2019年2月19日火曜日
よるのはなしのつづきのはなし
夕方、南平駅の踏切が開くのを待っていた。カンカンカンカン遮断機がなり、南平には停車しない特急だか急行だか、通り過ぎる轟音を聞いていたら、記憶がフラッシュバックして、手を強く握った。そのせいで、いまも右手の平が青紫色だ。やはり利き手の方が握力が強いという話だ。
という握力の話ではない。いやな記憶ばかりを集めて、煮詰めているという話だ。そしてそれがフラッシュバックする。「フラッシュバック」についてwikipediaで調べると、待ち構えていたようにそこには、「アスペルガー症候群などの広汎性発達障害でもフラッシュバックを引き起こすことがある」との記述がある。だからwikipediaは信用ができるという話になる。
怒りという感情は、発達障害者が手を持て余してしまう大問題だ。そこには対象のなにに注目し、なにを記憶し、なにを忘却し、といったまさしく脳の問題が複雑に絡んでいるように思う。
本来フラッシュバックというのは、おさないころの記憶が不意に呼び起こされることを指す言葉なのだ。しかしそれがなぜ発達障害者にも起こるのか。発達障害者は発達に障害があるから、大人になっておらず、最近の記憶もフラッシュバックする。それは乱暴すぎる言い方だが、ある意味では正解だろう。
健常な発達とは何か知らないが、人間の成人の大多数は記憶になんらかの、おそらくは言語的な整理をつけて、脳に収納するのだ。しかし、子供は(発達障害者は)その整理ができないのである。だから整理ができていない引き出しから、なにかが取り出されようとすると、余計なものが引きずりでてくる。それをフラッシュバックというのだ。
怒りの感情をどう抑えるべきかと、これまでさまざまにやった。
ある場所では、「あなたは怒りをエネルギーにして行動する人だから、それはそれでいいんじゃないの?」と意味のないアドバイスを受けた。それで他人を傷つけるまで徹底的にやってしまうことを、私はずっと恐れてきたのに。
またちがう場所では「前世が戦国時代の足軽」と言われ、だからなんですかという話だが、成仏できていないと、小さなこけしみたいなのを買わされそうになった。
ある時は意識高い系の交流会に出かけ、流行の「アンガーマネジメント」について勉強した。すると私がアンガーマネジメントについて勉強していることをどこからか聞きつけた会社の後輩が、朝礼のスピーチの時にいかにも得意げに、なんども私の顔を見て、「アンガーマネジメントとは6秒我慢すれば怒りが収まるというもので…」と、インターネットで検索すれば一番上に書いてあるようなことを話して、
殴ってやろうかと思った。これはほんとうに殴ってやろうかと思ったのだ。しかし殴らなかった。殴らなかったからいいでしょう、思うだけならば。
この朝礼のTのスピーチを聞いているときの感情も、あああの時の、としっかり時間のタグがついたかたちで週に1度はフラッシュバックする。フラッシュバックは「いつだかわからない怒り」という形ではやってこないのだ。殴ってやりたい。また会うことがあれば会った瞬間に殴ってやりたい。
しかし無理だろう。そういう出来事があったことは記憶しているが、Tの顔はもうとっくに忘れてしまったからだ。会っても誰だかわからない。この出来事があったのは2017年くらいのこと、まだ2年経っていないが、顔は忘れてしまった。したり顔であったT、という記憶だけを残して。
必要ないことは忘れるに限る、とはよく言ったものだが、それならば全部忘れたらよいのに、脳の中が整理できていないから、いやな感情がヘンなとこにつっかかっているのだ。たとえば「怒った経験を紙に書きだす」といった療法がある。ためこんではいけないらしい。実際、私の脳には大量の怒りの感情がため込まれている。
もう十年以上前、私は交通事故でひかれた。ケガ自体はたいしたことがなかったのに、ぶつかられたショックで脳がおかしくなり、4か月入院した。毎日起きてから寝るまで病院内を全裸で歩き回り、大声で叫んで窓ガラスをたたき割り、富山県高岡市長の指令が出て私はベッドに両手足をしばられ監禁されていた。
「ふだん感情をため込んでいるとショックでそれが溢れだすんですよ」と退院時に精神科の主治医に言われたことを覚えている。私をひいたヤツの名前はやはりはっきりと記憶している。こうして怒りの経験を書き出すたびに、ぐつぐつと鍋が煮詰まっていく。
しかしいま事故自体の記憶や謝りに来た犯人の顔はさっぱりと記憶のかなたになった。そして良い記憶はすっからかんとなり、覚えていなければならないこともすぐに忘れてしまう。薬をのまなくちゃ、と薬のケースを出してきて、さて、ちょっと暖房をつけようか、とやって、もう薬のことを忘れている。
朝昼晩と薬をのまなくてはならない。しかしそのように、のまないと決めているのではなく、のみたくても忘れてしまうのだ。夜は睡眠薬をのまないと眠れないので、眠れなくなったら薬を思い出すふうにできている。朝は50パーセントぐらいの飲み率、昼は完全にのめない。
しかし最近、昼の安定剤を忘れると、しゃんしゃんするようになった。だから、しゃんしゃんしたら夕方に昼の分をのむ。魚のにおいがするDHAのつぶをのんで、血液さらさらにしている。そのうちグルコサミンとコンドロイチンをのんで、膝の痛みをとりにかかるかもしれない。あるいは小さなこけしみたいなのを薬局で、自立支援医療で買わされるかもしれない。
薬がのめないのだから、怒りを抑える技術を学んだところで習慣化できない。フラッシュバックに限らず、怒りが爆発しやすいたちだ。こないだ、発達障害者の集いに出かけたら、同じく広汎性発達障害の診断を受けた若者が登壇し、「ちょっとしたことですぐ怒るという性格は、就労移行支援を受けている間に治した」という言い方をしていた。やはり全般的な障害特有の傾向なのだ。そして順番待ちをしている就労移行支援を信じて、待っている。
昨日の夜、Twitterで書いて寝落ちした話、をここに完結させておく。
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