2019年2月14日木曜日
幻想の聖蹟桜ヶ丘
きょうは多摩モノレールが始発から全線運転中止でした。設備故障とのことでしたが、私が高幡不動駅でそれに気づいた瞬間には運転再開。それでも3時間ほどは運転していなかったことになり、通勤に使っている人は困ったことでしょう。またきょうは中央大学の入学試験があったということですから、受験生のみなさんはだいじょうぶだったかなと心配しています。連絡してください。私はただ散歩している無職のおじさんなので、喫茶店で混乱を避けてから、散歩の続きをしただけですけども。
こうして交通が混乱してみると、引っ越してきたばかりの土地の公共交通を確認してみたくなりました。私の住む東京都日野市は東西に京王線、南北に多摩モノレールが走り、その交差点であるターミナルが高幡不動駅となります。
日野市にある京王線の駅は、八王子寄りから順に、平山城址公園、南平、高幡不動、百草園の4駅。プラス高幡不動から多摩動物公園線が多摩動物公園に伸びています。
日野市内の多摩モノレールは、北側の立川寄りから、甲州街道、万願寺、高幡不動、程久保、多摩動物公園の5駅となります。
これに加えてJR中央線がかすめており、豊田駅と日野駅の2駅が、東京都日野市にあるJRの駅ということになります。
私の家は京王線の南平駅のすぐ近くで、こないだ帰りに雨が降っていて、傘を持っていなかったので走ってみたら2分で家につきました。ほんとうに近いです。京王線が走る音がいまも常にしている、安いアパートです。すぐ隣のアパートはウチがあるおかげで少し静かだそうで、家賃が倍だと不動産屋には聞いています。
中古の自転車を購入したので、JRに乗るときは日野駅ないしは豊田駅に自転車で行くこともできますし、高幡不動はもちろん、多摩モノレール沿いに多摩動物公園を過ぎて、私の近日のオアシスである帝京大学の図書館にも自転車で行ったことがありますが、なにしろこの近辺は急坂が多くて、自転車での移動は難儀します。
こないだ高幡不動で自転車を売っているところを見たらみんな電動自転車で、それを見た後すれちがう自転車がたいてい電動自転車と気づいて、自転車に乗るのが面倒になっている昨今です。最近では電動自転車のことを「eバイク」って言うらしいです。田舎に住んでいたらなにもわかりませんね。
この他にバスが走っているでしょうが、バスはまだまだよくわからず、ああバスが走っているわあ、いうてんですけども、きょうは暇だったので、通りかかったバスにひょいと乗ってみました。そのバスは「聖蹟桜ヶ丘駅行き」でした。この記事は以下、聖蹟桜ヶ丘についてのおはなしとなります。
聖蹟桜ヶ丘(せいせきさくらがおか)、この響きはなんなんでしょうか。実に怪しい地名だと思いませんか。私はもう20年はそう思い続け、そしてなぜかこのたび、聖蹟桜ヶ丘の近所の、南平というフツーの地に暮らすことになったのでした。
21世紀のはじめ、私は富山県で大学に通っていたのですが、そのころにもインターネットに、いまと同じような文章を垂れ流していました。当時はブログサービスの前夜で、「テキストサイト」なんて言葉があって、ヤフージオシティーズといういまは消えてしまったヤフーのサービスを使って、みんながホームページをせっせとつくっていた、そんな時代の話です。
時代が変わったからなのか、おじさんになったからなのか、いまの私は、東京都日野市南平に住む発達障害の無職のおじさんです、とあけすけなく文章を書き始めていますが、当時はインターネットにじぶんのリアルな実情を書くことには大きなためらいがあり、そのテキストサイトでの私は、完全に別の人格を設定して、その設定した人格で日記を書くという、ある種の実験をしていました。
この実験は非常に成功し、私の文章を好きになって、毎度読みに来てくださる方もいました。なかでもこだわっていたことは、男だか女だかわからない現代日本語の文体をつくる、ということで、ペンネームもどちらの性別ともとれるもの(「栗本薫」的な)を使っていました。
それはともかく、その日記に私は「聖蹟桜ヶ丘の叔母さん」という架空の人物を頻繁に登場させていました。聖蹟桜ヶ丘という場所がどこにあるのかもよくわからず、そんな叔母さんもいないのですが、ただ「セイセキサクラガオカ」という言葉が怪しいわあいうて、そうしていたのです。
インターネットなるものが一般庶民にも使えるようになりましたよ、という時代。うれしくてパソコンを買ったはいいものの、ホームページをつくるほどの技量はない「聖蹟桜ヶ丘の叔母さん」は、かなり頻繁に、私に対してメールを送ってくる。ただの日記のような「聖蹟桜ヶ丘の叔母さん」からのメールを、私は無断でインターネットに公開する、という設定でした。
「聖蹟桜ヶ丘の叔母さん」は子供がなく、「叔父さん」がバンコクに単身赴任をしているため一人で「聖蹟桜ヶ丘」に暮らしており、少し精神を病んでいるようでした。そんな「聖蹟桜ヶ丘の叔母さん」がメールをしてくるのです。「昨日の夜、目が冴えて、つぶつぶみかんゼリー4つも食べちゃったのよ」などと。
当時の私の頭の中には「聖蹟桜ヶ丘」がどんどん広がっていって、以来いちども聖蹟桜ヶ丘を訪ねたことはなかったので、きょうのきょうまで「聖蹟桜ヶ丘」は「聖蹟桜ヶ丘」でした。飛び乗ったバスのなかで20年前のテキストがよみがえり、しかしバスの車窓から見える風景は全く「聖蹟桜ヶ丘」ではなくて、私は驚いていました。
単純に言えばもっともっと田舎で、どちらかと言えば南平駅に近いイメージでいた聖蹟桜ヶ丘の駅は、大きな京王百貨店がA館、B館、C館と連なり、こんな京王百貨店があったならば「聖蹟桜ヶ丘の叔母さん」ももう少しちがう病み方をしていたんじゃないかな、と思う街でした。
京王百貨店の中にシェーキーズがあり、ランチタイムはピザの食べ放題をしています。1100円は安いと思って入店したらドリンクバーをつけると1300円になり、だまされたと思いました。しかし、ピザはどれもおいしく満足です。数多くの種類のピザが数切ずつ焼きあがってならびます。
どうせピザは1切れずつ食べるのに、シェーキーズ以外の店、特に宅配ピザ業界は、どうしてまんまるにこだわっているんでしょう。ということを考えました。安くてうまいピザの出し方は、他の店ももっと考えたほうがいいでしょう。
ピザを食べながら、スマホの画面で聖蹟桜ヶ丘を調べました。「聖蹟桜ヶ丘 なにが聖蹟」と検索。大正時代には「関戸駅」であったこの駅は、昭和12年に「聖蹟桜ヶ丘駅」と改称されています。やはりそういう時代かあ――「聖蹟」というのは「天皇が来たとこ」という意味だそうで、この近辺は明治天皇がウサギ狩りの遊び場にしており、昭和のはじめになってそのことを記念して記念館が建てられ、そこに桜を植えて、といった歴史。いまも残っているそうで行ってみたかったのですが、きょうは時間がなくて。まあ近所ですから、近いうちにまた――。
と思っていると、シェーキーズに似つかわしくない、老婦人がふたり。シェーキーズはランチタイムのピザ食べ放題が終わると、午後のドリンクタイムに突入するシステムと知りました。私の食べ放題の時間ももう少しと席を立って、レジに伝票を出そうとその時、私の視界の端に映ったのは、アイスティーをのむ「聖蹟桜ヶ丘の叔母さん」でした。
「聖蹟桜ヶ丘の叔母さん」は友達とシェーキーズで笑いながら多摩モノレールが止まった今朝の話をしていたのです。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿