お金がない。来週、ハローワークの失業認定日があり、入金は再来週だ。再来週は障害年金の支給もある。そこまでの辛抱だ。来週は障害者雇用に向けての実習を受ける。もうこの企業に雇ってもらい、お金の苦労から逃れたい。それが本音の本音である。
お金がないと、お金を使えないのだから、出かける必要もない。出かければ、お金がいる。だから出かけない。そういう貧困と精神停滞の素朴な関係は見逃せない。お金があればあったで、過激に浪費をする癖もあるから、一生お金に惑わされるのかと思うと、気が重くなるのだが、それでもお金はないよりは、あったほうがよい。
きょうも一度出かけるまでには、ずいぶん時間がかかった。図書館に行き本を読むことに、お金はかからない。しかし、それをやると、喫茶店に寄りたくなり、そもそも電車に乗る必要もあり、お金がかかる。学校に行くための定期券が切れ、新しい定期券を買うまとまったお金はない。お金がないのだから家にいるべきなのか、しかし家にいると精神が停滞してしまう。という悩み。
しかし東京都日野市に送る書類を作るためには、失業保険関係の書類をコピーして添付する必要があり、出かけることになった。必ず10円は出費の発生する外出だった。コピーを取り、図書館で本を返して、書棚のあいだを歩いていたら、ふと手に取った小説が面白くて、借りてきてしまった。とても分厚い。しかし語り口が軽妙で、読み始めたら止まらなくなった。閉館までではとても読み切れず、いま読む時間があるか、と迷いつつも、やはりこの本を読むと、どうも精神の調子が良くなるだろうと、さいきんさまざまなコストに関する判断基準を、精神、にとることがふつうになった。これも、発達障害の学校に通った大きな収穫である。
スポーツジムには行かなくなってしまい、ジムを解約すべきなのかもしれないが、お金がなくても解約をしてしまうことが精神を沈ませると思って、ムダ金を払い続けている。家を出ると精神がよくなるのには、運動する、ということもきっと関係している。夕方、日差しが弱くなってから、高幡不動→南平の一駅を歩いて帰ることを習慣にしてから、精神状態がすこぶるよい。きょうも歩いて帰ってきた。
これでは運動が足りないと思うから、またジムに行けるようにしたい。ジムに行っていたころは朝早く起きて行っていたのだが、発達障害の薬が強い時期になって、起きられなくなっていかなくなってしまった。いままた薬の影響が減っている。起きれる。しかし面倒だ。近日中に、というのは、次の仕事が始まる前、つまりはいまの学校に通っているうちに、スポーツジムの習慣を復活させたい。