私はもの忘れがとてもひどいです。とても大切なことでもメモを取っていないといつの間にか記憶が消えています。そもそもメモを取ったことを忘れていてある日突然メモが出現し、ビックリすることも多いのです。よくテレビドラマや映画で、記憶を保つことができない人の涙なしには見られない切ない物語、みたいなものがありますが、そんなロマンチックな展開が私の人生にも訪れないものでしょうか? しかし現実のもの忘れがそんな切ないはずがないのです。だって、もの忘れがひどい人は「切ないことの発生」という出来事すら、記憶から消失するのですから。
去年の秋くらいに私は前職を辞めたのですが、それがいつのことだったか、またなぜ仕事をやめたのかさえ、いまの私にはもはや説明することができません。たとえばツイッターを辿れば、そういうことをつぶやいてきた気がしますが、辿るのもめんどうくさいのでやりません。そうした面倒の一切を忘れることができるのは、ある意味幸福なのかもしれないと、そう思うことにしましょうか。
しかしあきれるほどの事件が昨日発生しました。発達障害の某プロジェクトから電話連絡があり、むかし病院から発行されたある書類を提出するよう求められました。その書類は家のパソコンデスクの下の黒い表紙のファイルに綴じてあることを珍しくパッと西野カナのように思い出したのですが、あいにくその電話を受けたのは出先でのこと。家に帰るまでに提出要請じたいを忘れてしまうことが心配されました。
そのとき再び思い出したことは、昨年スキャナを買った際、あらゆる書類をデータ化してクラウドに上げたのち、その大半を捨てる断捨離をおこなった際、この捨ててはいない書類もスキャンをしていたということでした。だとすればクラウドにはPDFで保管してあるはずであり、このPDFをメールで今すぐに送っておけばよいのだということに思い至ったのです。
ところが。このスキャンした書類がどこのなんというクラウドにアップされているのかが私にはまったく思い出せなくなっていました。私の購入したスキャナは、読み取った書類を、文書・名刺・写真・レシートの4つに自動で分類し、それぞれ指定したクラウドサービスに振り分けて保存するというスグレモノ。写真は毎日のように何らかの利用をしているgoogleフォトに格納され、レシートはスマホでやはり毎日確認している家計簿ソフトにデータ化されて記録されていることを覚えているのに。
あの昨年秋のミニマリズム運動の際、文書と書類が同じクラウドにどんどん収納されるのを確認した、あのクラウドってどこのなんだっけ? スキャンデータをすっかり見なくなり、ただスキャナに書類を通しては捨てるだけの簡単なお仕事をする軽作業者となったおじさん。思い出せる限りの私のwebアカウントにログインし、そのアカウントが所有しているクラウドなるものにアクセスしてみましたが、どのクラウドもすっからかんのからっぽでした。
スキャナの働きを制御しているのはスマホのアプリであり、そのアプリを開こうとしましたがなぜだかそのアプリに入場することが拒否されました。毎日レシートが家計簿にきちんとデータ化されているのにも関わらず。スキャナのアプリはインストールしなおし、今度はいまきちんと使用している意識のあるクラウドに紐付けをしなおして、環境は復帰されました。昨夜は家に帰ってから、提出必要書類をあらためてスキャンし、クラウドにPDF化されて格納されたそれをダウンロードして、メールで送りました。
それはそうとして、あの断捨離活動においてスキャンの後処分してしまった書類たちは、もう永遠に私のもとに戻ってくることはありませんでしょう。実際にはインターネットのどこだかにたしかに存在するはずで、さまざまな展覧会や映画のチラシ、腎臓が悪い私の定期検査の数値推移、高校や大学の卒業証書、前職場の機密的データやいただいた名刺などは、人類の遺産としていずれ発掘され活用されるでしょうけれども、私からは完全に失われてしまったのでした。
この出来事は一瞬だけ私をヒャっとさせました。しかし「完全に消えたわ」と知った後はむしろすがすがしく大笑いをしたものです。
たとえば卒業証書、それは卒業証明書という形で実用的には何度でも復元されるものでしょうが、卒業式で受け取ったあの紙自体は永遠に還ってきません。しかしそもそもそのような唯一のものをデータ化したにせよ、捨てたのは邪魔だから、だったはずなのです。あの筒、どこにどうやって保管するのが正解か、一切わからなかった。
名刺だってそうです。職務上もらったはいいけれど、自分から連絡できる人などただの一人もいなく、かといってただ捨てるのも失礼な気がしてスキャンしていましたが、本当はもうただただ捨てたくて捨てたくてしゃーなかったのんです。
クラウドにつっこんだ時点で、実は捨てたも同じ。スキャナを通した紙からは精神的重圧が希釈されて、ぺなぺなになるから捨てられる。「断捨離」という言葉の本質を見る想いがしませんか?(意味不明瞭)
数十年後、著作権が消えたこの文章を、まだ生まれてもいない誰かがどうにかして活用してくれることを、私はたのしみにしています。ありがとうございます。
0 件のコメント:
コメントを投稿