2019年1月13日日曜日

平成31年のイオンモール


きょうは「イオンモール多摩平の森」まで、東京に来てから買った自転車で行きました。一番橋から平山橋まで、浅川の堤防の上の道路は、自転車で走るにもジョギングをするにもよい道です。前居住地では、自転車があっても自転車屋がなく、雪で走れない季節も多く、パンクをなおすのも面倒になって、自転車を捨てたのでしたが。

長いこと地方で暮らしていた身からすると、イオンモールの駐車場はもちろん、駐輪場でさえ駐車料金をとることが不思議で、おそらくはそれを疑問に思うこともなく、みなさんがお金を払っているのも不思議です。イオンモールはJR豊田駅の駅前にあり、駅周辺の市営駐輪場も有料の場所が多いのですが、駅から離れた一部の駐輪場は無料のため、私はそこに自転車を止めて、イオンモールまでは歩きました。


先日まで必要があって、「イオンモール」について調査をしていたのですが、昭和生まれの私たちには懐かしい響きの「ジャスコ」という会社が、「イオン」をはじめて名乗ったのは、ちょうど平成元年のことでした。実家近くの「ジャスコ」の、実際の思い出がある一方で、「ジャスコ」という言葉が私に思い出させるのは、嶽本野ばらの(あるいは中島哲也の、または深田恭子の)『下妻物語』ですが、この作品以外でも、いわゆる「オタク」的なサブカル作品のなかで、「ジャスコ」という単語は、何度か象徴的に使われることがあったようです。

それは近年の作品になるにつれて、「三丁目の夕日」的な郷愁を指示しているように見えるのですが、当初(たとえば『下妻』において)「ジャスコ」→「イオン」という記号が表していたのは、日本全国が平板に均質化していくこと、でした。私にとってはいまだにこのイメージがかなり強く、きょうもあまり期待せず暇をつぶしに出かけたつもりでしたが、「イオンモール多摩平の森」には、これまで訪れたイオンモールと同じテナントもあれば、とくに巨大なフードコートの飲食店を中心に、見たことのないテナントもかなり多く、とても楽しかったです。

イオンモールの中ならば天気も時間も関係なくウォーキングができるという趣旨の表示が各地に出ており、とちゅうトイレに立ち寄った際にも個室のドアに「ウォーキングは姿勢よく」とシールが貼ってありました。とくに目的もなく、すべての通路を3回は歩いたでしょう。イヤホンで音楽を聴きながら、ハイキングのように、光るガラスの天井を仰ぎ見て歩きました。


平成のはじめ、その平成という時代そのもののように平板な書割りとして登場したイオンモールは、三十年後のいま、都会の中の「森」あるいは「山」として、ちがう意味をもってきているように見えました。きちんとした文化論を語るには頭が足らないのが残念ですが、たとえば「イオンモール多摩平の森」では「カルディ」に隣に「久世福」があります。「カルディ」がいかにも「平成」のイオンモールであるとしたとき、「久世福」には「次の時代」を感じさせる何かがあると思うのですが、それを「なに」といったらよいのか、私にはまだわかりません。

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