フルチンで病棟を走り回ったりしたそうだ。「高次脳機能障害」というやつである。

「高次脳機能障害」とは「事故によって脳が損傷されたために、認知機能に障害が起きた状態」だ(保険会社サイトより引用)。この「認知」という言葉は「入力→処理→出力」という脳の基本的な働きのことだが、ASD(自閉症スペクトラム障害)を心理学学説で特徴付けようとした時、そのひとつ「実行機能説」は特に「認知」に関係しているだろう。ASDは「実行機能」すなわち「目標のために行動、思考、感情を制御する能力」に欠陥がある。つまり田中は実は発達障害者ではなく高次脳機能障害者なのではないのか、という疑惑を抱えている。

ただし医師による幼少時の調査にはその傾向が認められるというから発達障害的であったことは間違いないだろうという。しかし現状の発達障害者という判断に、25歳の交通事故がどの程度影響しているのかは、現代の医学では明確な区別ができないと医師にはっきり言われた。それだったら高次脳機能障害者を名乗るよりも発達障害者を名乗ったほうがお得ですよねと、そういうわけで田中は発達障害者をやっているのである。

そして「認知」といったら「認知症」である。前回記事Aでも書いたとおり、田中は放送大学の「中高年の心理臨床」という科目を勉強しているところだが、発達障害的問題として田中が実感している、とにかく物覚えが悪い、これって実は発達障害なのではなく認知症じゃないかと田中は疑っている。物覚えが悪くなりそれにイライラするようになったのは、ここ2年くらいの話だからだ。単純に歳をとりそのように「発達」しただけなんじゃねえの?

認知症患者の「認知リハビリテーションの効果を左右する要因」には、「内的代償法」と「外的代償法」があります、という授業の話はとくに、認知リハビリテーションってまんま就労移行支援じゃん、と思ったことはすでにツイッターでだいぶ前に書いた。内的代償法は個人的なモチベーションを基盤とした周囲の支援、外的代償法はメモやカレンダーなどの補助手段や環境調整。この授業を受けて田中は、電子ノートという文房具を買い、記憶の補助手段を整備した。


まとめておきますと、発達障害はあくまで症状なり特性がある一方で、
1 その呼び名は現代医学の限界として存在しているだろう
2 しかしブームなので利用していったらよい
3 大きく脳機能の問題として見つめなおすと人間の新たな姿が立ち上がる
4 人間は生涯発達するものであって、発達に障害があるわけがない
といったところとなります。

「中高年の心理臨床」という授業の勉強は、病みながら生きた夏目漱石の話、また田中の実生活上の問題である記憶と認知の話など、もう少し勉強をして完結となる。このなかでおもしろいことが発掘されれば、また報告したい。
(今回はカラフルな記事になってしまったが、色の違いは引用元の違いである)

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