2022年3月27日日曜日
傷は治っても――母が認知症(2)
2022年3月18日
きょうは私は南平でテレワーク。仕事を終えて、すぐ江戸川区に向かう。明日の母通院(救急外来・傷の様子見)が早い時間のため。自分が付き添う必要があるのを忘れて、朝一番がいい、とかおかしな注文をしてしまった。実家に着くと、母は、病院の指示通りに傷口のシートを貼らず、家にある絆創膏を貼っていたのでケンカになる。しかし、傷口のシートの使い方なんか、私も知らない。母が医師からの指示をうなづいて聞いていたので、私が覚える意味はないと、聞いていなかった。馬鹿かと。病院の救急外来は24時間つながるというので、夜中に電話をかけて、看護婦さんに貼り方を習う。こりゃあもう老老介護、いや認認介護の世界である。
母はこの日、明日の通院をきょうと勘違いして、私がいつまで経っても連れて行きに来ないから、ひとりでタクシーをつかまえて、病院まで行ったのだという。受付で、明日ですね、と言われて、またタクシーに乗り、家に帰ってきたとのこと。そんなおかしなことがおこっていたとは。カレンダーも理解できなくなっているのだ。
どうして電話してこないの?というと、母は、私は仕事に行ったのだろうと、会社に電話したが繋がらなかった、という。私は母が倒れたりして、家に誰かが救助に来た時用に、実家の壁に、私の勤務先の電話番号を貼ってあったが、その電話は9時から18時までしか繋がらず、それ以外の時間は私の会社は電話線を切っているのである。こんな会社の電話なんか別にいらないねと、紙をはがして捨てた。私のスマホの電話番号の紙も、同じところに貼ってあるが、母は直接私のところにはかけたくないらしい。しかし、今後はもう、この電話しかあなたは私には連絡できません、と宣言しておいた。
台所にマクドナルドのハンバーガーが、先日からずっと置いてある。母にいつ買ったのかと聞くと、「マックのポテト再開の次の日に買いに行ったのよ」と言う。そのニュースをスマホで調べて計算するに、2022年2月8日に買った、ということになる。そんなことはあるだろうか?マックはほんとうに腐らないのだろうか?いや、私は2022年3月5日に実家に帰っているが、そのときはなかったはずである。一口食べてみると、うまいが、気味が悪くて捨てた。
2022年3月19日
朝9時に病院の予約をとってあったが、8時過ぎに病院に着くとすぐに救急外来に案内され、9時前に傷の様子見は終わり、9時半には家に帰っていた。傷の治りはまあ順当で、きのう夜中に貼ったシートは剥がされ、新しいものに貼替え。今後の貼り直し方の再指導があり、今度は私は理解したが、母には無理のようだった。救急外来にくる必要はもうないと言われる。傷の様子がどうしてもおかしいようなら、今後は脳神経内科の診察のあるときに、相談に寄ってください、と言われる。そのとき、そういうことなら傷のシートはもういいだろう。勝手に絆創膏でもテキトーに貼っておけば良い。と思った。あごが一生紫色だろうが、手の甲の皮膚がなかろうが、生きていればいいじゃないか。ということにしよう。
(実際、このあと、医師の指導通りに、シートを貼り直す計画を一応立てたが、母は理解せず、後日、私がまた帰ったときに貼ってやったシートは、数時間後、風呂に入る際に剥がした。シートは防水で、剥がそうとしなければ剥がれない。終了。まあ実際、シートなんか貼らずとも、傷は治ってきている。母は、生きているからである。)
病院に半日は掛かると思ったが、すぐに帰宅となったので、私は自室にこもり、各地に電話相談をした。まずは、区のホームページに書いてあった、江戸川区認知症ホットライン。「母はどうも認知症であり、来週金曜日に詳しい検査、その次の週の木曜日に医師から検査結果の伝達があるが、まあどうも初診の感じで認知症であるのですが、区のどういう制度があるのか知りたいんですけど」という初心者っぽい質問をすると、「そういうことなら、まずは介護保険の申請をして、認定まで行くところから、ということになります」ということであった。なにせ介護保険の仕組みを使っていくことになるらしいことがわかった。
介護保険の申請ということになると、地域包括支援センターに電話してください、との案内で、地域包括支援センターに電話をかけると、「いまさっき認知症ホットラインに電話されていた方ですね?」と言われ、情報がすぐに共有されてあった。もう一度同じ説明をせずに済んで、よかった。「来週金曜日に検査があるんですよね?そのとき病院に行ったら、先生に書類を書いてもらえるかを確認してください。OKと言われたら、その足で来週金曜日にウチに来てください。申請をしましょう」とぐんぐん話が進んでいき、安心する。
母が救急車で運ばれた際、私のところに電話が来たのは、母がつけていた江戸川区の「みまもりふだ」をつけていたおかげである。その「みまもりふだ」の管轄である、江戸川区のよろず相談所にも電話して、お礼を言う。よろず相談所は、地域の高齢者の家を時々訪問する活動もしているらしく、ちょうど母と数ヶ月ごとに話しているという活動員が電話に出ており、「救急車で運ばれたと聞いたから、それはびっくりしたんですよ」、と言われる。その言い方が、なんだか癪だった。
まあこっちが救急車のときのお礼で電話しているんだからそういう話になるのだが、救急車はもういいんである。それはそうと認知症について病院で相談したんですよ。あなたは数ヶ月ごとに母とあっていたのならば、母の様子がおかしいということには気づかなかったのか、という疑問を、そんな強い調子でなく、質問した。すると活動員は、母のことで覚えていることを脈略なく次々と語りだす。それは世間話の内容などで、あまり意味が感じられない、井戸端会議の議事録だった。この人とは、話が合わない。ということが、世の中にはある。
そうだ議事録。訪問しているのならその際の記録をとっているんだろうから、それを開示して欲しい、と私は言った。「時系列にまとめるのに時間がかかるから、来週の金曜日にその記録を病院で説明する必要も出るかもしれないし、来週木曜日にこちらから電話して、報告しますね」と言ってもらえて、いちおう安心した。のだったが、その電話はなんと、かかってこなかったのである――
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