2019年4月19日金曜日

私はいつも緊張している


きょう書きたいと思うのは、本日のツイッターで会話の話題とした「過集中」(かしゅうちゅう)の話だ。発達障害者の特性のひとつとして語られる「過集中」これはどういうものなのだろう。田中は発達障害者として認定を受けている者だが、これまで自分が「過集中」つまりは「集中しすぎ」と思ったことがなかった。しかし就労移行訓練で「過集中」が「緊張」と言い換えられる性質のものであると説明された時、じゃあ私はやっぱり「過集中」なんだわえとそう思ったという、この話をする。


私はとにかくいつも、生きていることに緊張している。たとえば何かを話さなくてはならない。発言に際する緊張はきっとニューロティピカルより数段高いレベルにあると、田中は推測する。周りのニューロティピカルを見ても、あるいはテレビジョンのドラマなんかを見ても、そう推察されるのだ。そして発言しなければ発言しなければ、と「過集中」していくのである。すると結果的にその発言は「冗長」となり、ポイントを見失っていることが多い。だから緊張しないで言葉を出すのが一番よいが、そうはできないようにどうやら脳が組んであるらしいので、とにかく発言を一言で終わらせる訓練、というのを田中は施設でやっている。

また発言に込める想いというのも時に尋常でないことがある。発言を終えてみてなんでそんな力説していたんやと思うことが多い。ただこれについては田中の場合、勝手に適当なことを言ってる馬鹿をやりこめようという明らかな意図がある場合があるので(前職場の馬鹿農業大学の馬鹿を想起)なんともいえないのだが、もう永劫に会うことの無い馬鹿を56してやりたいと毎日思い返しているのだから、これはやはり異常なんだ。こういうのも一種の緊張であり、「過集中」とは考えられないだろうか。

一般に「過集中」とはまさしく文字通りで、ある物事に没頭しすぎてしまうことを指す。そういう意味で言うと田中は、これまでの仕事において定時というものを無視して、残業代なんかいらないから残業でやるとこまでやらしてくれと言ったことが、数限りなくある。いままで4回も仕事を辞めている田中は、4つの職場でいずれもそういうことをしてきた。最初の工場では交代の時間が来ても自分のミスで起こった機械トラブルをなおすまでは帰らなかった。次の工場では7時始業なのに5時半から作業していてアルソックに逮捕されたことがある。次の農業でも6時始業なのに真っ暗な2時から草刈した。最後の農業でも真っ暗な夜の9時まで草刈していた。

これをよく言えば「責任感が強い」ということなのだが、これはやはり異常なのだと思う。就労移行施設では「会社に仕事を置いていける能力をつくろう」という言い方をされている。「集中」のよい状態は、適度な「緊張」のなかにある程度の「リラックス」があるものだと、きょうツイッターで話していた。しかし「過集中」となると、そこにはやはり「緊張」しかないのではないか。会話の相手様がおっしゃっていたところとは違う結論だが、田中はやはりこれが自分でしっくりくる。

となれば重要なのは「どうやってリラックスして生きるか」という問題に焦点がしぼられてくる。田中はとにかく疲れてしまい、夕方はすぐに寝てえらい早く起きるのだ。ようやくいま訓練を始めて、夜が少しだけ延びているが、朝は3時に起きて10時の始業でドアを開けて「おはようございます」と言わなければ言わなければと7時間も緊張している。もの忘れがひどかったり、ミスをおこしたりするのも、元凶は「緊張」にある気がしてならない。リラックス、リラックスと言っていてもはじまらないので、具体的方策をどんどん訓練で試している最中なのであった。

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