2019年4月17日水曜日

勅使河原くんからの手紙



新札のデザインが発表されて、ネットニュースによれば「ワイドナショー」で古市くんが「ダサい」と強く批判したらしいのだが、田中はテレビジョンを見ておらず素敵なデザインと、絵柄はなんでもよいようなものだが、数字の部分の字体と色使いがなんだか外国みたい、とそんな単純な理由で、田中が思い出したのはもう半世紀近く前、田中が大学生だったころに友人の友人ぐらいにあたる同年輩の勅使河原くんが、アメリカから送ってきた手紙の、封筒に入っていた自由の女神の切手を田中は思い出した。

勅使河原くんは東京都日野市南平の、京王線南平駅前のコンビニエンスストア「サンクス」で、毎晩9時から朝の6時までバイトとして勤務していたため、午前中の講義には出ず4限か5限に大学の顔を出す程度で、賽銭箱の前で手を合わせる老人のラインスタンプで代返を頼んできたのだが、きゃりーぱみゅぱみゅが「りょうのかい」とつぶやくスタンプを田中が送り返していた45年前の日々が思い出した。

オグリキャップというのは令和のはじめころに活躍した競馬の競走馬の名前なので、勅使河原くんはオグリキャップと当時付き合っていて、オグリキャップの友人のタカジアスターゼが田中のゼミ仲間だったようで、そんないびつな四角形の載っている数学の教科書を、勅使河原くんが思いつくと田中は思い出すのだったが、自由の女神の切手はA4のコピー用紙に貼り付けてスキャンして実物は資源ごみの紙束に混ぜて捨てたのを、新紙幣のデザインをみて思い出した。

勅使河原くんはよく田中の家に「サンクス」で売れ残って処分されるおにぎりや弁当を持って朝早く、勅使河原くんの勤務明けに来ては田中の家で寝ていたので、田中は鍵をかけずに授業に出かけ、家に帰ると決まって誰もおらず、鍵のかかっていない無人の家には一度だけだが真っ白な猫が迷い込み、田中が玄関を開けた瞬間に逃げていった、後ろ姿を鮮明に田中は思い出した。

以来、田中はコンビニのおにぎりを食べると勅使河原くんを思い出し、勅使河原くんは気がつくと家に来なくなっていたので、タカジアスターゼに今度のゼミで聞いてみようと思ったら、水曜3限の「比較文学特殊講義」でタカジアスターゼが自殺したと教官が言ったので驚き、あの瞬間の空気もよく思い出すのだが、それ以来オグリキャップとも一度も会うことがなく、そして勅使河原くんにも会わなくなってしばらく後、アメリカから手紙が来たのをいつか思い出した。

その封筒に書かれた住所がそういえば全て日本語で記されていたのだから、あの封筒がアメリカから送られてきたはずはないと、いまとなっては思い返すのだが、ともかく勅使河原くんからの手紙には「いま俺はアメリカにいます」とはじまっていたことを思い出すから、きっとアメリカで書いた文章なんだろうと、勅使河原くんはその封筒に、ニューヨークにあるという日本趣味のバーかなにかの玄関にかかった暖簾から顔を出す、勅使河原くんの写真とともに、その手紙とともに、自由の女神の切手がとても新紙幣のデザインに似ていると、田中はそのように思い出したのである。

聖蹟桜ヶ丘の叔母さんによれば勅使河原くんは、こどものころ言葉を覚えるのがおそく、なんだか気難しい老人のように顔をしかめていることがあったようで、それは田中もおなじだったと聖蹟桜ヶ丘のおばさんが思い出したのは、田中が発達障害と診断されたあとのこと、田中の父が死んだ夜のことだったと思い出した。

勅使河原くんの手紙は、いつもおにぎりをもってくる勅使河原くんと結びつかないほど病んでいて、人は見かけによらないとクールに思っていた大学生の田中がいま、おそらくあのころの勅使河原くんのように、自由を求めていると勅使河原くんからの手紙に書いてあったのだが、田中はその当時に気づきもせず、そういえばおととい勅使河原くんから電話があり、オグリキャップと結婚することになったが、結婚式はやらないからとミュンヘンから電話があったことを思い出した。

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