放送大学の授業「日本美術史の近代とその外部」は葛飾北斎(1760-1848)が西洋絵画の遠近法をはじめとする技法を技法書で学んで自身の絵画としたがそこには「誤解」があったこと→その誤解が再び西欧に輸出されて「ジャポニスム」という流行の中で「印象派」を生むことを論じている。
この類例として、講義でも例示があった喜多川歌麿(1735-1806)に関して、ここで詳しく報告する。第一回講義において「江ノ島岩屋(釣り遊び)」の<真一文字の水平線>と<前景-背景の強制接合>に透視図法意識が見られると指摘されていた歌麿は、北斎同様に西洋において評価され西洋画家の作品に影響を及ぼすことはなかったろうか。
エドモン・ド・ゴンクールは講義で紹介された『北斎伝』(1896)の含む日本絵画研究書のシリーズを、まず『歌麿、青楼の画家:十八世紀日本美術』(1891)の執筆からはじめている【1】。林忠正は万博日本パビリオンの展示品を輸出する「起立工商会社」に入社、次第に西洋の日本愛好家から信頼を得る。はやくから日本美術に興味を示していた作家ゴンクールは作品閲覧や資料翻訳において林の協力を得、まずは『歌麿』を出版した。この書物によってゴンクールは称賛を浴び、これが次なる『北斎伝』執筆の勢いとなっている。
『歌麿』におけるゴンクールの指摘は歌麿の画業の全般に及んでいるが、やはり主要なテーマとして「青楼」すなわち遊郭の女性たちを描いた美人画は大きく注目されている。ゴンクールは、その顔が決して写実的ではなく、「ひどく人間性に欠けるステレオタイプな顔の表情に、あるきびきびした優雅さ、精神的洞察などをこめる」と評している。またゴンクールは「当時あまり言及されることのなかった、浮世絵の広告という役割に注目していた」。
『歌麿』におけるゴンクールの指摘は歌麿の画業の全般に及んでいるが、やはり主要なテーマとして「青楼」すなわち遊郭の女性たちを描いた美人画は大きく注目されている。ゴンクールは、その顔が決して写実的ではなく、「ひどく人間性に欠けるステレオタイプな顔の表情に、あるきびきびした優雅さ、精神的洞察などをこめる」と評している。またゴンクールは「当時あまり言及されることのなかった、浮世絵の広告という役割に注目していた」。
大島清次は「市民革命をすでに経験して、近代的自我に目覚めたフランスの個性主義的精神の基盤と、経済生活のなかで放任されながらも、なお政治的な面でついに桎梏を解かれ得なかった日本の町人階級の囚われの精神構造とでは、本質的に異質な趣味嗜好」が生まれたとして、日本の浮世絵の「デカダンスとグロテスクとエロティックな、ほとんど世界に類を見ない絢爛たる展開が」あると指摘している。しかし、西洋絵画がジャポニスムの影響下に花開かせた「印象派」の中にも、大島がいうところの浮世絵の「正統」であるこうした特異点を、まさしく正統に受け継いだ画家がいた【2】。
トゥールズ=ロートレック(1864-1901)は「幼い頃の2度にわたる足の怪我で下半身の成長が止まって一種奇形的な体形となり」、一方で「食うに困らず、したがって人におもねる必要も、自分の芸術を“売る”必要もなかった彼の環境」により近代社会からこぼれ落ちた結果として、いまだ近代を迎えていない日本の浮世絵の「正統」にこそ共鳴した画家である【3】。
歌麿が「評判の遊女」を題材にしたようにロートレックは「キャバレーの看板女」を描き、また両者は絵画を広告という手段で「庶民生活の中に浸透させようと計った」【4】。放送大学講義の講師、稲賀繁美はポスターと浮世絵の関係を「遠くからでも人目につくには、むしろ肉付け、陰影、透視図法といった、アカデミックな手法は逆効果だった」と端的に表現している【5】。
トゥールズ=ロートレック(1864-1901)は「幼い頃の2度にわたる足の怪我で下半身の成長が止まって一種奇形的な体形となり」、一方で「食うに困らず、したがって人におもねる必要も、自分の芸術を“売る”必要もなかった彼の環境」により近代社会からこぼれ落ちた結果として、いまだ近代を迎えていない日本の浮世絵の「正統」にこそ共鳴した画家である【3】。
歌麿が「評判の遊女」を題材にしたようにロートレックは「キャバレーの看板女」を描き、また両者は絵画を広告という手段で「庶民生活の中に浸透させようと計った」【4】。放送大学講義の講師、稲賀繁美はポスターと浮世絵の関係を「遠くからでも人目につくには、むしろ肉付け、陰影、透視図法といった、アカデミックな手法は逆効果だった」と端的に表現している【5】。
結論として、両者の関係を示す具体例を提示しておけば、『ロートレックと歌麿展』(山梨県立美術館1980)において歌麿「恋の竹床几」とロートレック「悦楽の女王」の相似が指摘されていたことを報告する。男女が抱き合う構図、陰影のない顔の線描、着衣の色彩表現といった共通点は、明らかな影響関係と見てよいと言えるだろう。以上をもって喜多川歌麿の浮世絵がロートレックに与えた影響に関する報告を終える。
【1】 小山ブリジット『夢見た日本 エドモン・ド・ゴンクールと林忠正』(平凡社、2006)
【2】 大島清次『ジャポニスム 印象派と浮世絵の周辺』(講談社学術文庫、1992)
【3】 クセール・フレーシュ&ジョゼ・フレーシュ『ロートレック――世紀末の闇を照らす』(創元社、2007)
【4】 渡部真吾樹「ロートレックと歌麿」(『ロートレックと歌麿展図録』毎日新聞社、1980)
【5】 稲賀繁美『絵画の東方』(名古屋大学出版会、1999)
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