1.2001年12月23日
明日はクリスマスイブなんですが予定は特になにもなく、きょうから「画像認知と記憶」という心理学の集中講義が4日間つづきます。クリスマスイブよりも天皇陛下の誕生日よりも、Tokyoから集中講義をしにくる心理学者の予定が最優先されています。打ち上げには出ません。
――「見る」というプロセスは非常にふくざつなものですが、目に飛び込んでくるのは光という刺激にすぎません。入力された刺激は脳がすぐさま分析をとりかかります。物体のかたちを認識する、かたちに込められた意味を認識する。そうしてはじめて、「ものが見える」のです。
経験と記憶。自分が経験してきたことが脳の中で知識体系をかたちづくっています。その知識体系はカテゴリー分類されているかもしれないし、近い概念どうしが結びついたネットワーク状のものかもしれないけれども、詳しいことはわかっていないし、個人差もあるかもしれません。ともかくそうした知識体系から記憶を検索し照合することで、人間は世界を見ています。
明日がクリスマスイブの夜ならば、誰かの目をみつめてみましょう。相手の目はぴこぴこと常に動いているこれを眼球運動といいます。いわゆる凝視をしないかぎり、目は1秒の間に3~4回動いているのです。そして目は、止まったときだけ画像を処理しており、ぴこぴこ動くあいだは画像を認知しないようになっているのだって。
つまり、人間が「見る」世界は不連続な、まるで映画のフィルムのような世界。ただし映画のフィルムの場合、コマとコマを繋げているのは残像効果ですが、眼球運動の場合は単純な残像に感覚記憶が介在しているそうです。
感覚記憶とは、目に飛び込んできた光情報にあえて意味を見出さず、かたちのみが脳に照射されるタイプの潜在記憶。つまり人間は1秒間に3~4回、目をとめて世界のかたちを把握。把握されたかたちは、次に目をとめる1/3~1/4秒後までの自動バックアップであり、眼球運動をしている間の見てない世界は記憶がつないでいるのです。世界をなめらかに見るために、脳は常に活動を続けています。
2.2001年12月24日
つまり、人間が「見る」世界は不連続な、まるで映画のフィルムのような世界。ただし映画のフィルムの場合、コマとコマを繋げているのは残像効果ですが、眼球運動の場合は単純な残像に感覚記憶が介在しているそうです。
感覚記憶とは、目に飛び込んできた光情報にあえて意味を見出さず、かたちのみが脳に照射されるタイプの潜在記憶。つまり人間は1秒間に3~4回、目をとめて世界のかたちを把握。把握されたかたちは、次に目をとめる1/3~1/4秒後までの自動バックアップであり、眼球運動をしている間の見てない世界は記憶がつないでいるのです。世界をなめらかに見るために、脳は常に活動を続けています。
2.2001年12月24日
こどもの頃からずっと疑問に思いつつ、だれかに尋ねるまでもないと放置していたことのひとつに、「自動車を正面から見るとなんだか動物の顔っぽいのだが、デザインしているひとは意識して顔っぽくしてるのだろうか」というものがあった。
きょう、大学の前で自動車3台が玉突き事故を起こし、クリスマスで浮かれているから事故るんだわと思ったが、それにしても自動車の鼻がひんまがっており、クルマがたいそう痛そうに見えるのだった。3台分の乗員がクルマの近くで会釈などしながら談笑しており、ドライバーに怪我がないのはよかったが、あれだけ自動車くんが「痛いよう、痛いよう」と泣いているというのに、クリスマスに浮かれたドライバーが無傷であると、少々しゃくにさわる部分も出てきても当然というものだ。
あらためて自動車を観察してみるに、ヘッドライトふたつが目のようであり、ナンバープレートが中央についていれば、おそらくそこが口である。
目の形にはさまざまなバリエイションが存在するわけだが、私はやはり軽自動車に多いまんまるな目がかわいいと思う。一般的傾向としては、四角い空虚な瞳やきつね目の車が増加傾向にあると思われるが、いかにも性格の悪さを露呈している。口は基本的にみなおなじだが、ナンバープレートが丁度いい具合に中央からずれ、おいら口とんがらかしてんだぜい、といった風情を醸し出してみるのも、また一興である。
心理学の集中講義で「人間は、点みっつが逆三角形に置かれていると、かならずそこに顔を発見してしまう」という話題が出た。だから自動車も顔のように見えるというわけだ。いったん「あれは顔なんだ」という思い込みをすると、その記憶の部分が活性化されるため、いつまで経っても顔であるどころか、どんどん顔に似てきているように感ずることもあるという。
樹皮を観察してみると、表面のでこぼこがなんとなし顔に見えることがあるが、これも同様のことだ。でこぼこが多い大木は神社仏閣の周辺に多いため、ついつい「心霊現象だ」などと騒ぎ立てたくなるが、実はそんなところにも人間の「顔発見心理」がはたらいていることが多い。天井のシミが顔に見えてくるなども同様である。
本日の聴講を終えて自転車で古本屋めぐりをしてきたのだが、国道41号線の大渋滞が顔の列に見えすぎて困った。ケンタッキーフライドチキンの駐車場へはいる車列から「肉をくれ、肉を食わせろ」という声が聞こえてきたのも、一種の心霊現象というものだろう。
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