2019年3月12日火曜日

新しいあいまいのかたち


引っ越してきた東京都日野市南平、そこは大学の多い場所であり、図書館の多い場所。当初は、各図書館をまわってあそぼうと考えていたけど、それぞれの大学図書館は登録料をとるし、登録切り替えが毎年4月の図書館もあるなどで、現在行く図書館は限られている。図書館の数が増えたところで読める本には限りがあるし、これでよいのかも。

日野市に7館ある市立図書館は、いちばん家に近い中央図書館のほか、よく行く高幡不動駅から近い高幡図書館、また雨で移動が面倒なときには平山城址公園駅の改札の真ん前にある平山図書館の3館を利用している。そして大学図書館は帝京大学メディアライブラリーがすっかり気に入って大学生のように通っている。

この図書館の特徴である、現役大学生や大学教授による選書の展示、はけっこうな頻度で変わっていて、展示を手にとり借りることもできるため、どの本が人気なのかも通っているとわかる。また大学がどういう本を買うのか、いまどういう研究が盛んなのかも、なんとなくわかる。田中が注目しているというからではなく、発達障害に関する本はどんどん新着している。教育学部があるからということもあるのかもしれない。

田中は大学時代、日本現代文学を専攻し、このまえ書いたように卒論は高橋源一郎論だった。当時はとにかく小説が好きな青年で、小説が読めればそれでよかったのだが、卒論は小説を読んでいるだけではダメなので、高橋源一郎の小説を通じて「ポストモダン」(「近代」という時代のあと)を考える、というのがその趣旨だった。この卒論のことを最近よく思い出している。

発達障害は医学的にニューロティピカルと脳が異なるはずだが、しかし発達障害が苦しいのは近代という枠組によるのではないのか、あるいは近代がいよいよ煮詰まってきたから発達障害がブーム的にスポットを浴びたのではないのか――このあたりが近日の幣ブログの中心課題である。そんな難しいことをやっていましたか、という方がおられましたら、どうぞ読み返しましてカウンターをまわしてやってください。


2019年2月9日、帝京大学総合博物館ミュージアムセミナー 大学で学ぶ日本の歴史中世・近世編 第一回 深谷幸治「戦国の騒乱と天下統一」を聞きに行く。ポストモダンを考えるために「プレモダン」の話を勉強に行ったのである。日本の歴史には古代・中世・近世・近代・現代という時代区分が使われるが、これは日本独自のものだ。つまり、世界的な歴史研究において「近世」はない(「初期近代」にあたる)。

近代(モダン)と比べる、前の時代(プレモダン)は「中世」であり、日本史においては「戦国時代」が「中世末期」であると。このとき「中世」と「近代」をそれぞれ一語であらわせば、「あいまいな中世、を整序する近代」ということになる、という話がこの講義を一言でまとめたものになるだろう。

1467年、応仁の乱は室町将軍家の相続争いに端を発しているが、ここに各地の境界争いや飢饉を解消するための食糧確保などが幾重にも重なった結果として、戦国時代なるたたかいの時代がはじまる。それはとても不思議なことだ。どうしてみんな喧嘩しはじめるのか。しかしおそらくは、中世という「あいまいさ」が行くとこまで行った結果が、その混乱だったということだ。

鎌倉幕府の都道府県警察長官という一役職だった「守護」が、時代の流れとともに勢力を拡大させ、南北朝の争いという国家レベルの枠組み決定に口を出せるようになり、結果的に「戦国大名」として自らが天下統一を目指して戦争をするようになる。これは本来的に決まりがきっちりしていれば、そんなことになるはずがないのだ。近代の決まりを生きている田中からすれば、こんなおかしなことはない。しかしそうなってしまえたのはやはり、「あいまい」だったからのはずだ。

戦いは単純な権力争いである以前に、勝てば食料が得られる、といった実質的な利益を求めてはじまったはずだった。しかし、いちどやってみたらスポーツのようなゲームのような、どっちが勝つかということに人々の興味は集まる。そこで全国トーナメントの試合が一通り行われていく。

一方で、戦っている大名たちもこれ以上戦っていても損だわ、はやく勝って終わりにしたい、ということになり、優勝の織田信長が天下統一を達成した。がすぐに殺され、あとを継いだのが豊臣秀吉。この「織豊政権」がつくった国のしくみが、日本における近代のはじまりだった。たとえば刀狩、たとえば検地、といったかたちであいまいであった権利関係の諸事項を「型」にはめていったのである。

関ヶ原があって、江戸幕府があって、文明開化が、とまあいろいろあったのだが、ともかく織田信長がはじめた日本の近代が、いま終わろうとしている。終わろうとしているということが、田中が大学生だったころ、あるいは生まれたころから、もう何十年も言われている。最終的にどこに線がひかれるか、それは数百年後の歴史学教室で講義されるとして、田中はどうやって新しい生き方をやってから死んでいくかを考えているんである。

近代への反発から次の時代が再びあいまいな方向に向かうのは間違いないだろう。しかし、それはどのような方向のあいまいさであるのか。具体的には、近代のどの「型」を壊すのか。そのとき田中は発達障害者と名指しされた。そうならば、発達障害者というもののあり方から、近代の人間の型を崩してやろう、変えてやろう、というのが幣ブログの最終目標である。

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