感情の整理が上手い人と下手な人。話がはじまってすぐ、これが上機嫌な人と不機嫌な人にパラフレーズされる。そして、不機嫌な人の、不機嫌になるその過程が、そのまんま自分じゃないか、と思った、ので、そのあとがどんどん進んだ。「感情の豊かな人は、不機嫌になりにくいものです」。感情を出すタイミングを逸して、人は不機嫌になっていくのだ。「ものごとを白か黒かの二分割で判断する」というのも、自分のよくないところだと感じている。その対処法はずばり、勉強すること、そして成長願望を持つことだ。この過程には、わからないという場面が生じるが、これを「二分割」で考えると、黒になってしまう、しかしそこで、少しでもわかった自分を褒めるということが大事なのである。不機嫌な人のダメな部分も当てはまってしまったが、その対処法も現に自分がやろうとしていることだったから、これでよいのだという感じがしたのだった。が、読み終えて読書メーターに登録しようとしたら、数年前に一度読んだことがあった。それならそれで、読んだことを実行できているのだ、と思った。今度はこの本を保管用の書棚に立てた。
尾崎一雄『閑な老人』
ずっと積んであった本の山からも一冊読んだ。6つの短編からなる。いわゆる私小説なので、6篇がほとんど発表順にならんでいると、そこに時間が流れる。神社の松の木が切られ、飼っていた犬が死に、志賀直哉も亡くなる。犬の墓をつくろうと、庭を掘る。「休み休み掘つた。赤土に達すると、縄文式土器の破片が出てきた。この前のときは、土器のほかに、石斧も出たが」。そういう時間の重なりの中に、生きているということだ。山櫻を植えたいと思う。「その松や櫻がどうなるか、私には勿論判る筈もない。しかし、しかし、私は植えたいのだ」。(手放します。下記アマゾンより田中はにわに注文してください)