2021年10月24日日曜日

競輪場とディスタンス

 西暦2021年の秋、感染拡大がはじまって一年半となる新型コロナウイルスの勢いが弱まり、緊急事態宣言も解除された。土曜日の京王閣競輪場はよく晴れて、久しぶりに太陽の光を浴びた。弥彦親王杯の準決勝場外売りと本場開催が重なり、入場者数制限5000人が設定されていたが、入場できない人が出ることはなく、競輪場はガラガラだった。ソーシャルディスタンス。入口で手指消毒と体温計測をして入場する。一度も座れたことのない、売店のテーブルにも人は少なく、名物というモツ煮込みの定食をはじめて食べたが、生ぬるく、もう食べることはないだろう。併売の競輪場は、本場のレースと場外のレースがほとんど同時に行われて、いそがしい。本場のゴールを見届けて、場外の中継テレビに移動すると、場外はすでに赤板を迎えているくらいだ。もう少しずらせばいいのに、と競輪ファンは常に言っているが、一向に改善されない。

 競輪場に行くと、知らないおじさんが話しかけてくる。これは間違いないので、競輪場に行ったことのない人は、一度行ってみるといい。競輪場は、誰とも話すことのない淋しいおじさんのたまり場であるから、誰でもいいから話がしたいというおじさんが集まっているのだ。喫煙所のベンチでタバコを吸っていると、知らないおじさんがいつの間にか目の前に立っており、「弥彦は難しくてダメだネ」と話しかけてきた。「筋違いばっかりだネ」と返すと、「ああ、だけど本場の5車立てでも当たらないんだから、どうしようもないよネ」とおじさんは笑った。あいまいに微笑み返すと、おじさんはタバコを消して立ち去った。久しぶりに人間と話すと、心が和んだ。

 競輪場に通い始めたのは、西暦2006年の春のことだ。雨の日にバイクに乗っていたら、後ろから乗用車に跳ね飛ばされ、3ヶ月の昏睡状態を経て、目覚めたらケガも治っていた。リハビリ期間中、家の近所にあった富山競輪場に毎日通い、自分の命の対価として受け取った慰謝料を全て競輪に使い果たした。100円が700000円になったことが忘れられず、いまでも競輪を続けている。そんな21世紀の初頭、競輪はすでに廃れはじめていたが、それでも適当に競輪場は混んでいて、淋しい人間が多く集まっていた。当時はまだ新型コロナウイルスなんていうものはなく、ソーシャルディスタンスという病理学の概念はなかったが、心理学の用語としてパーソナルスペースという語が既にあった。

 人間には、知らない人間に近づかれると、不快に感じる距離というものがある。しかし、淋しい人間は、知らない人間に近づきたくてしようがない。競輪場に行くと、そんな知らないおじさんに、わざとぶつかられるということがよくあった。知らないおじさんは、見知らぬ他人にぶつかることで、自身の存在を証明していた。ぶつかられるたびに、その叫び声が聞こえて、あまりの哀しさに胸が締め付けられたものだった。いや、知らないおじさんにぶつかられると、自分の存在が消えてしまうようで、ぶつかってくるおじさんに気づかれない程度に足を踏みしめて、ぶつかり返したこともあった。競輪がますます廃れ、ソーシャルディスタンスも導入されたいま、競輪場に行って知らないおじさんにぶつかられることはなくなった。それもまた淋しいことだ。

 107期の阿部拓真は、以前の職場で仲が良かった後輩と同じ名前なので、見かけるたびに買っており、相性も良い選手だ。京王閣本場の準決勝に乗っており、頭から買ったが、番手の菊池圭尚がわずかに遅れて3着となり、逃してしまった。菊池圭尚はもう金輪際買わない。とこうして歪んだデータを蓄積していくのが、競輪の楽しみである。一日買い続けて、かすったのはそれだけで、本場と場外とで20000円も負けた。昼間は晴れてあたたかだったが、最終レースが終わると風が冷たく、急いで京王線に乗り、家に帰った。京王閣競輪場は、京王線の京王多摩川駅のすぐ近くにあり、レースを観戦していると、高架線を走る京王線もよく見える。

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